2004-03-14[n年前へ]
■写真のワナ
前述の「謎の物体、それは黒い革靴」もそうですが、報道写真についてなかなかに面白い本が二十年前に出た新藤健一の「写真のワナ 」です。もともとの旧版を大学時代に読んで、それをいつのまにか無くしてしまったので、新版を数年前に買い直しました。今でもきっと手に入るでしょう。お勧め。
2004-05-08[n年前へ]
■三年前の今日見た景色と「誕生日が同じでも」
さらに Imaginary Placeを読んでみる。
「自分の誕生日がアンパンマンの誕生日と同じ日なんだと知った。星座も同じなんだから、きっと似ている所がどこかあるはず。だけど私は正義の味方じゃない。空も飛べない。美味しそうなほっぺも持っていない。似ているところが見つからない。探して、探して、探して・・・ やっと共通するところが1つだけあった。悪者のことがそんなに嫌いじゃないってこと」
誕生日データベースで私も自分の年月日で眺めてみる。きっかり十年前が布施博、きっかり十年後が、小泉孝太郎、ちょうど同じ年月日なのが沢村一樹。 あぁ、確かに似ているところが見つからない。あぁ、キャラクタ誕生日一覧を見ると「けろけろけろっぴ」のはすの上けろっぴとも同じだ。
2004-05-10[n年前へ]
■日記には書けないけれども "Sanae-chan was fluid in the net news"(書きかけ)
「日記に書けないこと」を読む。
皆様は、日記に書けないことが一体いくつありますか。【虚空に向かっておれカネゴン】
そう言えば…、と書きかける。なんだか、頭の何処かに浮かんでいる考えをまとめてみようとしているうちに、何故だかふと「"sanae chan"はもういない」を思い出し、そのページの日付を見て驚く。もう六年近く前になることに気づく。なんとビックリ、六年間とはいえ色んなことが起きている。
「"sanae chan"はもういない」がfjで流れて、その内容をLaTeXで整形しながら写経したのは、ほんの十年前のことなのにも驚く。
大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを描いたの一日中かかって一生懸命描いたのでも鉛筆で書いたからいつのまにか消えたの大学ノートの裏表紙のさなえちゃんが消えたのもう会えないの二度と会えないのLateXで書いたメールを送ったあの人には、もう会えないの。
2004-05-17[n年前へ]
■たくさんの「ドラえもん」と「のび太」たち
バッドノウハウカンファレンスのレポートを眺めた中で、とても惹かれたのがこの文章。
毎日のように問題にぶち当たるのび太と、適当な道具を与えたつもりが失敗を繰り返させてしまうドラえもん。どちらも未熟でどうしようもないですが、一方で彼らの信頼関係や甘い失敗劇に、ぼくらは羨望を禁じえません。そういえば、高校時代の英語の先生の一人の口癖が「他人に頼るばかりで、自分で戦おうとしない。日本人を駄目にしたのは『ドラえもん』というマンガだ」というものだった。けれど、私にはその言葉に少しの違和感があった。二十年近く経って、ようやくその違和感の原因を知ることができた。私の師事した英語の先生も、おそらく「子供たちがのび太に自分を重ねながら、ドラえもんを読んでいるだろう」と考えていたに違いない。「でも、ドラえもんになりたいと思った人はいるだろうか。きっと少ないだろう」と考えていたに違いない。そこに、おそらくその人と私の感じ方の違いがあったのだと思う。その感じ方の違いが私に違和感を感じさせていたのだろう、と思う。
もし勝手に今日だけの「オレ定義」をしてしまうなら、(少なくとも一部分的にでも)ドラえもんになりたいと思ったことがある人を(潜在的)技術系の人だということにしよう。私たちはきっとのび太ではなく、ドラえもんになりたかったのだと思う。あるいは、ドラえもんを作り出すのび太になりたかったのではないだろうか、と思う。だから、(例えば)エンジニア達は自分達自身を自分より人を助けることを大切に思う人だと思いこんでいるのだ。
「でも、ドラえもんになりたいと思った人はいるだろうか。きっと少ないだろう」と語る人に、そんなドラえもんになりたかった子供たちの気持ちをぜひ想像してみてもらいたい、と思う。
2004-05-18[n年前へ]
■「"幸せ"をはかる定規」なんてどこにも存在しない
「"幸せ"をはかる定規」なんてどこにも存在しない。失くしたのは、左手のクスリ指。そこは、目で見ることができる女のコの"幸せ"が象徴されている場所だ。
十一月の晴天の空の下、わたしは自分の指を踏んだ。その日から、もうすぐ十年になる。
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