hirax.net::Keywords::「世相」のブログ



2003-01-29[n年前へ]

Nothing but Echo 

水面に映る「私たち」


 「ニュースは世相を映す」とよく言われる。「世間で起きる出来事を伝えようとするもの」が「ニュース」なのだから、「ニュースが世相を映す」のは当たり前なのかもしれない。けれど、それだけでなく「ニュースは世の中の私たち自身を写している」ものだと思う。それは、世の中にいる誰かが「ニュース」を伝えようとするものである限り、その「ニュース」を受け取ろうとする私たちがいる限り、そのニュースは「私たち自身」を映し出すものだと思う。世の中にいる誰かが何かを伝えようとして、世の中にいる私たちがその何かを受け取ろうとしている限り、そのニュースは結局のところ「私たちの姿」を忠実に描き出すものだと思う。水面を上から覗きこんでみれば、その水面に景色だけでなく私たちの姿も同時に映りこんでいるように、ギリシャ神話のナルキッソスが泉の中に自分自身の姿を見たように、その「ニュース」には世の中の出来事だけでなく、私たち自身だって写りこんでいるに違いない。

 大林宣彦は朝日新聞「私の視点」の中で次のように語っていた。

「報道とは本来が客観的事実のみを伝えるものではなく、記者個人にとっての心の真実を伝えようと願うものであり、… そしてまた、僕ら自身がメディアに何を求めているのかが、今問われている … 僕らは、実は語る人間でもあるからだ。メディアもジャーナリズムも世論も僕ら自身であるからだ。」
この言葉通り、メディアだってジャーナリズムだって結局のところは私たち自身なんだと思う。

 これはもちろん、「ニュース」の伝え手の役目も果たす2ちゃんねるだって同じだ。「名無しさん」という「誰でもない誰か」、だけど「世の中の何処かにいる誰か」の姿は結局のところ私たち自身の姿なのだと思う。だから、「2ちゃんねるは**だ」という言葉は全て私たち自身に「私たちは**だ」という言葉となって返ってくる。「2ちゃんねるはゴミだ」と口に出せば、それは「私たちはゴミだ」というエコーとなって返ってくる。もしも、「2ちゃんねるには宝石も埋まっている」というのであれば、「私たちの中には宝石も埋まっている」とそれは響くだけのことである。
 

 昨年末に放送されたNEWS23の 「あなたの物語」「誰でもない誰かの物語」では、視聴者の「テレビニュース」に対する意見をリアルタイムに募集しながら、その集まってくる答えを刻々とテロップとして流していた。「テレビニュース」が世の中に与える影響は?とか、「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?とか、そんな質問への二択の答えの集計結果を刻々と流していた。その問いの中の、そして答えの中の「テレビニュース」の部分は全て「僕ら自身」と置き換えられるのだから、その最後の集計結果は全て自分達自身にエコーのように降りかかってくる。水面に映る「私たち自身が描く私たち自身の姿」を、恐る恐るそして祈りとともに覗いてみるのである。
 
 

「テレビニュース」「私たち」が世の中に与える影響は?

良い   悪い
 
 

「テレビニュース」「私たち」は信用できる?

はい   いいえ
 
 

「テレビニュース」「私たち」はあなたの人生にとって「なくてはならないもの」ですか?

Yes   No





2004-07-03[n年前へ]

青春18切符で見る景色 

寝坊したら、すごくソンした気がした。 荒木経惟が撮影していた頃の青春18切符のポスターやチラシが好きだった。「誰も私を知らない」「この町とヒミツをつくる」「この街で育ったら、どんな私になっていただろう」なんていうコトバと共に、そこに写る景色を眺めていた。今だって部屋の片隅を眺めると、「『出会い』なんてコトバ、古くさいと思っていた」なんてチラシが見える。

 そんな風にチラシやコトバを気に入った人達たくさんいて、そのコトバを写経するかのように書いてる人や、そのヒトコトを考察している人もいる

 写真に写る景色やチラシに書かれた言葉はきっと何処かで世相を映しているはずだ。そんなものを眺め返してみるのも良いかもしれない。知っている人達は懐かしく眺めて、もしも知らない人達ならば、それを新鮮に眺めてみるのも面白いはず。色んな景色やコトバを眺めて、あなたはどのコトバ・景色が気に入るでしょうか。 from カフェのひとのWebメモ。

2004-11-09[n年前へ]

何処へ行く?Google:もしかしてシリーズ 

 「就職しない = もしかして: 就職できない」 ニュースは世相を映すとはいうけれど、検索結果は世相を映すんだなぁ。 from 読書記録ChangeLog
Google 検索: 就職しない読書記録ChangeLog / 2004-11-09

2007-12-28[n年前へ]

和尚さんとWEBショップ 

 スラッシュドットの「後継難に悩む寺を救う? 全自動鐘つき機が普及中」 という記事中で紹介されていた寺院商品専門WEBショップの広告が面白い。特に、趣味・便利用品が素晴らしい。アルコール検知器ソシアック・賽銭用警報機・頭のアブラを取れる大判あぶらとり紙…、世相を反映した商品の数々が並んでいるのを見ると、袈裟を着る和尚さんたちを身近に感じてしまう。和尚さんたちが、こんなWEBショップのボタンを押し、カートに商品を追加したりしていると思うと、それだけで何だかとても楽しくなる。

2008-02-16[n年前へ]

「鯖街道」と「地獄八景亡者戯」 

 NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」で、涙なくしては見ることができない「地獄八景亡者戯」が演じられている。何週間かかけて、何人もの登場人物たちが、それぞれの人生に重ねた「地獄八景亡者戯」を演じる。その幾重にも重なる人生の姿に涙する人は多いと思う。

 冥途を旅する……という話のルーツは随分古いものがありましょうが、これを滑稽なしゃれのめした物語にしたのは、(室町の狂言にもありますが)やはり江戸時代からでしょう。

 「地獄八景亡者戯」は、鯖にあたって死んだ「喜ぃさん」の話で始まる。若狭の海から京都・大阪へと鯖を運んだ街道が鯖街道・若狭街道だということを思い返せば、何だか「地獄八景亡者戯」はとてもその鯖街道と似合ってる。

 もともとこの話は、その時その時の事件や世相流行などをとり入れて、言わばニュース性を持たせてやる演出で伝わってきたものです。五世笑福亭松鶴師のは、私が聞いたのは戦後でしたが、昭和初期の赤い灯青い灯の道頓堀、カフェー全盛時代や、活弁の真似なんかがはいっていました。
 このはなしの一応の原典と見てよいものは江戸時代の小咄本にありますが、各地の民話にもあり、また欧州の民話にもあるそうで、木下順二氏の「陽気な地獄破り」はこのヨーロッパの民話を基にされています。本当の原典は従ってよく判らないというのが答えと言えましょう。

 小浜の町から若い(わかい)主人公 若狭(わかさ)が関西の街へ出て、年を重ねつつ色んなものを見る。そんな話と「鯖街道」と「地獄八景亡者戯」は、とても自然に重なっている。

 その内に、これを十八番の持ちネタとして新しい「地獄八景」を作ってくれる人が出てくることでしょう。これは滅ぼしたくない話です。

『特選!! 米朝落語全集』 第十五集








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