hirax.net::Keywords::「不安」のブログ



2005-06-20[n年前へ]

自分の力と自分の個性 

 色川武大の「自分の力で生き残るためには、ずば抜けて優秀であるか、絶対に取替えの利かないユニークさか、そのどちらかが必要」という言葉をひき、おれカネゴン先生が書く。

もしかすると個性とかユニークさというものは、生活が満ち足りたついでに空しさを埋めるためにカルチャースクールで習うような余興ではなく、優秀さという必殺の武器を持たない者が生き延びるために最後にすがらざるを得ない、非常に厳しいものだったのかもしれない。
あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 「優秀さという必殺の武器」(言い換えるならば、「力と速さを兼ね備えた能力」)を持たない人が持つ「個性という武器」というもののはやはり「容易には手に入れることができない(得るためには大いなる努力が必要な)力」ではないか、と思う。

 本流で勝てず、本流では生き残っていけない人が、どこか独特の場所で生き残っていこうとするならば、その位置に立ち続ける力がいる。その位置に価値があると信じ、その自分が立つ位置を高めていく力が必要だと思う。「盲目的にその場所に意味がある」と思いがちな「本流」と違い、「その場所に意味がある」と素直には言えない場所を選ぼうとするならば、そんな粘り強さが必要だと思う。

 たとえば、「自分の能力がほんの少し高まったからといって、本流に惹かれてしまわない強さ」や「自分の能力に不安を感じ、自分の立ち位置に不安を感じて、本流の裾へと流れてしまわない強さ」がいる。少し言い方を変えるならば、「(本流を選ばずに)典型的な何者かにならないという道」を選んだ場合には、「(その人の)能力」でなく「(その人の)存在意義」が問われることになるに違いない。そして、その(自らの立ち位置、存在位置を問う)辛い問いに答え続ける力、あるいは、その問いを軽く聞き流し続けるドン・キホーテのような奇跡的な力が必要になる。それは、もしかしたら「心の強さ」というようなものであるのかもしれない。そんな心の強さは、確かに「非常に厳しいもの」に違いない、と私は思う。とはいえ、きっとそんな「心の強さ」があれば、きっと人生は楽しいものなんだろう、とも想像してみたりする。
幅広い心を、下らないアイデアを、
軽く笑えるユーモアを、上手くやり抜く賢さを、
大げさに言うのならば、
きっとそういうことなんだろう。
誇らし気に言うのならば、
きっとそう言う感じだろう。

「イージューライダー」 奥田民生

2005-07-19[n年前へ]

「自分のやり方」 

 ぽいんつさんのブログさんのブログの村上春樹「海辺のカフカ」を読んで、ふと先週渋谷帰りに飲んだ時に話していたことを思い出した。だから、これから書く文章は私自身などへ向けたメモです。

 「自分のやりたい仕事であるか」ということや 「会社の中での地位やお金」、「自分のプライド」 について、自分がどういうスタンスであるかという 自己認識が非常に大事なのではないかと思っています。
 たとえば、収入が高ければやりたくない仕事でもやる、とか 会社のメイン・ストリームでなくても自分のやりたい仕事で そこそこ収入が高ければ良い、とか、多少収入が低くても 会社の中心となっている仕事をやりたい、とか。
 自分が不安になった時、自分の自信がなくなった時、「自分のやり方」の「(自分が考える)良さ」を文章で書きたくなります。「(自分が考える)良さ」に同意してくれる他人を、つまりは、「自分のやり方」に賛同してくれる他人を増やしたり、探したくなってしまうことがあります。自分を支える根拠を他人に求めたくなってしまうような感じかもしれません。そんな瞬間は繰り返し繰り返し訪れ続けているような気がします。自分自身を振り返ってみると、私自信はそんな風に感じたりすることがあります。 自分がどういうスタンスであるかという 「(他人ではなく)自己」認識が非常に大事、と本当にそう思います。

 自信に満ちあふれているときには、「自分が生み出した結果」を書きたいと思いこそすれ、「自分のやり方」について書きたい、なんてこれっぽっちも思いません。自分の中に、自分の立ち位置に対する「心の強さ」が十分にあれば、「(他)人は(他)人、自分は自分」とだけ鼻歌交じりに他人を眺めていたりします。

 もしかしたら、私と違って「さらに自信に満ちあふれている人」だと、「自分が不安になった時、自分の自信がなくなった時」でなくとも、四六時中「自分のやり方」の「(自分が考える)良さ」を書きたくなるのかもしれません。私は、その人の自信を支えるやり方よりも「その人が生み出したもの」を知りたいような気もしますが、「(他)人は(他)人、自分は自分」なのですから、人それぞれスタイルも色々なんでしょう。

 「自分が良いと思うやり方」を他の人たちに向かって書いている文章を読むと、この人は「自信が必要十二分以上に満ちあふれている人」なのだろうか、あるいは「自信を無くしている人」なのだろうか、と考えたりします。「自信が必要十二分以上に満ちあふれている人」でも「自信を無くしている人」でも、どちらであるにしても、自分自身に「(他)人は(他)人、自分は自分」という「心の強さ」があれば、きっと人生は楽しいものなんだろう、と想像してみたりするわけです。 そして、どうしたら「自分がどういうスタンスであるかという自己認識」をしっかり強く持てるだろうか、と考えたりするのです。

「他人のやり方」 

Mayunezu Space Ver.6:きもちのタマゴ 「自分のやり方」に、「その人の自信を支えるやり方を聞くと元気をもらえます。真似をしたいと思います」「元気な時に自分のやり方をメモしておいて、不安になった時にはそのメモを読んで自分(違う時間の自分は「他人」かもしれませんね)のやり方を思い出しています」というメッセージをいただきました。

 あぁ、確かにそうですね。読む側からすると、その人が(もしかしたら)不安から発した言葉であってもそれが助けになったりするのでしょうね。私も、他人が(おそらく不安から)書いた文章を読んで、何かの助けになるなぁ、と思うことも多いように思います。それに、違う時間の自分=「他人」に向かって、そんな助ける言葉を書いておくのも良さそうですね。私も早速真似してみようと思います。

2005-11-15[n年前へ]

「ATOKでMathematica」 

 12月16日は、某社 武蔵溝ノ口で開催される「初級 Mathematica講習会」でちょっと話をすることになっています。で、いくつか実践的なものを振り返った後に、(それだけでは、もの足りなくなって)「ATOKからMathematica使う」とか、「ExcelとMathematicaで計算ルーチンをシームレスに使う」なんていうネタを作りました。興味有る某社関係者は、いかがでしょうか?
 …で、そんな内容が果たして「初級 Mathematica講習会」にふさわしいかどうか、不安に襲われます。MathematicaとExcelを使うユーザが重なり合うのか?とか、Mathematicaを使ったことがないユーザにATOKからMathematicaカーネルを使うなんていうトリックが面白いかどうか、首を捻っている今日この頃です。【捻りすぎとは、おれカネゴン】

2006-07-15[n年前へ]

「パッチもん版画」作成ソフト for MacOS X (PPC) 

TitleTitle もうかなり飽き気味の『ナンシー"小"関 風 パッチもん版画」作成ソフト』ですが、一応、MacOS X版(PPC)も作っておきました。必要なライブラリが全てリンクされているのか不安な感じがしますが(不具合などありましたら、状況をメールででもご連絡頂ければ…)、とりあえず "nancyKOseki4MacOsXPPC2006071601.dmg" というファイルです。使い方は、Windows版とほぼ同じです。違う点は、「画像ファイルをドラッグ&ドロップするアイコンの名前がnancyKOseki.app」「終了するには'q'キーを押す」というところくらいです。



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