2004-11-03[n年前へ]
■「男と女」「理系と文系」「セクハラとボツ」色んなものの境界線
そういえば、この「理想の長さ・太さ」とこの「理想のカップ」の間にNGの境界線があるというのが(他意はなく)とても面白かった。「ナニがナニ」はNGで「巨乳・微乳」はOKというのが、実に面白い。その違いは「男」と「女」の違いだろうか?それとも「センチ」と「カップ」の違いだろうか?それともそれとも、と昨夜職場で周りに訊いてみる。「男」と「女」の間にある違いではないか、と疑った私の実験室の隣の席は女性なので、あれはやはりセクハラになってしまったのだろうか?
ちなみに、右の画像は「理系に女性が少ないのは?」という女性学講座の中のスライド。
2005-01-10[n年前へ]
■NEWS
カリタテルを読む。この文章中で語られていることと直接は繋がらないこと、単に連想したことを、脈絡なく以下に書いてみる。だから、何かまとまった話ということでは全くない。
私は新聞記者が「起きた出来事を一人でも多くの人に一秒でも速く届けるという役割」を重視する姿勢はあまり好きではない。「起きた出来事」を明らかにするには時間がかかる以上、「起きた(と思われるが、その確からしさは決して高くない)ことを多くの人に速く届けてしまうという自らの判断」の必要性・危険性を「その書き手」はいつも疑い・考え続けるべきだと思う。そして、新聞記者たちがそのような期待に応えて続けているかどうかは疑問に思っている(そう思う一方で、他人のことを気にする繊細な神経の持ち主は記者を続けることは到底できないだろう、とも思っているのだが)。もちろん、私たちの中の野次馬根性に対しては、記者達は期待以上に応えてくれていると思っている。
ところで、毎日新聞というと署名記事の割合が他に比べて多い新聞社だという印象がある。私は社説というものの存在意義がよく理解できておらず、逆に意味もなく署名記事が好きなので、毎日新聞に対しては比較的良い印象を持っている(西原理恵子の毎日かあさんが連載されているからではない、多分…)。先の理系白書の書き手も書く文章の内容はさておき、その自らの名前の元に書く態度に対しては非常に好印象を持つと同時に尊敬している。また、「書く文章の内容はさておき」というのも、勝手な期待・勝手な理想を新聞に重ねてしまうせいで、そんな風に(勝手な)基準を高めてしまっているのだとも思う。そういう期待がなければ、眺めるだけで終えておけば良いだけなのだろうから(「理系白書ブログ」に関しても「毎日新聞『理系白書』の記者が作るページです」と書いてなければ、きっと何の反応もしなかったと思う)。
以前、「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?というアンケートを見たときに、それをとても強く感じたのだが、もしかしたら(私に限らず)時に新聞記者に対してぶつけられる「(皮肉で書かれる)期待」の裏には、「(勝手な高い)期待」があるのかもしれない、と思う。その「期待」をどう眺めどう応えていくかは、その人(記者や私たちの)それぞれに違うのだろうけれど。
「テレビニュース」というものに対する(私たちの)イメージは全て自分達に降りかかってくるに違いない。(私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は「僕ら自身」と全て置き換えられるに違いない。そう思いながら、刻々流れる質問への答えを眺めている。
「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い
「テレビニュース」は信用できる -> No
「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか? -> Yes
2005-02-11[n年前へ]
■元素周期表の覚え方の×●バージョン
元素周期表の覚え方の「正規バージョン」と「お下劣バージョン」 例えば、「おっぱいをしつこく攻めてるポール牧」…は16族。化学の世界ってスゴイなぁ。私は…質実剛健ストイックな物理系だったからなぁ。
2005-02-13[n年前へ]
■組み合わせの数・お医者さんごっこ編
「お医者さんごっこ(シチュエーションプレイ)」をする時の組み合わせってどんな感じ?という話題の「組み合わせの数・お医者さんごっこ編」
「お医者さん対お医者さんってとかの同種同士の処理」「眼鏡っこ処理」「男×男処理(さらに前後関係重要)」「女×女処理(これも前後関係重要…なの?)」とか、人それぞれの各自コダワリ意見もあふれ出てきそうだが、そんな自分のアイデアを各自のページで構築してみるのも、一興かも。
2005-02-19[n年前へ]
■『○×的センス』と『ことばを「発信」する意義について』
(ご本人の気持ちはさておき)本にしたいですよね。 そうそう、「理系センス」の話題でななゑさんにファンとしてメールを書いたことがあります。恥ずかしくも、ファン・メールというものを書いたのは、その一通のみ、です。
そういえば、それは「わしが見てるコレって本物? ☆その人ビヂョン☆」の日記の頃でした。
『ことばを「発信」する意義について』という言葉で始まる一節が書かれていた、「ファン・メールに対するななゑさんからの返事メール」は私の宝物の一つです。ファンですから、引用したくなるくらい感銘を受ける言葉が詰まっていました(もちろん、宝物ですから引用したりはしませんが)。
わしが見てるコレって本物? わしが聞いたコレって本当?わしらはいつもそういったギモンを胸に抱き、できれば見る、何回も見る、そして聞く、何回も聞く、そして自分にいま一度問うてみる、そんな姿勢とミミ掃除が肝要だと思うのである。
ちゃろん日記(仮)2000/1/20
「わしが見てるコレって本物?」