1999-12-12[n年前へ]
■色覚モドキソフトを作る(色弱と色空間その4)
五十歩百歩
まず、先に書いておこう。今回は、
で作成したTrueColorと似たようなプログラムを作成してみたい。何しろ関係ない話が以降、長々と続くからである。昔から、科学者は「色」というキーワードに強く惹かれている、と思う。そんなことを私が思うまでもなく、量子色力学(quatumchromodynamics)、色つき空間群(Color-symmetry)等のキーワードにその事実は現れている。これらの言葉は普通に使われる「色」という言葉とは違う性質を表すものである。しかし、科学者が「色」というものを基本的なものであると感じているために、どんなものが対象でも、「性質」の代表的なものとして、「色」という言葉が連想されるのだろう。
私は学生時代の量子力学の授業のおかげで、「色」という言葉を聞くと今でも眠くなってしまうのである。何しろ、私の通う理学部の教室の横は農学部の畑だったのだ。教授の声と共に「モゥーーー」という牛の鳴き声が聞こえてくるのだ。教授の声と牛の鳴き声が絶妙のハーモニーとなるのである。ただでさえ眠くなるのに、そのハーモニーはクロロホルムもビックリの睡眠作用を発揮するのだ。私はそのハーモニーのおかげで何回も記憶を飛ばされた。
また、その牛達のおかげで、授業の中で「匂い」と聞いたりすると、牛の糞の「匂い」しか連想できないのである。困ったものである。あの農学部の畑がなければ、もしかしたら私は量子力学を好きになっていたかもしれない。そして、量子力学を極めていたかもしれないのだ...簡単に言えば私は量子力学の授業では落ちこぼれてしまったわけだ。
ところで、昔の科学者達を考えると、「色」に関わらなかった人を探すほうが逆に難しいように思う。ニュートン、マクスウェル、ヤング、ヘルムホルツなどが代表的である。当たり前である。物理・化学に関わらず、「光」には関わらざるを得ない。当たり前である。さまざまな計測を行ったり、エネルギーを考えたりする上で光は最も重要なモノである。
そして、「色」というものは「光」の大きな性質の一つである。しかも、それは「科学者自身にとっても」目に見える性質である。目に見えるものを無視する科学者は少ないと思われるので、科学者が「色」に関わらないわけにはいかないのだ。
割に最近の科学者でも、意外な分野の人が「色そのもの」の研究をしていることがある。例えば、シュレディンガーなども色空間の提唱をしていたらしい。確かに、量子力学から色空間へはつながりを感じないこともないのではあるが、少し意外でもある。そのシュレディンガーが提唱した色空間がどのようなものであるのか、私は残念ながら知らないのだが、波動を深く研究していたシュレディンガーが提唱する色空間というのは非常に興味のあるところである。また、化学。物理学者であるダルトンは自らも色弱であるため、特にその辺りのことを研究し、報告している。
さて、そのダルトンをinfoseekで検索してみると、
- ダルトンレンズ (http://www2u.biglobe.ne.jp/~ohsaka/index2.html )
もちろん、WEBページは会社の心(色弱と色空間 その2) - WEBページのカラーを考える 3 - (1999.08.10)で作成したTrueColorも同じような目的のために作成したものであるが、あれはあまりにも大雑把なモノだったので、作り直してみたいのである。なお、今回は画像のRGBとL、M、S錐体の反応の間の変換は
そこで、こういったWEB上の画像を読み込んで、
でやったL,M,Sの各錐体の感度が低いときの色覚シミュレーションを行うソフトを作成してみた。ソフトはこれである。前回と同じく、Susieプラグインを用いて画像を読み込んでいるので、「Susieの部屋」などから、Susie本体・あるいはプラグインを入手する必要がある。また、手間を惜しんだためProxy対応にはしていない。さて、動作画面サンプルを以下に示す。初期状態では
- ダルトンレンズ (http://www2u.biglobe.ne.jp/~ohsaka/index2.html )
この画面例では各錐体の感度は全て100%になっている。
それでは、以下に適当に錐体の感度パラメータを変化させた場合のサンプルを示してみる。
こうしてみると、これまで見てきたものとは違う数字が浮かび上がることがわかる。89,52などである。こういう仕組みを用いたのが、石原式などの色覚検査のやり方である。つまりは、異なる色を識別できないこと、すなわち、混同色を用いているのである。混同色を用いて文字を描くことにより、色弱であるかどうかを判断しようとするものだ。
さて、こういった書き方をすると、色を混同してしまうのが色弱の人だけと勘違いされてしまいそうであるが、そんなことはない。全ての人が「色を混同してしまう」のである。どんな人でも、異なる波長の光であっても、例えばRGBなどの(多くても)三色を混合すれば同じ色に見えてしまう。つまりは、混同色だらけなのである。健常者と呼ばれるヒトも色弱と呼ばれるヒトもたかだか数種類の錐体を持つにすぎない。
色々な光の波長分布を認識できる生物がいたとすると、彼らがからすればヒトは全て色弱ということになるのだろう。つまりは、五十歩百歩といったところなのかな、と思うのである。
2003-10-11[n年前へ]
■「心の痛み」の存在を科学的に立証
この感情にまつわる脳の活動状態は、物理的な痛みを感じた時の脳の活動状態と類似していることから、科学者らは、失恋や社会からの疎外感などの感情的衝撃を体験した時も、脳は物理的衝撃を受けた際と同じ反応をしていると分析。その痛みの程度は、失恋では骨折、友人からの仲間はずれやデートでの待ちぼうけの際には、足をナイフで刺されるのと同じレベルの痛みとしている。何処の誰がどんな風に解析をしているのかが全く読み取れない記事である。もっと他の情報へのポインタでも示してもらいたいものだ。
2004-09-12[n年前へ]
■科学と理系とエトセトラ
物理学の本を素人が読みますと、香も音も色もただそれを感じる人間の感覚器官がちがっているだけでありまして、根はおんなじもののように思われます。科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。川端康成「抒情歌」
田中麗奈の「周りに『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたら ・・・そういう事を聞きました」という話も面白いかな。それが理系でも文系でも誰でも関係なく。ところで、「その答えは何処かに有る(と思いたい)」という世界が面白いかも、あるいはそうじゃないのかも。 from ぽいんつさんのブログ.
2004-12-09[n年前へ]
■頭と性格と体力
寺田寅彦の「科学者とあたま」を読むと、やはり藤原正彦を思い出す。危険な曲がり角や○×を志す人の性格条件/プログラミングと体力というような話だが、このエッセイを読んだことがない人は一読してみるのも面白いかも。知らない人は少ないと思うが念のために書くと、数学者である藤原正彦は父が「銀嶺の人」を書いた新田次郎であり(気象庁勤務時代に富士山レーダー建設に携わり、プロジェクトX 第一回の主人公にもなっている)、母が「流れる星は生きている」を書いた藤原ていである。
2004-12-14[n年前へ]
■コンピュータ科学者達から一番感謝を捧げられている人
コンピュータ科学の論文における謝辞中に「誰が最も搭乗したか?誰が一番感謝されているか」を調べた「コンピュータ科学者達から一番感謝を捧げられている人」 「たくさんの人を励ましたその結果(最も感謝される人になった)なのかも」という(このデータを見てまず最初は思わず絶句した)本人の言葉。