2006-04-19[n年前へ]
■今日の月とスッポン
「月とスッポン」っていう感じですねぇ。そういえば、こんなページもありましたね。
それにしても、自分の遺伝子 = 父の遺伝子を眺めて見れば、「髪」ってやっぱり「長い友だち」じゃなさそうだなぁと思いますねぇ…。私の父の髪の毛は40歳過ぎてからの踏ん張りが意外に強かったのですが(つまり30歳の頃の減り具合が凄かったわけです)、「天然パーマ髪の毛の父」と「サラサラ髪の毛だった私」とを比べると、「長い友だち(のハズ?)」の将来の行方もやっぱり「月とスッポン」になりそうですねぇ…。うぅ…。
2006-04-28[n年前へ]
■「アップルのカメラ埋め込み液晶ディスプレイ」
液晶ディスプレイ中に微小な無数のカメラを埋め込むことで、ディスプレイ画面とカメラを一体化させるというアップルの特許を「アップルの百眼ディスプレイ特許(Apple patent embeds thousands of cameras among LCD pixels)」から知った。United States Patent 20060007222というその特許を読んでみると、要点は「表示素子が並んでいるディスプレイ中に、撮像素子が埋め込まれていること」「撮像素子の前面のみに(表示素子の前面を遮ることがないように)レンズが装着されていること」となっている。
「表示素子が並んでいるディスプレイ中に、撮像素子が埋め込まれていること」というのは、ディスプレイとカメラを兼用するのだから当たり前の話である。そして、「撮像素子の前面のみに(表示素子の前面を遮ることがないように)レンズが装着されていること」というのも、当然である。カメラ部(撮像素子)は(ディスプレイ前方の)特定位置にピントを合わせなければならないのだからレンズが必要だが、表示部は「(ディスプレイ前方の)特定位置」からだけしか見えないのでは困ってしまうから、表示素子前面にはレンズをつけるわけにはいかないからだ。
このような「ディスプレイ画面とカメラを一体化させるデバイス」を使えば、ディスプレイを眺めながら同時にカメラに目線を向けることができる。つまり、テレビ会議で「相手と目を合わせて」話せるようになる。それは確かに気持ちが良いかもしれない。今すぐに実用可能な技術とは思いづらいが、将来は(Apple以外にとっては)イヤな感じの特許になったりするのだろうか?(公知例を探すのではなく)この特許を回避するとしたら、「撮像素子の前面のみに(表示素子の前面を遮ることがないように)レンズが装着されている」ということをしないという辺りだろうか、それとも表示素子と撮像素子の配置で逃げるのだろうか。
この発明者の思考過程を知るため、ちょっと発明者の背景を眺めてみた。発明者は、現在はAdobeに勤務していて、以前iMovieのプロダクト・マネージャーというポジションでAppleに勤務しており、その前にソニーの研究開発戦略本部のマネージャーだったようだ。かつて、撮像素子開発に優れるソニーの研究開発戦略に携わっていたという辺りが、撮像素子と表示素子を合体させるアイデアの背景だろうか。
2006-08-27[n年前へ]
■「エンジニアのための経済学講座」西村和雄教授への質問を考える
次々回の「エンジニアのための経済学講座」の講師は、西村和雄 京都大学経済研究所教授です。複雑系経済学や経済非線形動学理論が専門である西村和雄さんへの質問事項を、先週、編集者と一緒に考えてきました。決めた質問事項のうち、一つは「自由に色んな人が参加する場で、みんなの意見は本当に案外正しいの?(分数ができない大学生でも?)」といったようなことです。そして、もう一つは「人やモノの値段はどのように決まるのか?」ということにしようと思ってます。ネット界隈の現象を眺めながら、色々訊いてみたいことがあるのです。…もう一つ二つ他にする質問事項は、今まだ考えているところです。
これまで、話を聞きに行く先生は「私が話を聞きに行きたい人」ということで選んできました。例えば、「自分たち自身がどんな風に未来を選択するのか」を聞きたくて、"確率的思考 "小島寛之・帝京大学経済学部助教授に話を聞きに行ったり、「自分たに何かの選択をさせる感情」のことを聞いてみたくて、"経済は「感情」で動いている"友野典男 明治大学教授に話を聞きに行ったりしました。今回の(記事上は次々回の)インタビューで西村和雄さんに、「複雑系での全体(みんな)の選択や自分の選択」について聞いてみたいな、と思っています。
将来を決める公式などありません。未来のあなたを決めるのは、過去のあなたではなく、今のあなたがどういう選択をするか、です。1+1を、3や4にしてくれるのは、個人の力に加えて、ネットワークが働き始めたときです。つまり、経済学でいう複雑系が見られるときなのです。これは、あなた自身をも変えてゆく力になるのです。 西村和雄 「満員御礼!経済学なんでもお悩み相談所」
2006-09-09[n年前へ]
■ようやく納得「ヒューリスティクス」
「いかにして問題をとくか」を読んで、ようやく「ヒューリスティクス(発見的論法)」というものの意味がわかった気になりました。
この本は、発見的(heuristic)と呼ばれる研究に基づくものである。
論証的論法: AならばBであるとき、Bでなかった → Aは間違いである"経済は「感情」で動いている"友野典男 明治大学教授にお話を聞いた時、「ヒューリスティクス」という言葉が頻出しました。けれど、原稿にする際には、「ヒューリスティクス」という言葉は出さないことにしました。なぜかというと、インタビュー時および記事作成時に「ヒューリスティクス」という言葉を他の言葉で言い換えることができなかったからです。意味をはっきりさせられない言葉を使うのはちょっと…と感じ、「ヒューリスティクス」を削ってしまいました。だから、今の時点でインタビューと記事書きをやり直せば違う感じの言葉&話になったかもしれない、と少し残念に思いました。
発見的論法: AならばBであるとき、Bだった →Aは正しいらしい
ところで、次の「発見的(heuristic)」に関する60年前の言葉もなかなか面白いです。
この種の研究は今日ではあまり流行らないが、その過去は長いものであり、幾分かの将来性があるものといえよう。
"How to Solve It" George Polya@1945
2006-09-10[n年前へ]
■「これも経済学だ!」
中島隆信 著「これも経済学だ!」(ちくま新書)を読んだ。「これも経済学だ!」というタイトルが適切な第1章から第3章までは正直つまらなかった。あくまで、私の好みからすれば、実につまらない本だった。しかし、第4章・第5章は(私にとって)本当に濃く・素晴らしく良い本だった。第3章までの印象でゴミ箱に放ってしまわなくて、本当に良かった。
第4章・第5章を私が勝手に題するなら、「これが経済学だ!」だ。違うのは、「も」であるか「が」であるかだけだが、その1文字の違いがとても大きい。少なくとも、私という(経済学に疎い)読者からすると、文章の「本気」具合が違うように思える。第4章「世の中に『弱者』はいない」第5章「経済学は懐の深い学問」は本当に読んで良かった。
時代とともに弱者は変化していくため、ある時期に特定のグループに所属する人たちを弱者と認定しても、将来そうでなくなることがある。 第4章 世の中に『弱者』はいないその第4章・第5章における明らかなまでの文章の本気具合が腑に落ちたのは、この上までの文章を書き、今さっきamazonで(他の本に対する)書評を読んでからだ。第4章に対して非常に多くの参考文献が挙げられている理由・過程が、それでようやく(ほんの少し)理解できたような気がする。
経済学はどのような人間の行動もありのままに受け入れてくれる。なぜなら、人間の行動に合理性があるということが経済学の考え方の基本にあるからだ。 第5章 「経済学は懐の深い学問」