2009-03-04[n年前へ]
■科学を物語をとして語る人文的手法
「連」がテーマのGraphicationの最新号 2009 No.161 より。
二十一世紀は、科学における人間回復の時代としなければならない。資源エネルギー問題や環境問題など、人間の存続が激しく問われる難問が山積みしていることを思えば、科学が人間に近づくことが求められているからだ。そのためには、科学を物語をとして語る人文的手法が欠かせない。分離の融合は必然的なのである。
池内了 「つながる知」-分離の融合 @ GRAPHICATION
2009-05-21[n年前へ]
■高学歴ワーキングプア
GRAPHICATION(グラフィケーション) 2009. No.162「特集:働き方を変えよう」
過去の時代に比べれば、自分の意志で道を選べる選択肢の多い社会が実現したかのように見えますが、しかしその実態は一方通行の専業型で、やり直しの効かないシステムがまだまだ支配的です。
人の働き方は、どんな仕事につくかというだけでなく、人の生き方、さらにはどんな社会を望むかという社会参加を含む選択の問題にもつながっています。資本主義社会の根幹をなす“賃労働”という、時間で労働力を売る働き方を変えられるかどうかなども大きな課題といえるでしょう。
真に多様な働き方が認められ、誰もが安心して暮らせる平穏な社会とはどのようなシステムが望ましいのか、今回の特集を通じて考察しました。
その中の連載記事、池内了「現代科学の見方・読み方 56」の「高学歴ワーキングプア」より。
市場原理を徹底させ、自由競争こそが活力のある社会を生むとの「新自由主義」経済は、未曽有の経済危機を招き、ますます格差が拡大して社会を披露させてしまった。
その中で高等教育を受け、博士号を取りながら、使い捨てられ、その日暮らしをしなければならない高学歴ワーキングプアが数多く存在することも忘れてはならない。
2009-10-08[n年前へ]
■「雑誌」について考える
無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか? を、さらに続けます。GRAPHICATION(グラフィケーション)の最新号である 2009 No.164 通巻353号 特集「雑誌を考える」から、気になった言葉を書き写してみることにします。これらの言葉は、すべて「雑誌」に向けられた言葉です。
雑誌の愉しみ方にはいろいろあるが、総じて雑誌が、知る喜び、読む楽しみにつながる知的訓練手段であることにも目を向けるべきではないだろうか。
巻頭言
雑誌というのは本来、それを始めた人の志が常に続いていくのが基本です。
池内 紀
歴史学者のE.H.カーは「歴史とは何か」と問われて、「それは現代の光を過去にあて、過去の光で現代をみることだ」と答えている。
佐野愼一
パラパラと紙を操るたびに似ても似つかぬ雑多なパラレルワオルドが目まぐるしく展開していくこの構造は、ネットサーフィン(もう死語かな)とは似て非なるものだ。関連記事のみに相互リンクが張られ、検索すべきキーワーすら思いつけない未知の世界には永遠にたどり着けそうにないウェブの構造に、そんな雑誌の構造的快楽を「移植」するのは、それほど簡単なことではないのだ。
山崎浩一
若い人は(書くのに慣れていない年寄りも)専門のことしか頭にないから、どうしても単調で硬い文章になってしまう。ありていに言えば、読んでいて楽しくないのである。
わかりやすく、深みのある文章にするためには時間をかけねばならないが、まだ片手間仕事の意識が強いから書き飛ばしになっていることもある。
また、専門の話だけでなく、もっと話題の幅を広げてくれればいいのだが、なかなかそうにはなっていない。科学は想像だけで書けるものではなく、事実の蒐集が不可欠なのだが、その余裕を持って執筆しないのだ。
池内 了
雑誌について本誌は1975年10月号で「雑誌考」という特集を組んでいる。「雑誌とは何か(PR誌というあり方を含めて)を読者と共に考えたい」と編集後記にあるので、今回とほぼ同じ主題を扱っている。30数年を経て、何が変わり、何が変わらないかを確認したいという思いと、雑誌を取り巻く環境の問題もあり、今回の特集号を組むことにした。
編集者 (T)
さて、GRAPHICATIONの定期購読申し込みはされたでしょうか? 読みたくなっては…きませんか?
2010-01-09[n年前へ]
■未来を考えるヒント
14年前、1996年にに出版された池内了「科学の考え方・学び方 (岩波ジュニア新書) 」のあとがきから。
本書は、21世紀を担うであろう若い君たちを主にイメージして書きました。…果たして、本当に励ましとなっているかどうか十分の自身はありませんが、君たちが未来を考える上で、少しでもヒントになれば幸いです。
この本の「はじめに」では、「理科系と文科系」というキーワードが入っている。この本を読み直していると、そんなキーワードをふと思い出した。また、途中、研究者にとっての研究費を得るための話が出てくる。その部分を読む際には、池内了の専門が天文学という”何に繋がるかが問われ、そのことを-確かに-考えているかを問われるはずの”学問であることを考えながら読まなければいけないのではないだろうか、と少し考えた。そして、もうひとつ、21世紀の現代は、すでにアーサー・C・クラークの3法則の3番目「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」時代になっているのではないか、ということがひとつ重要なキーワードなのではないか、という思いが一瞬頭の中に浮かんだような気がした。
そういえば、今日は、「宇宙に文明をもとめて」という話を、京都大学時計台で聞くことができたようだ。時間が許せば、こっそりと、ホールの片隅で、父が語る内容に耳を傾けてみたかったように思う。