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2007-07-16[n年前へ]

前へ「逃げる」 

 from n年前へ.

 チャンス"だけ"は誰にも必ず来る

小島寛之
 逃げる

近藤淳也
 小島寛之さんの言葉の近くに、はてな近藤社長の「逃げる」という言葉が書いてあります。その言葉を最初に眺めたとき、力強い文字とその言葉がどうも似合わないように思えて、ふと首をかしげたのでした。ずいぶん消極的な言葉にみえて、意外に感じたのです。
 その違和感が消えたのは、しばらくしてスポーツ解説のテレビを眺めてた時でした。「自転車競技では、先頭を走り空気抵抗を一手に引き受ける"逃げ"はとても苦しく、アタックとも呼ばれる」というような解説者の説明を聞き、自転車競技を愛するはてな近藤社長の言葉がようやく理解できたのです。
 つまり、「逃げる」という言葉は、私が思ったような消極的な言葉ではなく、「苦しくても、力一杯アタックし続ける」という覚悟の言葉だったんだなぁ、と思い至ったのです。
 ふりむくな ふりむくな、うしろには夢がない

寺山修司 さらばハイセイコー
 実際のところ、その「心の痛み」と「科学的な薬」は本来補完し合うものだと思うのです。それが、何故か相反するもののようになりがちなのは、両方の側にその原因があるのではないか、と思っていたりします。

2008-01-12[n年前へ]

マギー司郎のコトバ 

 マギー司郎の「生きているだけでだいたいOK」という本の中で語られる言葉を読む。

コンプレックスのある人ほど、人の痛みとかに優しいし、相手の気づかいもよく見えるんだよね。でも、完璧に近い人には、そういうものが見えてないもんね。どこか欠けてる人の方が強いんだよ。弱さの強さだよね。だから、欠点はあっていいんだよ。

  マギー司郎 「生きているだけでだいたいOK」

 「弱者」のブログ「強者」のブログを読む。同じように、「弱い人」のブログ「強い人」のブログ も読む。一つのキーワードで繋がる日記から、たくさんのが見えてくる。色んなことを思い出す。

あの日描いた未来とは 何か少し違ってるけど

  斉藤和義 「真夜中のプール」 

2008-07-03[n年前へ]

「痛みは一瞬。映画は永遠」 

 "バック・トゥ・ザ・フューチャー"シリーズのメイキング・ビデオが結構面白かった。当時の技術で映像をどのように作っているか、ということも面白かったが、何より面白かったのが、マイケル.J.フォックスが語っていた話である。カンフー映画のジャッキー・チェンさながらに、転んだり・殴られたり・怪我したり……、とても痛いミステイクを数えきれないほど地検したマイケルは、監督ロバート・ゼメキスといつもこう言い合いながら、また次のテイクを再開したという。

 痛みは一瞬。映画は永遠。
 この二人が語った「痛み」は、クロード・モネの「絵を描くことは難しく、苦しい。絵を描いていると希望を失ってしまう。それでも私は言いたいと思っていることをすべて言ってしまうまでは、少なくともそれを言おうと試みた上でなければ死にたくない」という言葉の、「苦しく・希望を失ってしまう」ということと、少し似ている。

 あるいは、山田ズーニーが「おとなの小論文教室」書いていた「自分には紡ぎだせないものでも、それをイメージすることが人にはできる。それが、未知で・独特で・自分で作り出すしかないものだから、他人の水準のものでは納得できないものだからこそ、それを作ることに駆り立てられる。そして、自分が作らなければ「無い」ものだから、その過程で、時に絶望するのだろう」というような文章中の、「時に絶望する」という言葉とも似ている。

 それがどんな形の痛みでも、そんな痛みを感じていても、結局は、何かに駆り立てられものを作りつづける人たちなのだ。

 ものを作るのが好きな人たちは、ものを作り続けることが好きな人たちは、きっと「痛みは一瞬。映画は永遠」という言葉にうなづく部分があると思う。そして、実際には、その「映画」や「その人にとっての映画にあたるもの」は決して永遠ではなく、映画ができた瞬間を過ぎれば、またすぐに作り手も受け手も「次の映画」へと進んでいくということにもうなづくことだろう。そして、実は、それが結構好きなのではないかと思う。ものを作るのが好きな人たちは、ものを作り続けることが好きな人たちは。

 たとえば、苦しい思いをして山に登る人が、その苦しさが癒えないうちに次の登山を夢想しているように、あるいは、上手く動かない・思ったような結果が出ないプログラムと格闘し、なんとか動いた一瞬の喜びを糧に、また次のプログラムを(少なくとも最初の内は)喜々として書き始めてしまうような人たちがいる。それが、ものを作るのが好きな人たちなのだろう、と思う。

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2008-07-04[n年前へ]

Pain is temporary. Film is forever. 

 バック・トゥ・ザ・フューチャーを撮影する時に、マイケル・J・フォックスとロバート・ゼメキスが苦痛を伴うミステイクのたびに言い合ったという「痛みは一瞬。映画は永遠」は、1987年公開の青春コメディ映画「タイムリミットは午後3時」の中の台詞だという。この映画のストーリーは、全然イケてない主人公が、不良と決闘をする事になってしまう。そんな登校から放課後の決闘までのほんの数時間を音楽に合わせ軽快に描く、というものだ。この映画のレビューを眺めていると、こんな一節に出会った。

And on top of everything else, it teaches those savvy enough to seek it out a very important life lesson:

Pain is temporary. Film is forever.

 (長々と書いた)そんなことより何よりも、この映画は生き抜くためのコツを見つけるために大事なことを、こんな風に教えてくれる。

痛みは一瞬。映画は永遠。

Back to the Future いえば、第一作目の最後のセリフもとてもいい。(映画中で冗談の対象として使われた)ロナルド・レーガンが年初の一般教書演説で引用し語ったこの言葉はとてもいい。

As they said in the film Back to the Future, where we’re going, we don’t need roads.
映画"Back to the Future"のセリフのごとく、「私たちが行こうとする先に、道は必要ない」のです。

2009-02-27[n年前へ]

「痛み」と「道」 

 バック・トゥ・ザ・フューチャー DVDコレクターズBOX より

Pain is temporary. Film is forever.
痛みは一瞬。映画は永遠。
Where we’re going, we don’t need roads.
私たちが行こうとする先に、道は必要ない。



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