2007-07-18[n年前へ]
■月と言葉
from n年前へ.
夕暮れや月を見ると心が少し和む。そして、誰かにそんな景色を伝えたりしたくなる。
114年前にゴッホが眺めて描いた満月も、誰かに景色を伝えたいという気持ちが強く現れている。
それは、なんだか心が少し落ち着くような景色だ。
防波堤の上にいる子供には波の飛沫がかかってる。あの子たちのお母さんが心配性の小心者なら、走り寄って行きそうだなぁ。
…「きっと愚かだろう」アプローチ
愚善同盟
昨日は山鉾巡行、一昨日は宵山。京都の空気はひどく蒸し暑く、祭りの余韻を残してる。こんなに、京都の夏は暑かったんだなあ。
夕立の後の四条河原町を、ビールを飲んで歩くと、とても気持ちがいい。
四条河原町では太鼓を叩きながら歩くデモ隊がいる。デモ隊の写真を撮る公安警察がいる。それを見てエキサイトする(デモに参加している)学生風の人がいる。その学生に「他の人に迷惑を掛けるな、戻れ」と叫んでいる人がいる。
街を歩く人は、チラりとそれを眺めている。京都の街は小さな小さな盆栽の箱庭だ。
新聞のインタビュー記事は、ほとんどの場合、インタビューイの言葉で締めくくられている。インタビューイの口から出た言葉の中のどれを選ぶかが、記者の意思、あるいは感情表現なのだろう。
記者の言葉で終わる記事が、時には読んでみたい。
"I love you."を、あえて日本語にするなら、「一緒に月を眺めませんか」
「ユーザーが抽出すべき情報がいかなるものであるかを”知っている、知らない”の差は大きいだろうから、研究者が行うデータマイニングよりも、Windowsのヘルプファイルの方が根本的な困難を伴うのでは?」と思う。
■鈴木英人とマクドナルド的な芸術フローチャート
デジカメ写真のイラストレーション化プログラムを作る時、絵画の本を読みあさりました。もちろん、今でも、プログラミング途中ですから、今も読みあさっているわけです。
そんな風に読んだ本の一冊に、鈴木英人のイラスト教本がありました。鈴木英人という名前を聞いても何も感じない人でも、こんな版画を一目見れば、きっと80年代の空気をナイアガラ・トライアングルの音楽と共に思い出すはずです。
鈴木英人のイラスト教本がまた興味深いものでした。鈴木英人の作画法は、まさに「工房方式」で、鈴木英人本人が不在でも作画を行うことができるように、版画を作るやり方が完全にマニュアル化されていたのです。「誰でも同じように作業をすることができる」というマクドナルドのマニュアルのようで、その手順はまさに、(実際に描くのは手作業ですが)まさに画像処理アルゴリズムのフローチャートでした。ゴルゴ13を量産する「さいとうプロ」のようなアプローチは古いながらも新鮮さと、自分にはない感覚を知ることができて、興味深かったように思います。
2007-09-03[n年前へ]
2007-09-16[n年前へ]
■「因果関係」と「歴史」
「イラスト化」ソフトを作ろうとした時には、スケッチの勉強をしていた。
同じ景色を見ながらも、きっと、私と彼は全く別のことを考えている。こんなに綺麗に、空が空気が青く染められている場所に一緒にいるのに、全然分かり合えていないんだ。夏過ぎには、ヘアスタイル加工のプログラムを作るために、ヘアスタイルの歴史を勉強していた。そんな風に「○×の歴史」を勉強するようになったのは、「歴史」を知ると、現状の必然やそこに至るまでの因果関係が納得できるように思うからだ。
今まで見てきたように、空気の色すら多分他人と共有しえない。少し前から、油絵の歴史を勉強している。絵やビデオや本を見ながら、油絵やテンペラ画を勉強している。
「大きな古時計」の続編の歌が有名ではないけれどあって、おじいさんの住んでた家を訪ねてみたんだ…。There is hope for the smallthere's a change for us all油絵の歴史を辿っていると、どんなものの歴史も時間という一つの軸であらわせるものなのだな、とつくづく納得する。科学という名の錬金術が経済学に影響を与えるように、錬金術が絵画のありようを形づくっている。
二つの場所に立っているからこそ、その二本の足下を確かに感じることができるんじゃないかな。その時にある色材が、その時の絵の描き方を決め、その時にある文化が、その時に描かれるものを決める。
同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。私たちがいる時間と、私たちが眺める絵画が描かれた時が、時間軸の上で違っている以上は、その絵画が描かれた時代の空気とともにその絵画を眺めることはできない。
自分が生活している国とは別の国、自分が生活することができない場所そんな場所の音楽や文化を眺めることができるのは、切なくもあるけど、それでも、とても嬉しい。だから、せめて歴史を辿ってみる。そうすれば、少しだけ、その絵画が描かれた時代の空気を想像することができるかもしれない。それに、時代の流れは、螺旋階段のように、同じような場所の上をぐるぐる回っているかもしれない。
われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。
2009-08-31[n年前へ]
■「空気」と「世間」
鴻上尚史の「「空気」と「世間」 (講談社現代新書)」の「おわりに」から。
壊れかけた「世間」の力を、幽霊のように大きく見ては損だと僕は思っています。激しい力を持っているにしても、それは、かつての「世間」とは違うんだと、相手を見極める必要があると思っているのです。
そして・・・
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