2008-12-23[n年前へ]
■答えが見つからない「女性作家のコトバ探しミステリー」
角田光代の「酔って言いたい夜もある」は、魚喃キリコ・栗田有起・石田千・長島有里枝と「同じ皿の料理を食べ飲みながら」喋った内容を本にしたものだ。その中の第2章、角田光代が栗田有起と話している部分に、気になる箇所がある。
角田:絶対にこういうことは書きたくないということはありますか?
栗田:まだわからないんですよ。でも絶対に避けてるものはある。・・・角田さんは絶対にね、書かないことがあるんですよ。
角田:私は、川上弘美さんがすごい好きなんですけど、川上さんって、ドロドロしたことを絶対書かないなと思って、そのときにハッと気づいた。この作家はすごく慎重に書かないんだ!書かないことでなにかを言ってるんだ!って。
栗田:確か江國香織さんもインタビューで同じようなことをおっしゃってたんですよ。書きたくないものがあるって。あと丸谷才一さんのエッセイでも、その作者がなにを書かないかということも考えながら読まなきゃいけないって。
ここで触れられている「江國香織が話したこと」を眺めてみたくて、ずっと探しているのだけれど、そのインタビュー記事を未だに見つけることができずにいる。「書きたくないものがある」という言葉を探す何か一種の「ミステリー」のような気分で、本棚をよく眺めたりする。図書館に行けば、(CD-ROM版の)大宅壮一文庫を検索できたりするのだけれど、それはアンチョコをいきなり見てしまうようで何だか味気なく、ただひたすら答えが書いてありそうな本を読みあさっている。
「書きたくないものがある」というのに少し近い言葉だと、そして、角田光代と栗田有起が会って話した時期より前に栗田有起が目にした可能性があるものだと、後藤繁雄が柳美里・吉本ばなな・川上弘美・赤坂真理・山田詠美・中上紀・江国香織・松浦理英子という8人の女性作家にインタビューした「彼女たちは小説を書く」の中に、こんな会話がある。
後藤:(江國さんの小説って)大きな事件というのをつくらないでしょ。どうしてですかね?
江國:どうしてでしょうね。多分、単に私の書きたいことじゃないからでしょうね。この本は、雑誌連載を出版したものだけれど、雑誌が出たのも本が出たのも、栗田有起がデビューする前になるから、時期的にはおかしくはない。・・・けれど、何だかこの会話は、答えから遠くはないけれど近くもないという感じがする。
ただ、「彼女たちは小説を書く」の中で、「書きたくないものがある」という言葉とかなり近い内容を山田詠美が語っている。
山田:私、自分が書きたいと思うことよりも、書きたくないことの基準を決めておくことの方がずっと大切だと思っているんで・・・それが矜持と言えば、矜持ですね。
後藤:書かない部分に厳密ですね。
山田:そうですね。書かない部分の方が重要ですね。
栗田有起が喋った「江國香織のインタビュー」は、もしかしたらこの「(江國香織もインタビューイになった)インタビュー連載の中にある、山田詠美のインタビュー」なのだろうか。そうであってもおかしくもない、と考えつつも、何だかそれは「決めつけ」に過ぎないようにも思う。
そんなわけで、「女性作家のコトバ探しミステリー」は未だ答えが見つからない。その分、足を棒にして、読む本だけは増えていく。
だから、答えが見つからない方が、きっと楽しい。
2009-08-27[n年前へ]
■課題解決の結果生じた次課題を解決することが小説を書くということ
児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から角田光代の言葉。
Aという小説で私なりにあることができたと思った時に、(その結果)Bという課題が生まれたとします。すると、次にBの課題を入れ込んだ小説を書くというふうに、「読み手に向けて」よりは、「自分の中にある課題を片付けていく」というのが近いですね。
この言葉は、「ひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業」に書いた、村上春樹の言葉と合わせて読むと興味深い。
2009-08-28[n年前へ]
■勉強や興味が幅広い人は・・・
児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から、児玉清の言葉と、それに対する角田光代の言葉。
実際の社会は、自分のなりたいものになれなかった人が大半でしょう?
そういう人は、数学や物理や歴史をちゃんと勉強し、興味の幅を持っていたから、最初になりたかったものになれなかったと思うんですよ。
2010-02-09[n年前へ]
■「恋愛旅人」と「頁の折り目」
角田光代 「恋するように旅をして 」(旧題「恋愛旅人」)から。
小学校の高学年が一、二年で学ぶことを、二十歳をすぎた私は十年以上かけて学びつつある。アジアとヨーロッパの区別。大陸の区別。そこで生産される製品と、そこで生きる人々。人々の持つ歴史と、彼らの食べる日常食。差別ということ。和解ということ。
古本で「恋するように旅をして 」を買い、列車の中で頁をめくる。読み進めていると、端に折り目のある頁が、いくつかあった。
私の前にこの本を読んで、頁の端を折った誰かは、一体どの言葉に惹かれたのだろう。頁の端っこをどちらの面に向けて折り、そして、どの言葉を記憶しておこうと思ったのだろうか。
本を読みながら誰かが感じたことの痕跡が、頁を折った跡の向こうに見える。その人の感じた道のりを、ふと辿ってみたくなる。その気持ち・心の動きは、少し、恋愛に似ている。
2010-02-12[n年前へ]
■「場所と人の関係」は「恋愛の関係」に似ている
角田光代 「恋するように旅をして 」(旧題「恋愛旅人」)の「ポケットに牡蠣の殻」から。
場所と人の関係というのは、恋愛にひどくよく似ていると思う時がある。この文が書かれるまでの流れ、そしてこの文が唐突に始まる、その流れが小気味よい。文章の一節ごとの繋がりが、そして、それら文章の一節ごとの跳ね具合が、まるでコブ斜面を蝶のように舞うスキーヤ―を見ているような心地になる。
場所と人の関係が本当の恋愛と決定的に違うことがたったひとつだけある。前の一節、次の一節・・・前のコブ、次のコブ・・・力を抜いて跳んで、体を固めて次へ飛ぶ。そんな動きを眺めているような気持ちになる。