hirax.net::inside out::2007年12月28日

最新記事(inside out)へ  |   年と月を指定して記事を読む(クリック!)

2007年11月 を読む << 2007年12月 を読む >> 2008年1月 を読む

2007-12-28[n年前へ]

和尚さんとWEBショップ 

 スラッシュドットの「後継難に悩む寺を救う? 全自動鐘つき機が普及中」 という記事中で紹介されていた寺院商品専門WEBショップの広告が面白い。特に、趣味・便利用品が素晴らしい。アルコール検知器ソシアック・賽銭用警報機・頭のアブラを取れる大判あぶらとり紙…、世相を反映した商品の数々が並んでいるのを見ると、袈裟を着る和尚さんたちを身近に感じてしまう。和尚さんたちが、こんなWEBショップのボタンを押し、カートに商品を追加したりしていると思うと、それだけで何だかとても楽しくなる。

「何か」を作り上げた人はエラい 

 ある程度の大きさの「何か」を作り上げた人は、掛け値無しにエラいと思う。心の底からそう思う。小さいけれど完成した一つプログラムを作り上げる人、拙いけれど一つの絵を描き上げる人、一つの製品を作り上げた人、あるいは、一つの小説を書き上げた人、私はそんな人たちを本当にエラいと思っている。 プログラムを使うとき、絵を眺めるとき、何かの製品を使うとき、そして物語を読むとき、どんなものであっても、そんな思いを直接言う機会はないけれど、いつもそう思っている。

 関西で暮らした学生時代に、一番好きになった言葉・音は「エラい」というコトバだった。「エラい」と発音された音は、状況次第でたくさんの意味になる。たとえば、「えらい早いやんけ」というような用例のように、この音は時に「とても=Very」という意味になる。また、その「エラい」というコトバは時には「疲れる・しんどい」という意味に響くこともある。例を挙げれば、「えらいめにあったわ!」とか「あの単位取るのえろーえらいんやて」という具合だ。もちろん、そのエラいという音が「偉い」という意味に聞こえることもある。同じ発音の「エラい」というコトバが、こんな多くの意味を持つ。

 ある程度の大きさの「何か」を作り上げた人、あるいは、そこに伴う作業を私は「エラい」という音が持つあらゆる全ての意味において「エラい」と心から信じる。「エラいエラい作業をエラいこと続け、ちゃんと形にするなんてエラいエラいなぁ」と思う。関西弁って面白い。