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2008-02-01[n年前へ]

AMスクリーンとFMスクリーンの只野仁 

 新聞のテレビ欄を拡大して見た。テレビ欄の番組紹介の写真や番組広告の写真を見た。 拡大してみたのは、特命係長・只野仁の番組紹介と広告と、モビットの広告だ。写真に写っている顔を拡大してみた。

特命係長・只野仁の番組紹介の記事写真に写っている高橋克典は、規則正しい周期的な画像が繰り返されるAMスクリーンになっている。けれど、モビットの桃井かおりは非周期的なドットが集まったFM系スクリーンで描かれている。…それならと思い、特命係長・只野仁の番組広告の写真を拡大してみると、番組紹介記事と違いFM系スクリーンで描かれている。

 このAMスクリーンとFMスクリーンの只野仁の違いは、どこにあるのだろう。「広告」と「記事」の違いだろうか。新聞社内の記事に使われる写真はAMスクリーンで、広告写真はFM系スクリーンで印刷されるのだろうか。

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2008-08-21[n年前へ]

「姉を慕い続けた少年ジャック」 

 2008年7月19日(土)の朝日新聞、「うたの旅人」はとても興味を惹かれた。ペギー葉山の「爪」を題材に、演出家・作家の久世光彦のことを書いた記事だ。

 「もう、向田さんのことを言ったり、書いたりするのをやめよう」とつぶやくのを聞いた。06年、急逝した年だった。
 「久世はやはり深爪で、裸足が好きでした。おしゃれで気の利いたお姉さんのような向田さんの影響をいっぱい受けてます。きっと心配りの仕方や好みまでまねていたのだと思います」
 一時期、向田邦子や久世光彦が書いた本、向田邦子や久世光彦に関する本を見つけるたびに読んだ。
 向田さんの、一目会った人を虜にしてしまう人たらしぶりは伝説に近い。…久世さんもまた、接した相手の心をつかむ人だった。かけられた言葉をずっと宝物のように覚えている編集者や書評家も少ないくない。
 「演出家として身に付いた癖なのよね。演出家は、出演者の一人ひとりを、違う言葉で口説き落とす仕事だから」
 「私は、少なくともあの一夜だけは、あの人を愛していたのだと思う」
 「久世ちゃんは、度を超すくらい好きだったんだと思うよ」
 「だからこそいつまでたっても思いきれない人なのかもしれない」

2009-05-09[n年前へ]

作家の愛した作家 

 久世光彦の「向田邦子との二十年 (ちくま文庫) 」について、朝日新聞2009/05/09の春山陽一氏の「再読ガイド」から。

 作家久世光彦さんのエッセー集「触れもせで」('92年)と「夢あたたかき('95年)には、いずれも「向田邦子との二十年」という副題がついていた。飛行機事故で81年に姿を消した作家の向田さんへの追慕をつづったものだ。絶版になっていた両者が今回、合本で復刊された。
 小紙「うたの旅人」記事で'08年7月に2人のことを取り上げ、久世さんの2冊が絶版であると触れた。それが縁で復刻されたという。情けを報せると書いて情報と読む。痛感した。

2009-05-11[n年前へ]

今という時代の自由と余裕 

 「自分の選ぶ道は最善の道」の小山薫堂のインタビュー記事

 見えとかプライドなどから自由でありさえすれば、自分の命や頭を使って、また何度でも自分の人生に立ち向かっていけるのです。
 この頃よく、自己プロデュースという言葉が、仕事の一つの戦略のように使われています。自分をどう見せるか、自己演出のようなイメージで用いられていますが、本来のプロデュースは生産するという意味で、外側を装飾するということではありません。そんなことに心を砕くのではなく、やはり、自分自身を磨き、素の力を強くしていかなくてはと思います。
 世の中にはたくさんのノウハウがあふれているし、社会的に受け入れられる方法を身に着けたいと思うのは当たり前かもしれない。それでも僕は、ちょっと落ち着いて、みんなが常識だという喧騒(けんそう)から距離を置いて考えてみて欲しいと思う。

2009-10-19[n年前へ]

ライフ・イズ・ノット・イージー 

 この先を読みたいと思いつつ、ゆっくりと頁(ページ)を読み進めていきたくなる本が、つまり、決して一日で読み終わってしまいたくないと感じる本がある。たとえば、「逆風満帆 」はそんな本だ。朝日新聞のbeに連載されていた記事の一部をまとめたこの本の頁は、丁寧にゆっくりと一文字一文字読み進めたい。

 <ライフ・イズ・ノット・イージー> (人生は楽じゃない) ニューヨークに住む矢野から槇原に届いた手紙には、そう記されていた。(中略)槇原を思いやる言葉とともに、人のこころの「光と影」についての深い洞察が、手紙にはつづられていた。
 …僕はまだ人の気持ちが全然わからないのに、なぜこの人にはわかるのだろう。こんなに優しい気持ちでいてくれる人に、なぜつらい思いをさせてしまったんだろう。
槇原に”謝罪”を迫る人はごまんといたが、心の底から素直に『ごめんなさい』と言えたこの瞬間を、彼は今も忘れない。

 この記事は、連載時からメモ帳にメモしたり、張り付けたりした文章や言葉が、いくつももあった。

 「人はさびしがりやであるべきだと思うよ。さびしくないように、相手のことを考えるから。多少は不安なほうがいいんだよ。そのほうが助けあえるからね」

 この下で彼が歌う歌は、このインタビュー記事の一年ほど前に彼が作ったもの。

結局、僕はそんな事を何度も繰り返し。
最後には何も見つけられないまま、
ここまで来た道を振り返ってみたら。
それを見た時の気持ちが、
僕の探していたものだとわかった。
今までで一番素敵なものを、
僕はとうとう拾うことができた。

「僕が一番欲しかったもの」(EXPLORER )



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