2013-06-01[n年前へ]
■「麻雀の山とツモに関する確率シミュレート」
…しかし、場に一枚見えている両面待ちが、山にどれだけ残っていて、どれだけの確率でツモれるかって、意外と感覚じゃ分からない。ということで、シミュレータを作りました。
「7巡目で両面聴牌、場に当たり牌は1枚しか見えていない。ツモれる確率は?」
中張牌の待ちとして他家が河に捨てる確率を25%と見積もると、山に残る枚数は3.88枚と出ます。これをツモの確率に入れると、55%でツモれることが分かります。
2013-08-12[n年前へ]
■「新宿区・豊島区で殺人事件が起きた」とき、名探偵コナンがいる確率は!?…400パーセント!?
「台湾大学の確率」の講義要綱として「名探偵コナンがいる場合の死亡率」という面白い話題がありました。たとえば、下に挙げられたたような題材を眺めれば、思わず台湾大学に進学したくなります。
・名探偵コナンがいる場合、人の死ぬ確率は?
・まったく役に立たないジェームス・ボンド
ところで、平成24年版 犯罪白書を眺めると、日本国内では殺人事件が年間1000件起きる、ということがわかります。つまり、1日約3件、1週間に約20件というペースです。
人呼んで名探偵コナン、江戸川コナン(工藤新一)は、(アニメ版では)2〜3週間に一回の頻度で殺人事件の現場に遭遇し、その事件を解決します。つまり、1年間にすると、20件程度の殺人事件に遭遇する、という計算です。端的に言ってしまえば、日本という国で殺人事件が起きた時、20件/1000件=2%の確率で、その殺人事件現場にはコナン少年がいるというわけです。
ちなみに、コナンたちが住む町「米花町」のモデルは、「新大久保駅から高田馬場」あたりだとされています。つまり、新宿区か豊島区あたりに、コナンは住んでいることになります。ところで、犯罪件数は、非常に大雑把な近似をすると、その地区の人口に比例します。新宿区・豊島区の人口は、それぞれ30万人程度ですから、日本人口1億3千万人中の60万人が住む「新宿区・豊島区」では、年間にすると、1000件×60万人/1億3千万人=4.6件の殺人事件が起きることになります。
おやおや?コナン少年が住む地域では、年間に5件弱の殺人事件しか起きないのに、彼(ら)は年間に約20件もの殺人事件に遭遇する!?つまり、20件/5件=400パーセントの確率で殺人現場にコナン少年がいる!?…一体、この数字が意味するところは、どんな答なのでしょうか…!?
「犯人はオマエ(コナンたち)だ!」
2013-11-25[n年前へ]
■「全10問の2択問題、デタラメな答で正解数5問以上の確率」は…!?
「全10問の2択問題、デタラメな答で正解数5問以上の確率」は…!?を書きました。この問題の面白い点は、「私たちの考え方・感じ方が、この問題に(なぜか)間違った答を返したがるのは、一体どうしてなのだろうか?」ということだと思います。
この問題で何より一番面白いことは、「私たちの考え方・感じ方が、この問題に(なぜか)間違った答を返したがる」ということ、そして「その理由は一体何なのだろう?」を考えてみても、その「正解」がなかなか見つからないことかもしれません。・・・あなたなら、一体どんな「理由・原因」だと考えますか?
2013-12-28[n年前へ]
■「解けない問題」との付き合い方
Asahi.com に「解けない問題」との付き合い方という記事を書きました。センター試験を間近に控えたこの時期に、センター試験を振り返り考える「Look Back センター試験」という続きもののひとつです。
選択肢をマークシートで選ぶセンター試験を思い出してみたとき、ふと考えたことを書いてみました。私たちは、(正解かもしれない)何人もの容疑者たちを前にいつも悩んだり・迷ったり…戸惑ったりします。そんな自分(たち)に送るエール文を書いてみた…というわけで、試験を受ける年頃の方にも、試験を受けた頃が遙か昔になった方にも、少しだけ眺めてもらえたら嬉しいな…と思います。
センター試験の時期になると「解けない問題ばかりだ……とりあえずマークシートを塗りつぶしておこう!」と運に任せ、マークシートをデタラメに塗りつぶした記憶がよみがえる。「次のうちから正しいものを選べ」という問題文に並べられた選択肢の数が多いと「あまり当たりそうにない」と憂鬱(ゆううつ)になり、その逆に選択肢の数が少なければ「こりゃ当たる確率が高いぜ!」と喜んだものだ。その挙げ句に…
……なんてことを書くと「正攻法で地道に解いた方がいい」と言われそうだ。それは確かにその通りなのだろう。数学知識を活用して選択肢の絞り込みを行うくらいなら、最初から問題を正攻法で解くことに力を費やした方がいいに違いない。たぶん、それがきっと正しいことなのだろう。しかし…
実際のところ、解くことができる問題なんてとても希少な存在で、解けない問題ばかりが行列になって登場するという「やってられない試験」こそ、私たちの毎日なんじゃないかと思う。
そんな時、わからなくても知恵を振り絞って可能性の高い選択肢を選び出す、そして、後は運に任せ進んでいくテクニックは意外に大切なものかもしれない、とも考える。センター試験で「わからない問題に出くわして、それでもあきらめずに未来の運や可能性の存在を信じつつ、自分の選択肢を鉛筆で選んだ」気持ちは、それから後の全ての瞬間にわたって、ずっと有効だったのじゃないか、と思う。
2016-02-03[n年前へ]
■「小保方さんと若山教授」と「コミュ力と若い世代への期待」
小保方さんの回顧録がベストセラーになっているらしい。小保方さんを担ぐ意見は全くもって理解できなかった。しかも、科学教育業界にそういう意見が多く、かなりビックリした。…けれど、あの事件が起きた流れは、3つのことから、とても納得できるようになった。
納得できるようになった理由のひとつは、「リアル・クローン」という若山教授の実兄が書いた本を読んだこと。この本は、STAP騒動の遙か前の話を書いたもの。「リアル・クローン」でも(若かりし)若山教授は(ハワイを舞台にして)いくつかの問題に巻き込まれるのだけど、それは英語力の不足から「当然の主張」をしなかったためと感じられた。そしてまた、ある種の経験(自分自身が「そんなことはできない」と思われることを信じて成し遂げた経験)を持つ若山教授なら、「怪しいと感じられることをする若い人」に対して批判的なことは言わないようにする・受け入れるようにするだろうな…と感じられた。
(納得できるようになった)理由の2番目は、STAPの当時、小保方さんのインタビュー音声(20〜30秒あたりから)を聴いたこと。なるほど、これはとても自然で印象的な「コミュ力・自己主張力」がある。こういう切り返しができる人に一目おくようになる気持ち・流れは、とても良く理解できる。
そして、理由の3番目は、神戸理研が次世代の可能性を要求していた…と聴いたこと(お酒を飲みつつ聴いていたので全く正確ではないけど)。
これだけ条件が揃えば、けれど「若い世代への期待」とか「コミュ力の不均等」なんて普遍的にいつでも起こることだけど、こういう事件は起きるよなぁ…と納得するに至った。舞台背景を踏まえて、あの登場キャラクターを集めたとしたならば、STAP事件は必然(もしくはかなりの高確率)で起こったような気がする。そしてまた、「教育」という未知の可能性に期待を掛ける(そして性善説で動く)業界で、小保方さん支持の奇妙なバイアスが強かったことは、それは必然だったのかもしれない…と思う。(小保方さんを、コミュ力や可能性以外で支持する気持ちは、今も全く理解できないけれど)