2005-02-02[n年前へ]
■「部下から言われたショックなセリフ」
「中村修二氏が語る!エンジニアはジャパニーズドリームを見よ」なんて、目を惹く面白いインタビュー記事もあるTech総研。だけど、一番笑ったのは「そこまで言うか! 部下から言われたショックなセリフ」の方。あまりに普通の言葉じゃないの…。「なぜこの仕事をやるのか、必要性を感じません」に対して普通に説明をすることができないマネージャーって…いるのかしら?
「そんなことも知らないんですか?」 現代の不埒な部下たちは、平気で上司を 愚弄しているようだ。「なぜこの仕事をやるのか、必要性を感じません」 こんなこと言わせておいて、本当によいのだろうか?「もう少し頭を使ってください!」 これ以上、もう書けない……。アンケートの回答に並んだ「ショックなセリフ」を眺めていた染谷氏は、「ひどいねえ、これは本当のこと(本当にこんなセリフを言う人がいるのか)なのかい?」と驚いた様子。「こんなのセリフは特にヘンなものには思えないし、(もしかしたら)ごく真っ当でありがちな指摘なのでは…?」と思ったりするのだけれど…。この記事への反応(技術者の感覚と乖離しているか否かとか)をちょっと知りたいところ…。
2005-02-21[n年前へ]
■アラン・ケイ「科学とは、新しいアイデアを学ぶためのもの」
「科学も同様で、私たちは子供を数学者や科学者や技術者にしようと思っているのではありません。私たちが子供がそうした考えを理解する手助けをしたいと思うのは、科学が、異なる思考方法やパワフルな思考方法を体現しているからです。
芸術とは、私たちが作るものすべてを指しますが、同時に技術を記述する方法でもあるんですよ。ギリシャ人は技術と芸術を同じ言葉で表して育み、数学はもともと科学の一部として始まりました。
特にギリシャでは、geometry(幾何学)という言葉は「地球の測量」を意味していました。科学は、物質世界で起きていることを考えるための言語として使われたのです。だから、子供たちが科学を学ぶことが大事なのです」というアラン・ケイのインタビュー。
ここに引用した部分は、単にきっかけに過ぎず、必読の文章だと思う。 from 「地球の測量」を経て、Dog yearの中で暮らしている人の日記
2005-04-01[n年前へ]
■レゴや銅像やオッパイの4つのニュース
技術者向けの「リクナビNEXT / リクルートの転職サイト Tech総研」で、先週書いた「レゴや銅像やオッパイの4つのニュース」が公開されています。レゴの世界も、折田先生像(ちなみに、仮装を最初にさせたのはこの方ですね)も、凶器のオッパイも…、どれも「科学と技術と男と女」ではないかも…。うぅ。
2005-05-05[n年前へ]
■「何でもやればできる、という言葉」
ところで、 「未来予想図」は多数決で想像したり決めたりするものではなく、「未来は実際に作りだしてしまえば良いもの」ということを考えるとき、例えば「技術者と作業員」の
技術者とは、大勢の人たちが無理だと思っていたり、どれだけ試行錯誤してもうまくいかないような(例えばコンピュータに関連する)技術的な難題を、人並み外れた凄まじい問題解決能力で解決し、たちどころに目的を達成してしまう能力を持つ特殊な人たちのこと。多くの場合、置換不可能である。誰でも勉強すればなれる訳ではない。のような言葉を連想してしまう。「人並み外れた凄まじい問題解決能力でたちどころに目的を達成してしまう」ような人であれば、「未来を実際に作りだしてしまう」こともすぐにできそうだ。しかし、そんなことはなかなかできることでもなさそうだけれど…とも思ったりする。
以前、ペトロ三木が「ジェネジャン!」の何かの回で、他のタレント出演者たちに向かって
(芸能界で成功するのは才能のある一部の人間だけだろ)(才能あるヤツが)「何でもやればできる」みたいな発言をするから、ありもしない才能を信じる奴らが増えるんだよ。おまえらは社会に対して無責任なんだよ。というようなことを言っていたが、その言葉が頭の中にプカプカ浮かんでくる。「ぼくは別に何かの才能があるわけじゃない。誰でもみんなやろうと思えばできると思う」と語る堂本光一に、ペトロ三木が「アンタのルックスは(みんながみんな持っているもののはない)立派な才能だろ」とツッコんでいたのを思い出す。(社会に対して無責任とは思わないが)誰でも「何でもやればできる」わけではないよなぁ、と思ったりもする。そしてまた、「(何かを) - やろう - と努力をちゃんとできること」も「才能の一つ」なのかも、と思ったりもする。あついは、「誰でもみんなやろうと思えばできる」と信じる力こそが、欠かせない才能の一つなのかもしれない、とも思う。もしかしたら、それは「夢」を見たり、「夢」を見させたりする能力なのかもしれない。
登 大遊氏は尋常でない才能の持ち主だし、伊藤直也氏だってそれは同じだ。彼らの言葉を「なるほど」と熟読しながら、ふと我に返ると「12人の怒れる男」の正義を追求するヘンリー・フォンダではなく、人の意見に激しく左右されてしまう「12人の優しい日本人」になる自分がいる。彼らの言葉を眺めていると「…_|‾|○」という気持ちにもなったりするけれど、そんなorzな気分は「アラン・ケイの直筆サイン(The best way to predict the future is to invent it !)入り高座扇」ででも吹き飛ばすことにしてみようか。