hirax.net::Keywords::「ドン・キホーテのピアス」のブログ



2005-04-22[n年前へ]

「修正できない」という前向きの感覚 

 鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」 ライブを止めてスタジオ録音だけをするようになったことで解散したバンドの例をひきながら、

まさかミスしないだろうと思う所で人間はミスするのです。で、相手を責めているうちに自分もミスをして、結果、お互いはお互いのミスを受け入れ、そして、それはつまり、相手の存在を受け入れることになります。そして、自分を受け入れるのです。
 「WEB」上の、掲示板やBlogやWEB日記や色んなものを「スタジオ録音 <- -> ライブ」軸に並べてみるのも良いかも。

2005-06-14[n年前へ]

「リアリズムとファンタジー」 

 週刊SPAに連載されている、鴻上尚史のドン・キホーテのピアスを読みました。

 いい作品は、人生に対するリアリズムとファンタジーが同居しています。リアリズムだけでは苦しすぎるし、ファンタジーだけでは納得できないのです。 リアリズムは「人生をちゃんと負けた人間が感じるリアリズム」です。ファンタジーは「人生、やがて勝つという根拠ない確信に満ちたファンタジー」です。 この二つを同時に持つというのは、それは難しいものです。
 この後は、「けれど、これからはリアリズムとファンタジーを選び、自分なりに同居させる必要がある。それがいい人生にするコツかも」と書かれています。inside outそういえば、前に「強弱」の定義について書いたことがあります。今日は、(日替わりメニューのように)こんな「強弱」定義をしてみることにしましょうか。それは、「リアリズム」と「ファンタジー」の両方を持っている人が強い人、という定義です。「リアリズム」と「ファンタジー」のどちらか片方だけしか持ち合わせていない人は少なくとも、強い人ではないという定義です。そんな人は「強い人」かもしれないし、「弱い人」かもしれないし、あるいは弱い人なのかもしれませんが、強い人ではない(と今日はしてみる)のです。

 すると、「いい人生にする」ためには、結局のところ強くなるのが一番の近道だ、ということになります。そんなこと本当にできるのかな?と疑問に思うこともあります。「この二つを同時に持つというのは、それは難しいものです」と書かれているくらいですから、それは簡単なことではないのでしょう。私も、(kaco (カコ)さんへの返事として)「強弱」の定義で
実のところ、私は「カッコがつかない強い人」というものをその言葉の意味も含めてよく想像することができません。意味すら想像できないのですから、そんな人が実在するのかどうかなんて、全然わかりません。もしも、そんな強い人というものが実在するのなら、それは「人じゃない」んじゃないか、とすら思ってみたりします。 つまり、もしも「カッコをつけなければ」人は全て弱いと思っているわけです。そして、それとは逆に「強い人」というのは、もしかしたら「自分にカッコをつけてしまっている」のかもしれない、とも思うわけです。
なんて書いてみたりしたわけで、「リアリズム」と「ファンタジー」を兼ね備えた強い人がいるなんて想像することができません。だけど、それでも、一人の中にだけでなければ、何人かを集めてみれば、そんなものを同時に持つことができるかもしれない、と思うこともあります。やっぱり、わからなくなってしまうことも多いですけれど。

2005-11-08[n年前へ]

「物語を作り、現実を解釈し、意味を発明する」 

 今日は火曜日なので、鴻上尚史のドン・キホーテのピアスを読むために、週刊SPAを買う。

 「癒す力」とは、「あなたの存在は、無意味でない」と教えてくれる力のことです。「物語」を作るということは、現実を解釈することですから、つまりは意味を発明するということです。 現実に「起承転結」を持ち込む「物語」は、あなたの生活に意味を与えます。「物語」は、無条件で、あなたの人生に意味を与えるから、本来的に「癒す力」がある、と言えるのです。 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス 543

2006-02-26[n年前へ]

コミュニケーションの距離感覚 

 from n年前へ.

「電話は生々しくうっとうしく、メールの距離こそが気持ちいい」と感じる人は間違いなく増えています。それは、電話が普及した当時、「直接会って言うより、電話で話す方が楽で話も弾む」と感じる人が増えていった流れと同じです。  鴻上尚史「ドン・キホーテのピアス」

2006-04-05[n年前へ]

「今や、数の原則がメインカルチャーを担っている」 

 各種締め切りに追われていた。気づくと、ポケットにたくさん破った紙が入っている。移動途中などに雑誌を読んで、「気になったページ」を破りとったするからだ。というわけで、ポケットの底に入っていたのが、この「今や、数の原則がメインカルチャーを担っている」 ホリエモンと数の原則について、何回か連続して書かれたうちの一回。

数に還元しないもうひとつの世界観があるんだということを知らない世代は、そもそも、どうして演劇ジャーナリストがぼやいているのかも分からないでしょう。 人は、数の原則をメインカルチャーの基準にしようと願ったのではないかと思います。中途半端な数だと、サブカルチャーになるけれど、圧倒的な存在はメインカルチャーになる。  鴻上尚史 「ドン・キホーテのピアス」555回



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