2006-12-24[n年前へ]
■雑文色々
「株式会社は誰のものですか?」「経済学の"とても一言ではまとめられないまとめ"」「カラーマンガ(版画)風に画像を加工するソフトを作る!」「画質改良版&OSX(intel)版 ミニチュア写真作成ソフト」「Mac OS X (intel & PPC)版の「版画ソフト」を作る」「逆さメガネ」
2007-12-02[n年前へ]
■「フェルメール・ブルー」と「有田焼」と「ガリバー旅行記」
フェルメールと言えば、「青」だ。「青いターバンの少女」をはじめ、高価なラピスラズリを顔料に用いて描いたウルトラマリンブルーの色調は、フェルメールの看板色となっている。
フェルメールの時代、彼が過ごしたオランダの街デルフトは、「デルフト焼」と呼ばれる陶磁器を世界中へ届ける街だった。デルフト焼は、美しい青で知られた「デルフトブルー」という代名詞で知られている。このデルフトブルーの原点は、日本の有田焼だった。日本の有田で作られた有田焼が(ヨーロッパで伊万里焼と呼ばれたものの多くは実は有田焼である)、世界初の株式会社と言われる連合オランダ東インド会社を通じてオランダに運ばれ、デルフトの陶工たちが、有田焼を参考にして「デルフトブルー」を作り続けた。そんな街で、フェルメールは毎日の景色を眺め続けた。
フェルメールは1632年に生まれ、連合オランダ東インド会社は1602年に設立された。そして、オランダ人が始めて日本にやってきたのは、1600年である。この年4月、大分にオランダ船リーフデ(英語の"LOVE")号が漂着したのが、日本とオランダのファースト・インパクトである。そして、そのオランダ船の航海長だったのがウィリアム・アダムス、後の三浦按針だ。
ウィリアム・アダムス=三浦按針といえば、ガリバー旅行記のガリバーのモデルとして知られている。ガリバーは第三篇で、空飛ぶラピュタ島などを経た後に日本へ行き、長崎から日本を離れイギリスへ帰国したが、そのモデル三浦按針は、望み叶わず、祖国へ戻ることなく1620年長崎の平戸で亡くなった。それが、フェルメールが生まれる12年前である。
日本からガリバーなどの手を経て、オランダへ渡った有田焼はデルフト焼のデルフトブルーを産む。フェルメールがラピスラズリでフェルメール・ブルーの色を調合しようとする頃、デルフトはデルフトブルーの青い色でで溢れている。歴史の流れも、何だかとても面白い。
2008-03-13[n年前へ]
■武藤鉦製薬「610ハップ」で温泉気分
温泉気分に浸ることができる「温泉の素」というものはたくさんある。けれど、「温泉気分」に浸ることはできても、「温泉泉質」に浸ることができるものは実はほとんどない。たとえば、温泉の成分の代表格である「硫黄」が入っている「温泉の素」はあまりない。いや、実際には、ほとんどない。
しかし、数少ない本当の「温泉泉質」を楽しむことができるのが、武藤鉦製薬株式会社の「610ハップ」だ。主成分はほぼ硫黄と消石灰……という、まさに自然の温泉成分そのまま、である。売れ筋商品ではないと思うけれど、薬局に行けば、きっと棚の片隅においてあると思う。
この「温泉の素」がどれだけ本当の「温泉の素」かというと、数年前の「白骨温泉の温泉(白濁)偽装問題」で使われた「温泉の素」がこの武藤鉦製薬株式会社の「610ハップ」であった、ということを聞けばわかると思う。白骨温泉のお湯が白濁しなくなってしまったとき、困った温泉旅館が使ったのが、この「610ハップ」だからである。つまり、老舗の白骨温泉の温泉旅館も認めた「温泉の素」が「610ハップ」だった、ということである。
「610ハップ」はボトルに入っているときは赤褐色の液体だが、これをお湯に少し(大サジ2杯程度)たらすとお湯はどんどん白濁していく。そして、回り一体は硫黄の匂いに包まれる。……一言でいってしまえば、近所迷惑の「温泉の素」でもある。しかし、その温泉効果は抜群だ。ニキビも消えるし、お肌は間違いなくスベスベになる。何しろ温泉気分のイメージだけでなく、硫黄大量投入の本物温泉泉質なのだから。
ちなみに、本物温泉・硫黄大投入の薬品だから、浴槽や周辺金属はあっという間に黒ずみ、劣化していく。……というわけで、使うにはある程度の覚悟が必要な「温泉の素」である。しかし、500円でお釣りがくる安上がりな「本当の温泉の素」でもある。もしも、知らない人がいたら、お勧めしたい(けれど、匂いや金属の腐食など覚悟もいる)のが武藤鉦製薬株式会社の「610ハップ」だ。
2008-05-05[n年前へ]
■「サービス整理」と「目標」と「結果」と「理由」
『(ヘア)スタイルに関する「知りたい・気になるキーワード」で検索をかけると、たくさんスタイルを見つけることができて、気に入ったスタイルがあれば、そのスタイルを自分の顔で確かめることができる!その流行度合いもわかる!』ということを目標に作ったWEBアプリケーションが、”Make up Award!”でした。「目標」と「結果」はほとんどの場合違うものですが、そんなことが「目標」でした。
ところで、「目標」と「結果」が違うように、作る「目標」と作る「理由」もまた違います。このWEBアプリ Make up Award! を作ったのは、「Mash up Award 3rd」に参加するためでした。なぜかというと、Mash up Award 3rdに参加すれば、富士ゼロックス株式会社のネットプリント・サービス連携インターフェイスを使うことができると知ったからです。
コンビニエンスストアに設置してあるコピー・プリンタ複合機とケータイとGoogleMapを連携させよう、という「WEB 2.0時代のコンビニ・プリント活用法」を書いた時に、「もっとコンビニ・プリントをもっと上手く活用してみたい」とつくづく思いました。そう思いながらも、やれたことはネットプリント・サーバをMechanizeでHackするということくらいだったのです。
そんなフラストレーションがあったせいか、ネットプリント・サービスの連携インターフェイスを使うことができるというだけの理由でMash up Award 3rdに参加しました。もちろん参加したからには、アプリケーションを作らなければならない…というわけで、Make up award!を作りました。Mash up Awardに参加するためのアプリだから、名前は"Make up award!"という単純ストレートなネーミングにしました。ネットプリント・サービスの連携インターフェイスは、転送ファイルサイズなどの制限もあって、サービスに付けるとこまでは行きませんでした。
ビギナーズラックで"Make up award!"は受賞式に出ることができたのですけれど、今ではその作りは眺めるのもイヤで、自分用のフレームワーク上で画像処理系のWEBアプリをすべて作り直したくなってきました(よくあることだと思いますが)。そこで、"Make up award!"などの整理をし始めました。
そういうわけで、いつまで現状の"Make up award!"を動かすかどうかわかりませんが、とりあえず、「浴衣」や「卒業式」といったキーワードで、スタイル検索をしてみると、結構面白いく楽しめるかもしれません。その流行度合いをグラフで眺めてみたりすると、あぁこういったものは「季節もの」なんだなぁ、ということを納得させられます。「浴衣」や「卒業式」の言及グラフを少し離れて眺めてみると、季節の移り変わりを実感することができるかもしれません。
2008-06-12[n年前へ]
■自分なりの「年表」を作って眺めて、納得してみよう
『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く!』で、経済学者の先生方に話を聞く中で、よく歴史を辿りながら話を聞いたように思います。「株式会社」の歴史、「消費」の歴史、「社会」の発展の歴史……色んな歴史を描き辿りました。そこで、単行本を作る時に、世界の社会背景変化や技術発展や文化の歴史などを、自分なりの歴史年表を描きながら眺めなおし、そして、講義の中で聞いた話や経済学者や事件などをその歴史に重ねつつ、読み直してみたのです。その年表を綺麗にしたものが、単行本の末尾にオマケで付けたものです。
自作年表のドラフト版が下の画像で、その一部を拡大してみたものが右の画像になります。「年表」を作りながら、歴史の中で起きた大きなことの多くは、その時代を眺めてみると、どれも何だか当たり前で必然のことなのだなぁ、と今更ながらに感じました。
たとえば、グーテンベルグが活版印刷を「発明」し、聖書が印刷され、プロテスタント系の人たちが印刷機で宣伝ビラを大量に作り、そして、宗教革命が起きていく。そんな歴史の中では、経済活動も科学技術も絵画などの文化も、どれも密接に繋がっていたんだなぁ、などと色んな事象の因果関係をとても自然に納得することができました。
私たちは、因果関係を頼りに納得することが多いように思います。ということは、自分なりの「年表」を作り、その年表を作る過程で因果関係を納得することで、よくわからないこと・苦手なことも理解しやすいのかもしれない、と思ったのでした。