hirax.net::Keywords::「大阪」のブログ



2004-05-23[n年前へ]

ビル・アトキンソン氏講演 

 5月14日に大阪・扇町のMebic扇町で開催されたmACademia(まかでみあ)でのビル・アトキンソンの講演のようす。コンピュータ好きな人であれば、必読。

 「ダイアログの選択肢は当初"Cancel""Do It"だったが、"Do It"では"Dolt"(ドルト=まぬけ)と間違われて、ユーザが怒ってしまうので"OK"になった」なんていう話も。

2004-06-24[n年前へ]

目標100ページ 

 火曜日から「文章の書き方」だったり「PowerPoint」関連のリンクが頻繁?に貼られているのにはもちろん理由がある。気づけば、今週末が某原稿の締め切りなので、深夜はそんな内容をひたすら考えてみたり、そして時折タイプしたりしている。…ひたすら、と言っても「火曜日から」つまりは一昨日からだったりするところがアレと言えばアレである。

 しかし、アレなんて言っていても締め切りは容赦なく訪れてしまうので、とりあえずただひたすらに考えつつタイプしている。すると、文体があまりにhirax.net風になってしまっているような気がする。コーヒーブレークなんかも入れてしまっていたりするし。しかも、そんな部分に凝ってしまったりするし。(それは絶対逃避行動)

 これは結構マズイかも。しかも、(何故か気分的に配布資料は量を多くしたくなって)目標100ページ!なのに、まだ20ページしか書けてない…マズイ…。なのに、明日は沼津5:00発東海道線に乗って大阪へ行く予定だったりして。マズイ…かも。

2004-06-25[n年前へ]

雨のなかもず 

 沼津5:00→新大阪8:17→なかもず9:30で、帰りは新大阪19:23発のこだま。写真は昼食を食べた後のなんでもないけれど新鮮な景色。大阪府立大学中百舌鳥キャンパスで。

 キャンパス内の「いかにも生協って感じのごちゃごちゃした食堂」でお昼を食べる。そして、学生がだべっている景色を眺めてみる。

雨のなかもず






2004-07-17[n年前へ]

おっぱいプリン 

 おっぱいプリンと言えば、よしだ聖菓の「おっぱいプリン」が有名だ。しかし、今日高速のSAで見かけたのは長登屋の「名古屋」「大阪」「横浜」「東京」の各種名産「おっぱいプリン」 それぞれ形も色も味も違うらしい。「数年前、大量に余ってしまったプリンの在庫・・・・。 何とかして売れないか? そんな試行錯誤から登場した」という辺りが、何とも面白い。

 そして、「名古屋」「大阪」「横浜」「東京」だけでなくて、他にも「飛騨高山名産」「富士急ハイランド限定」の「超・戦慄迷宮おっぱいプリン」なんていうのものあるらしい。恐るべしオッパイ「名産」プリン。

東京おっぱいプリン名古屋おっぱいプリン大阪おっぱいプリン横浜おっぱいプリン

2004-07-31[n年前へ]

「書き変えたベクトル」を眺めたい 

 先日、大阪で「電子写真の極限画質を探る」というシンポジウムがあった。プログラムには「電子写真プロセスを理論的に考える」と記載されているリコー渡邉/門永氏の講演は「電子写真プロセスを物理的に考える」という題名だった。そこには、「理論」ではなく「物理」だ、という両氏の意志があるわけだ。その「理論」→「物理」という二文字の変化の方向・ベクトルに、彼らのベースにある考えがほんの少し映し出されているわけである。

フォリー・ベリジェールの酒場 森村泰昌がマネの「フォリー・ベルジェールの酒場」の登場人物を演じることにより、「美術史の娘/劇場A」「美術史の娘/劇場B」を作成したときに、森村泰昌は「マネの絵では酒場のカウンターに手を置いているが、実際にやってみると描かれた(マネが描いた)酒場の女性の腕は極端に長くデフォルメされていた」ことに気づく。マネが腕を極端に長く事により、「白い顔・白い胸・白い腕」で形作られる力強い三角形が酒場の女性を力強い主役へと変え「その女性の力強さをマネは描いていた」のである。

美術史の娘/劇場A美術史の娘/劇場B 結局、森村泰昌は「長く太い腕を石膏でつくり、自分の腕と握り拳で女性の胸のふくらみを語る」ことにした。マネが描いた極端に「長い腕」を「石膏の腕」に変え、「白い胸のふくらみ」を「力強い握り拳」へと変えるのが、森村泰昌が書き換えたベクトルだったことになる。それは森村泰昌が示した強い意志に他ならない。

 よく、更新があったWEB日記などを見に行くと、書かれている内容は増えていないのだけれど、言葉が少し書き換えられていることがよくある。それは文章を推敲したことにより変わったのかもしれないし、何かの事情で書き換えたのかもしれないが、「変更前」→「変更後」という言葉を書き変えるベクトル・意図が書き手にあるのは確かだろう。その書き手のベクトルを眺めてみたい、とよく思う。

 更新チェックをするアンテナで、更新された履歴だけでなく、言葉が書き変えられた履歴を眺めてみたい。書き手がこだわって書き変えた小さな部分を知りたい、眺めてみたいと思う。何を意識して、「元の言葉」からそれとは違う「他の言葉」へと書き換えたかを知りたい。どう「書き方」を変えたかを知り、その書き手の中に流れる「何かを書き変えたベクトル」を眺めたい、と思う。そして、その先に示されている意志を想像してみたい。



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