hirax.net::Keywords::「リコー」のブログ



2003-06-13[n年前へ]

今日のビックリ 

 ロゲルギストの今井功さんの息子さんがリコーにいて、それがあの今井さん、と聞いていやホントにビックリ。

2003-09-28[n年前へ]

今日書いた報告メール 

ひらばやし@New Orleansです。今日は講習会の一日でした。Ice Breakerのパーティーでは異文化コミュニケーションの難しさをつくづく感じます。リコーの二人と一緒にメリケンさんを拉致し、「三本の矢は折れない作戦」でガチガチの凍りきったトークを試みましたが、三本の矢が次々に折れまくりの苦戦中に仲野さんが近づいてきて、その隙にメリケン捕虜に逃げられてしまいました。さて、今回の会場の辺りはずいぶんと寂れた廃墟ビルが多いです。なんというか、ウェストサイドストーリーのでチンピラ達がナイフを持って対決していそうな街並みが続いています。うーん、もっとわかりやすく言うと、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロモ・ビデオでゾンビ達が踊りまくっていたような通りが続いています。この街並みでチンピラやゾンビが出てこない方が間違ってるくらいだと思うのです。昨日は街を歩いていていきなり「自然が私を猛烈に呼び始め」、ディスコのトイレへかけこみ放水活動にいそしんでいると、背後からいきなりマイケルタイソンみたいな巨漢が「アメリカンなふぁっきんなやり方を教えてやるぜ、ベイベー」と意味不明に私に唸りはじめて、私を呼ぶ自然の声もいきなり遠ざかってしまいました。教えてくれるのがなんのやり方か知りませんが、ノーサンキューのココロだったのです。今考えてみると、放水活動のやり方のことだったような気もするのですが、どちらにしてもノーサンキューのココロです。というわけで、無視してしまったわけで情けない最悪なパターンです。

2004-04-14[n年前へ]

人間の精神力、気力の限界 

 リコーって何だか面白いなぁ。

精神的苦悩と焦燥から肺浸潤に掛かるが、…マラソンの抵抗療法を始める。150日に及ぶ監房生活中、拷問の苦痛の限度には気絶があって耐え得られること、…を知る。踏切りで乗用車が電車と衝突、死体安置室で意識を回復するほどの重傷を受ける。運転手は即死。再度人間の精神力、気力の限界を試すため、麻酔なしの手術を受ける。
 …スゴイ人だ市村清さんという方は。

2004-07-24[n年前へ]

手作りヌーブラを作る 

ヌーブラを作る シリコーンゲルを使って、自分だけのヌーブラを作る

 記事中には「シリコンを使ってヌーブラを作る」と何度も書かれているが、「シリコン」と「シリコーン」では大違い。「シリコンで作られたヌーブラ」があったら、いくら何でも堅すぎるに違いない。シロコン・ウェハーでintelが作ったら、ビックリだが。

2004-07-31[n年前へ]

「書き変えたベクトル」を眺めたい 

 先日、大阪で「電子写真の極限画質を探る」というシンポジウムがあった。プログラムには「電子写真プロセスを理論的に考える」と記載されているリコー渡邉/門永氏の講演は「電子写真プロセスを物理的に考える」という題名だった。そこには、「理論」ではなく「物理」だ、という両氏の意志があるわけだ。その「理論」→「物理」という二文字の変化の方向・ベクトルに、彼らのベースにある考えがほんの少し映し出されているわけである。

フォリー・ベリジェールの酒場 森村泰昌がマネの「フォリー・ベルジェールの酒場」の登場人物を演じることにより、「美術史の娘/劇場A」「美術史の娘/劇場B」を作成したときに、森村泰昌は「マネの絵では酒場のカウンターに手を置いているが、実際にやってみると描かれた(マネが描いた)酒場の女性の腕は極端に長くデフォルメされていた」ことに気づく。マネが腕を極端に長く事により、「白い顔・白い胸・白い腕」で形作られる力強い三角形が酒場の女性を力強い主役へと変え「その女性の力強さをマネは描いていた」のである。

美術史の娘/劇場A美術史の娘/劇場B 結局、森村泰昌は「長く太い腕を石膏でつくり、自分の腕と握り拳で女性の胸のふくらみを語る」ことにした。マネが描いた極端に「長い腕」を「石膏の腕」に変え、「白い胸のふくらみ」を「力強い握り拳」へと変えるのが、森村泰昌が書き換えたベクトルだったことになる。それは森村泰昌が示した強い意志に他ならない。

 よく、更新があったWEB日記などを見に行くと、書かれている内容は増えていないのだけれど、言葉が少し書き換えられていることがよくある。それは文章を推敲したことにより変わったのかもしれないし、何かの事情で書き換えたのかもしれないが、「変更前」→「変更後」という言葉を書き変えるベクトル・意図が書き手にあるのは確かだろう。その書き手のベクトルを眺めてみたい、とよく思う。

 更新チェックをするアンテナで、更新された履歴だけでなく、言葉が書き変えられた履歴を眺めてみたい。書き手がこだわって書き変えた小さな部分を知りたい、眺めてみたいと思う。何を意識して、「元の言葉」からそれとは違う「他の言葉」へと書き換えたかを知りたい。どう「書き方」を変えたかを知り、その書き手の中に流れる「何かを書き変えたベクトル」を眺めたい、と思う。そして、その先に示されている意志を想像してみたい。



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