hirax.net::Keywords::「文章」のブログ



2009-02-10[n年前へ]

「技術者」と「もしも」 

 「もし」と「もしも」の違いについて話題にしていると、ある(私が尊敬する)先輩技術者のひとりがこんなことをいった。

技術者は「もし」という言葉は使わないかもしれないなぁ。「もしも」という言葉は、リスクを考える状況において使うかもしれないけれど。
 なるほど、確かにそうかもしれない。「もし、○×な場合には~」というような言葉であれば、それは、「○×な場合には~」でも構わないわけである。「そのような場合」は当然考えている状況なのだから、わざわざ「もし」をつける必要がない、ということになる。

 ただし、やはり「もしも」というような状況、かなりの想定外の状況での対応は迫らざるをえないことも多い。だから、そんな時には、「もしも、○×のようなことが生じたら~」というフレーズは、技術者が使うことがある、というのだ。

 文章を書く道具は、書かれる文章の内容を変えるという。それとは逆に、何かを語る時には、その語る相手・状況といったもの次第で、その言葉を語る口癖が生まれてくるのかもしれない。

2009-05-06[n年前へ]

「人のために書くのがプロ、自分のために書くのがアマチュアだ」 

 斎藤美奈子「文章読本さん江 」から。

 文章のプロとは名のある作家やエッセイストのことではない。出版業界では「ライターさん」などと呼ばれる職人的な「伝達の文章」の担い手たちである。文章の「プロ」とは「プロフェッショナル」ではなく「プロレタリアート」の略語と考えるべきなのだ。名もない雑誌の記事だって、新聞の折り込み広告の文章だって、だれかが書いているんだよ。
 文章におけるプロとアマの差は、文章が上手か下手かではない。人のために書くのがプロ、自分のために書くのがアマチュアだ。

2010-01-11[n年前へ]

「言いたいこと」があるかどうかだ 

 北村薫「北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書) 」から

 一言にいって、私は文章と言うものを非常に簡単に考えている。つまり、言いたいことが、十分に言えているかどうかということだ。というより、いいたいことがあるかどうか、ということだ。

小島信夫

2010-02-12[n年前へ]

「場所と人の関係」は「恋愛の関係」に似ている 

 角田光代 「恋するように旅をして 」(旧題「恋愛旅人」)の「ポケットに牡蠣の殻」から。

 場所と人の関係というのは、恋愛にひどくよく似ていると思う時がある。
 この文が書かれるまでの流れ、そしてこの文が唐突に始まる、その流れが小気味よい。文章の一節ごとの繋がりが、そして、それら文章の一節ごとの跳ね具合が、まるでコブ斜面を蝶のように舞うスキーヤ―を見ているような心地になる。
 場所と人の関係が本当の恋愛と決定的に違うことがたったひとつだけある。
 前の一節、次の一節・・・前のコブ、次のコブ・・・力を抜いて跳んで、体を固めて次へ飛ぶ。そんな動きを眺めているような気持ちになる。

2010-02-22[n年前へ]

文章の目的と、その手段・方法について 

 文章というものについて知りたいのであれば、この一冊を読むべしという、丸谷才一の「文章読本 (中公文庫) 」中で書かれている文章から。

 文章というものは、判断や意見を相手に伝え(伝達)、あわよくばそれを信じさせるために書かれる。

 「論理的」ということでなく、人への「伝達」、人との「コミュニケーション」ということを(プレゼン資料を添削する作業を繰り返すことを通して)考えて、そして気付いたことを書いた「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書)」の3刷目が近々出ます。

 「基本ができる」ことは「応用することもできる」という言葉、基本ができれば何でもできる、逆にいえば基本ができる人は実は少ないという言葉を眺めたとき、そんな内容に納得することも・違和感を持つこともあるかもしれません。そのどちらにしても、少しばかりの時間を費やし、ご一読して頂ければ幸いです。



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