1999-11-27[n年前へ]
■The Way We Were
君の行く道
CasioのE-500で撮影した写真である。道が不思議に輝いていた。
Michael J. Foxの出世作でもある"FamilyTies"というTVシリーズがある。日本語に訳せば、「家族の絆」というタイトルの通り、ある家族を中心としたコメディ番組だ。MichaelJ. Fox演じる長男、を含む家族達の周りの色々な話しが描かれている。コメディの珠玉の名品だと思う。
その「ファミリータイズ」の中で"The Way We Were"という話があった。日本放映時(ビデオ化)のタイトルは「キートン家の語り部おばさん」だったと思う。
ローズおばさんは、キートン一家の母方のおばさんだ。その母方のドネリー家の歴史をいつも話してくれる、キートン家の人気者だ。しかし、何かローズおばさんの様子がおかしい。そうしている内に、キートン家の家族達は、おばさんがアルツハイマー病にかかっていたことを知る。そのキートン家の長男でもあるMichael J. Foxは、現在パーキンソン病を克服しようとしている。
そして、アルツハイマー病を克服しようと決意したローズおばさんは、長女マロリーに、「お願いがあるの。私がこれまで話していた物語を、これからはあなたが伝えていって欲しい。」と頼む。そして、ローズおばさんの前でマロリーは長い長いドネリー家の歴史を語り始める。「時は1741年、冷酷なイギリスの統治によりアイルランドを暗雲が覆った... 」家族が集まる中、マロリーが最後まで語り終わると、ローズおばさんは黙って頷く。
2000-09-29[n年前へ]
■恋は稲妻のように
恋のパッション方程式
暑かった夏も終わり、もうすっかり秋になった。秋になったせいなのか、それとも他の理由なのかは判らないけれど、胸の辺りが何故かチクチクと痛む。それどころか指の先までチクチクするような気がする。
胸の痛みの方は何故だか判らないけれど、指先のチクチクの理由は判っている。静電気のせいだ。指先から放電して火花がバチバチと散るのである。私が普段着ている服のせいか、それとも私のサンダルと職場の床の相性が悪いのか、私の体には静電気が貯まりまくってしまい、とにかく指先から火花が散ってチクチク痛くなるのである。胸はチクチク、そして指先もチクチクして、もうなんだかイヤになってしまう。
私個人の理由はさておき、世間一般的には「秋の胸のチクチク」と言えば、それはもう「恋」ということになるだろう。物思いに耽る秋には、きっと恋に胸を痛める人も多いことと思う。「秋は食欲の秋に決まってるじゃないの、秋に痛むのは胸じゃなくて胃だよ」と言うような「花よりダンゴ状態の人」も世の中には多いのかもしれないが、少なくとも「秋は恋の季節かな」と言う人も結構いるハズである。
そこで、今回は私の指先でチクチクする「静電気の火花 = 放電」になぞらえながら、「恋」について考えを巡らせてみたい、と思う。「って、何でいきなり放電= 恋やねん!」とツッコミを入れないで欲しい。何故なら、かのアンソニー・ホプキンスも「MEETJOE BLACK」の中で「恋は稲妻に打たれるようなものだ。」と言っているのだ。「恋は稲妻→放電」はハリウッドのお墨付きの事実なのである。日本の誇るザ・ピーナッツにも「恋の稲妻」という曲がある位だから、これはもう確実度120%と言って良い位だろう。
さて、体に静電気が貯まったからと言って、すぐに私の指先から稲妻が飛びまくるわけでは決してない。そこには、「ある程度以上の静電気が貯まらないと稲妻が発生しませんよ」という法則がある。それが、パッシェンの法則と呼ばれる法則である。例えば、パッシェンの法則による標準的な空気中での「放電する領域」と「放電しない領域」を示してみよう。
例えば、このグラフ中の横軸で200μmのところを見ると、1500Vより小さな電位差までは「放電しない領域」となっている。稲妻を飛ばすにはまだ電位差が足りないわけだ。しかし、電位差が1500Vを越える辺りからは、「放電する領域」に入っていることが判るだろう。つまり、ここまでくれば「稲妻」を飛ばすのに十分な電気エネルギーがある、ということになるわけだ。「稲妻」を飛ばすにはエネルギーが必要なのである。
さて、それでは「恋」の場合はどうだろうか?「恋の稲妻」を飛ばすにはやはり何らかのエネルギーが必要なのだろうか?そしてまた、「電気の稲妻」におけるパッシェンの法則と同じようなものが「恋の稲妻」においても存在しているのだろうか?
実は「恋の稲妻」においても同じような法則が存在しているのである。私が「恋のパッションの法則」と呼ぶ法則がそうである。「恋の稲妻」を飛ばすに十分なパッション(= 愛情,恋慕,色情,情欲,欲情)がどの程度であるか、を示すのが「恋のパッションの法則」なのである。これは、「恋の稲妻」を飛ばすには「恋のパッション」のエネルギーが必要であって、「これくらいのパッションがあれば恋の稲妻を飛ばせますよ」ということを説明したものなのである。
試しにこの「恋のパッションの法則」による「恋の稲妻」とそうでない領域の一例を次に示してみよう。(実はこの「恋のパッションの法則」は縦軸・横軸(すなわち、距離とパッション=Love-Power)共に任意単位なのであるが、ここでは適当にkmとVという単位で示してみた。)
この図を見てみると、距離で10km位のところで「恋の稲妻」を飛ばすのが一番楽だということが判る。10km位の距離にいるような男女の場合、400ラブパワーもあれば「恋の稲妻」を飛ばし合うことができる。お手軽「恋の稲妻」コースである。
しかし、男女の距離が増えたりすると、「恋の稲妻」をおこすためにはかなりのラブパワーが必要とされることが判る。例えば、500km位離れてしまうと、「恋の稲妻」を発生させるには3000ラブパワーくらいが必要とされるのである。つまり、東京と大阪ですくすくと育った男女が「恋の稲妻」を発生させるのは結構大変だ、ということがこの「恋のパッションの法則」から判るわけだ。
そして、もうひとつ面白いことがある。この「恋のパッションの法則」の図を見てみると、近距離で「恋の稲妻」カーブが急に上昇していることがわかるだろう。その近距離の辺りを拡大してみると次の図のような感じになる。
男女の距離が5kmより小さくなるととたんに「恋の稲妻」に必要なラブパワーが大きくなっていることが判るだろうか?男女の距離があまりに近いと、何故か「恋の稲妻」はなかなか飛ばないのである。「恋」に落ちるためには少し距離が必要なのか、それとも、「恋」には落ちるけれども近すぎるせいで人目を気にして「恋の稲妻」を飛ばすことができないのか…色々理由は考えられるだろうが、とりあえず「恋のパッションの法則」は距離が小さすぎると「恋の稲妻」に必要なラブパワーが大きくなる、と言うのである。
よく、マンガのありがちなシチュエーションで、「一つ屋根の下で暮らす男女や、お隣さん同士の男女の間のなかなか進まないラブコメディ」というようなものが多いが、それは単に男女間の距離が小さすぎたせいなのである。あれらのマンガは実はこの「恋のパッションの法則」に裏付けられた科学的な事実を淡々と描いた科学マンガだったのである(あと、ハリウッドとザ・ピーナッツのお墨付き)。確かにアンソニー・ホプキンスの言うとおり、「恋は稲妻に打たれるようなもの」であることがわかるだろう。
さて、今回は「恋の稲妻」を考えるための便利な法則「恋のパッションの法則」を紹介してみた。次回以降では、この「恋のパッションの法則」を使いながら、「恋にまつわるエトセトラ」を考えてみたいと思う。例えば、先程「東京と大阪ですくすくと育った男女が「恋の稲妻」を発生させるのは結構大変だ」と書いたが、東京で生活している二人が遠く離れてしまう場合もそおうかというと実は違う。そこには結構面白い現象が生じる。題して「恋の稲妻」遠く離れる二人編 とか、「ガンコな人は実は恋の稲妻を飛ばしやすい」という、「恋の稲妻」ホントのオレ編とか、そんなことは次回以降で考えてみることにしたいと思う。
2008-07-04[n年前へ]
■Pain is temporary. Film is forever.
バック・トゥ・ザ・フューチャーを撮影する時に、マイケル・J・フォックスとロバート・ゼメキスが苦痛を伴うミステイクのたびに言い合ったという「痛みは一瞬。映画は永遠」は、1987年公開の青春コメディ映画「タイムリミットは午後3時」の中の台詞だという。この映画のストーリーは、全然イケてない主人公が、不良と決闘をする事になってしまう。そんな登校から放課後の決闘までのほんの数時間を音楽に合わせ軽快に描く、というものだ。この映画のレビューを眺めていると、こんな一節に出会った。
And on top of everything else, it teaches those savvy enough to seek it out a very important life lesson:
Pain is temporary. Film is forever.
(長々と書いた)そんなことより何よりも、この映画は生き抜くためのコツを見つけるために大事なことを、こんな風に教えてくれる。
痛みは一瞬。映画は永遠。
Back to the Future いえば、第一作目の最後のセリフもとてもいい。(映画中で冗談の対象として使われた)ロナルド・レーガンが年初の一般教書演説で引用し語ったこの言葉はとてもいい。
As they said in the film Back to the Future, where we’re going, we don’t need roads.
映画"Back to the Future"のセリフのごとく、「私たちが行こうとする先に、道は必要ない」のです。
2008-11-09[n年前へ]
■"What Happens in Vegas"
少し前、"What Happens In Vegas"(「ベガスの恋に勝つルール」)を観ました。決してA級の映画ではなく、それほど時間が経たないうちにタイトルを忘れられてしまうB級映画なのかもしれません、・・・けれど、面白い映画でした。ひとことでストーリーを表現してしまうと、主人公(キャメロン・ディアス演ずる)ジョイとジャックを中心に繰り広げられるラブコメディ、というものになってしまうのでしょう。しかし、同時に、何かふと考えさせられる、そして、そこで感じたこと・楽しんだことが湯冷めしないままに記憶(けれど、記憶の底)に残るような映画でした。
Ultimately, Jack and Joy discover and identify each other's admirable and loving traits. ・・・ Using a gambling metaphor, Jack tells Joy, "You bet on me and you made me want to bet on myself."
(from here.)
ジャックが、スロット・マシーンでジャック・ポット、それはまさにジャックの場所です、を当てたことから始まるストーリーは、(些細だけれどもとても的確な異性間の違い・他者への過剰な意識と自分の可能性を信じることができないといったこと・他者と自分の間で自分が自然に立つことができる場所といったものを、スクリーンに自然に浮かび上がらせるように思います。“What happens in Vegas, stays in Vegas” そんなラス・ベガスのキャッチフレーズとは違い、ラス・ベガスでの出来事がラス・ベガスでで終わらずに、その後も続くのです。
エンターテイメントとして誇張されて描かれてはいたとしても、スクリーンに映し出されている男女の姿、現代の等身大の男性と女性の姿そのままだと思ったのです。
"I'm really interested in stories about finding love or getting to know someone through dysfunction or adversity," says screenwriter Dana Fox. "I first came up with this story about two people who strangely get to know each other while divorcing. Around that time, I kept hearing the phrase 'What happens in Vegas, stays in Vegas' and thought, if it wasn't already taken, it would make a great title for a film.
(from here.)
2010-04-24[n年前へ]
■気持ちがちょっとわかったような気がするかもしれない
映画の予告編は面白さが詰まっている。少なくとも、興味を感じさせる予告編でなければ、本編を見てもらえないのであるから、当たり前である。
今、気になっているのが「ตัวอย่างหนัง สาระแนสิบล้อ : Saranae Siblow」という映画である。ふと眺めた予告編には不思議なくらいバリエーションに富んだシーンが詰まっていて、目が離せなくなってしまったのだ。本編を見ることができないから、せめて、その感想を眺めてみようと思って読んでみると、これがまた面白そうな感想が書いてある。
何かこの映画を観た後に、道にたむろってる赤組の人たちやら、バイクに旗立てて爆走してる赤組の人たちを見ていると、あぁ~この映画を観た今なら、この赤組の、このスットコ野郎どもの気持ちが、ちょっとはわかったような気が(中略)しちゃったのかもしれない・・・・と延々と考え込んでしまった。この「赤組」は、赤シャツを着た「タクシン派」とも呼ばれた人たちである。何だか、本編を通して眺めてみたくなる。
いやこれはもしかしたら良い意味でタイ人をわかる映画なのかもしれない・・・
少しでもクスリと笑えたら・・・あなたも赤組に交じる事出来ると思いますよ~。
遂にタイ国非常事態宣言!「สาระแนสิบล้อ」~笑えない所が笑い所?タイ人民度測定コメディ