2007-12-09[n年前へ]
■私たちの前にある「たくさんの古いこと」「数えられない新しいこと」
少し前、「栄光なき天才たち」の原作を書き、重力多体問題用スーパーコンピュータ"GRAPE"(分子動力学用途のものはWINEである)の実作業を主として担った伊藤智義氏が、高校の数年上の先輩にあたるということを知った。GRAPE関連の書籍などは色々読んでいたが、あのありふれた公立高校の校舎にいた人だとは、全然気づかなかった。この記事を読んで、なんだかとても嬉しい気持ちになったのだけれど、その嬉しい気持ちに忸怩たる違和感も、チリチリと感じた。
その違和感の原因は、私自身が別に何をしているわけでないのに、嬉しく思う・感じるのはなぜなのだろう?と考えたからだ。もしかしたら、私の気持ちの底に「虎の威を借る狐」のような欲望があるのだろうか、と考えたからだ。
「ふるさとは語ることなし」と、坂口安吾は死ぬ直前に書いた。ふるさとのように、ふるいこと、自分でない誰かがしたことは数え切れないくらいたくさんある。けれど、私たちができること・したいことも、まだまだたくさんあるはずだ。新しいこと・してみたいことは、私たちの前にたくさん積み上げられている。「ふるさとを語る」のは、まだ早い。
坂口安吾のキーワードである「ふるさと」という言葉には、二重性というより、対極的で相反するものが、そのまま一つの言葉の中に込められているという気がする。
「桜の森の満開の下」解説 川村 湊
2008-11-13[n年前へ]
■「多体問題」と「政治」
社会学者の橋爪大三郎の言葉としてこんな一節を聞いたことがある。
二人の人間の関係は「力関係」だが、人づてにこの言葉を聞いたとき、なぜか妙に納得した。
三人以上の人間関係は「政治」だ。
その時、妙に納得した理由の一つに「多体問題」が頭に浮かんだことがある。「相互に影響を与えあうものの挙動を扱う問題」を連想し、2つのものの間の問題、つまり「二体問題」は解くことができるが、三体以上になると(極めて少ない例外を除けば)一般的に解くことができなくなる。
ここで、振り返って橋爪大三郎の言葉を読み直してみると、それはこんな風に変わる。
二人の人間の関係は「力関係」だが、(極めて少ない例外的な状況を除けば)「政治」はのように動いていくかはわからないのである。
(それは力関係で厳密に決まる)
三人以上の人間関係は「政治」だ。
(それがどのように動いていくかはわからない)
この言葉を聞いてから、「政治」の話を聞くたびに、頭の中でその多体問題を図示してみたくなった。そして、どんな相互作用が働いて・どんな関係にある多体問題なのかを描いて眺めてみたいと感じるようになった。
たとえば、今のさまざまな政治問題を図示して見ると、一体どのような図になるのだろう。どんな眺めになるのだろうか。
2009-10-25[n年前へ]
■完全主義へのこだわりを捨てると、新しい道が見えてくる
重力多体問題の専用計算機GRAPEなどを作り上げ、同時に「栄光なき天才たち 」の原作者でもあった伊藤智義の「スーパーコンピューターを20万円で創る (集英社新書)」から。
そのとき、「ワシントン・ポスト」紙の広告面に、ワインが半分だけ入ったグラスが描かれているのを目にした。そこには次のような問いかけが付記されていた。
「あなたはこれをハーフ・フル(半分も入っている)だと思いますか、ハーフ・エンプティ(半分しか入っていない)だと思いますか」
「半分では不十分」といつまでも完全主義にとらわれていると、一歩も前に進めなくなる。「半分もあれば十分」と完全主義を捨てた時、肩の力が抜けて、かえって大きな前進がもたされるという考え方だ。
この本は、第五章以降から、特に面白くなる(都立武蔵高校出身者なら、第四章から面白く感じられるかもしれない)。少なくとも、第三章より先まで読み進めると、読むことを途中で止められなくなる、と思う。
2009-10-26[n年前へ]
■続「手作りスーパーコンピュータへの挑戦」
重力多体問題専用計算機から始まったGRPAEに関する本は、それが本屋に並ぶようなものであれば、すべて読んでいると思う。「完全主義へのこだわりを捨てると、新しい道が見えてくる」の「スーパーコンピューターを20万円で創る (集英社新書)」もそうであるし、あるいは、「手作りスーパーコンピュータへの挑戦―テラ・フロップス・マシンをめざして (ブルーバックス) 」もそうである。あるいは、「専用計算機によるシミュレーション―デスクトップ・スーパーコンピュータ入門 」もそうだ。論文は…それほど多くないが、読んでいるつもりだ。
たぶん、この手の本で一番最初に読んだのは杉本 大一郎「手作りスーパーコンピュータへの挑戦―テラ・フロップス・マシンをめざして (ブルーバックス) 」」だ。この本は、とても惹かれる本だが、自分で本屋で見つけ出し買ったのか、それとも帰省した時に「この人の本は面白い」と肉親に渡されて読んだのかは、思いだせない。けれど、とにかく、この本は面白かった。
1988年の秋、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の近田義廣さんから一通の手紙が届いた。(中略)彼は天体相互の間に作用する重力を計算する重力を計算する「重力マシン」としての計算機を作ろうと、提案したのである。この本に登場する人物・場所が、聞いたことのある名前であったり、暮らしことがある馴染み深い場所であったこともあるし、何よりもその内容が面白かった。
20年あまり前、アメリカのNASAで研究生活をしていたときのことである。ワシントン・ポストという新聞の一面を買い取って、ワインが半分だけ入ったグラスを描き、「あなたはこれをハーフ・フル」だと思いますか、ハーフ・エンプティーだと思いますか」と問いかけた公告が載せられた。何のための広告だったか忘れてしまったが、私にはこの言葉が永い間こびりついて離れなかった。
こうして私の人生訓は、「完全主義は捨てて、楽をしよう。ハーフ・フルと思う方が幸せ」ということにしている。
この本は、1992年2月に出版されたものである。けれど、今でもときたま読み直す。そして、その一頁々、一行々に感銘を受け、興奮させられる。そして、時間・発想というものの歩み・進みというものは実に意外なほどに遅々として遅いのだ、ということに今さらながらに気づかされる。…それは、決して悪いことではない。