hirax.net::Keywords::キャッチボールのブログ

2000-08-26[n年前へ]

「六の宮の姫君」

「芥川の「六の宮の姫君」、あれは玉突きだね・・・いや、というよりキャッチボールだ」という言葉の謎を追いかけていく話。そう言えば、この北村薫の言うような「玉突き」はWEB上の文章では特に多くみかける。HIRAX.NETの話の中にもどこか他の文章に共感したり反発したりしたことがきっかけになったものも多い。そんな色々な文章が影響されて発生していった様子を図示してみたいものだ。

2003-01-03[n年前へ]

キャッチボール その1

 「わきめも」の「キャッチボール」を読みながら、ふとこんなことを考えた。
 私にとっての私自身のWEBサイトは何だろうか。それは、多くの場合ひとりごとを漏らしてみる場のような気がする。公の空間の中で一人つぶやくひとりごとに似ているような気がする。

 だから、私にとってそれはやっぱり「絵馬」とよく似ているように思う。それは、人のいる街中で、なのにその歩いているはずの人の姿がよく見えない街中で、たくさんの透明人間が生活をしているはずの人通りの中で、ひとりごとをつぶやいている感じによく似ているように思う。

 そして、時折そのひとりごとに答えてくれる人がいる。ひとりごとに何処かにいる透明人間が答えてくれる一瞬だけ、透明人間は透明でなくなる。少なくとも、その瞬間には確かに目に見える人間が私のひとりごとに色んなアドバイスや返事をしてくれるように思う。その一瞬だけは透明人間ではなくて、そしてそれが繰り返されていると、それはいつの間にかれっきとした人間でしかなくなるように思う。そして、時にはそんな風に透明でなくなった人と実際に会ったりすることもある。

 ボールをインターネットの霧の向こうに投げていると、不思議なことにたまにそのボールが返ってくる。人間同士のコミュニケーションとしてはとても洗練されていないぶん、とても不思議な気分になることがあるのも確かだと思う。飲み屋で例えるなら、偶然居合わせた何処かの誰かが突然私がつぶやいたひとりごとに割って入ってくる感じだ。一過性のそんなコミニュケーションと似ているような気がする。

 ただ、とりあえずインターネットのキャッチボールで流れる時間の流れはとても速いようで、だけど、実はとてもゆっくりのような気もする。そしてまた、こんなメディアだからこそ、よく知っている人の意外な顔が見えたりもするのも、面白いところかも。

2003-01-04[n年前へ]

キャッチボール その2

「(菊池寛の)真珠婦人は読みました」
「今時、千人に聞いても(真珠婦人なんて)読んでいないわよ」
 こんな会話が交わされているのは、北村薫の『六の宮の姫君』の中だ。ここで語られている菊池寛の「真珠婦人」は今では文庫本となって本屋で平積みになっている。北村薫も驚いているに違いない。時代の流れなんてそうそう予想はできないものだ。とはいえ、その後に
「テレビの原作にぴったりの本だと思いました。波瀾万丈ドラマが流行っていますけれど、新しく作らなくても『真珠婦人』をやればいい筈です」
と語られているのだから、決して北村薫の書いたことが的外れというわけではない。むしろ、的確だったと言うべきかもしれない

 この『六の宮の姫君』は芥川龍之介の「六の宮の姫君、あれはキャッチボォルだ」という(仮想の)言葉から、芥川龍之介と菊池寛の「キャッチボール」を描いていく文学・人生ミステリだ。鎌倉時代に生まれた「沙石集」を起点として、投げ返されていったボールの軌跡を遡っていくミステリだ。

 時に強い反発であったり、時に強い共感であったり、とにかく色んな理由で私達(少なくとも私は)は色んなボールを投げ返すわけだけれど、好きで曖昧でそのくせ直接的に投げ返すことができるぶん、掲示板よりはこんな「いろいろ」風のひとりごとが好きかも。

2008-10-07[n年前へ]

世界最速バッティングマシン200キロ

 普通にキャッチボールをするとき、一体時速何kmくらい出ているものなのだろうか。100km/hくらい出ているものなのだろうか、それとも90km/h出ているものなのだろうか。そんなことが知りたくて、バッティングセンターに行ってみた。すると、90kmでも十分すぎるくらい速いということがよくわかった。時速120kmともなると、ボールが出てくる瞬間がよく見えない。

 そんな90km/hの球に驚いていたら、「世界最速バッティングマシン200キロ」というものを教えてもらった。こんなマンガみたいな剛速球が飛び出してくるバッティングセンターのバッターボックスにはとてもじゃないが立ちたくない。ましてや、こんな世界最速の時速200キロのキャッチボール・・・は想像すらしたくない。