2007-07-14[n年前へ]
■デッサン技術と画像処理プログラム
画像加工サービス "Imagination You Make"の中に含まれている「画像をイラストレーション風に加工するプログラム」は、割に時間をかけて作った。何しろ、Imagination You Make の1機能として、このイラストレーション化プログラムを作ったのではなく、イラストレーション化プログラム用のフロント・エンドとして、(Ruby on Railsの勉強がてら)Imagination You Makeを作ったのだった。Imagination You Makeが出力する解像度ではわからないが、イラストレーション加プログラムの出力はベクトル化処理もされていて、PostScriptとして出力を保存することもできたりする。…その後、Railsで動くサービス側に興味を惹かれたこともあって、「画像処理ジェネレータ・サービス」を作り出す"Imagenerator"を作ってみたりもしたけれど、やはり、本来の「画像をイラストレーション風に加工するプログラム」を作り直す作業は続けている。
「画像をイラストレーション風に加工するプログラム」の画像処理アルゴリズムを作るために、さまざまな試行錯誤を繰り返した。それと同時に、デッサンやイラストレーションや油絵や似顔絵書きなど、絵画に関するテキストを結構読んだ。「イラストレーション風に加工する」するために、「イラストレーション」がどういうもので、どういう風にすれば描けるようになるかをたくさんのテキストから学ぼうとした。
いろいろ実験してみて、普通 人物画や肖像画を描くときは、写真撮影ではないのですから、陰影とか明暗といったようなことは、あまり考えないでいいと気づきました。 安野光雅 「絵の教室」そういう絵画の教科書を読んでみた結果、試行錯誤の結果として作られた画像処理アルゴリズムが、デッサンやイラストのテキストに載っている「描き方」と瓜二つになっていることも多かった。これが、とても新鮮だった。処理アルゴリズムに正解なんてないだろうが、「そう悪くない答え」をプログラミングすることができたように感じ、楽しく気持ちの良い感覚だった。
2008-04-09[n年前へ]
■「透明下敷きボード」と「原始的"Mixed Reality"」
「ホワイトボード」に「ラクガキ」をするで書いたように、小さなホワイトボードと色ペンをいつも持ち歩いています。大きなかばんには大きなホワイトボード、小さなバックパックには小さなホワイトボードが入れているのです。また、(もしも「白い板」だけをホワイトボードと言うのなら)さらにホワイトボードではないものも持ち歩いています。その一つが、透明なボード(透明下敷きに特殊加工シートを貼ったもの)です。
僕は考える。
そしてペンを持つ。
思いついたままノートに、
らくがきしてみる。
ウルフルズ「大丈夫」
といっても、実際のところ、この「透明なボード」はあまり役に立ちません。数少ない「役に立つ」場合のまず一つ目は「デッサン力がない人が、目の前の景色をスケッチしたい」という状況です。透明なボードを目の前の景色に重ねて、目に映る景色をボードに上にトレーシングするだけで、誰でも簡単に遠近・透視法ばっちりのスケッチを1・2分で描くことができるわけです。「どんな感じ」かは、下に張り付けた動画を眺めてみれば、きっとわかることでしょう。
左の上の動画は、現実の景色に「スケッチをした透明プラスチックボードを重ねてみたもの」ですから。”現実に人工の描画を重ねた”一種の「MR=Mixed Reality(複合現実)」と言うこともできるかもしれません。以前作った、「マンガの「吹き出し」型ホワイトボード」(他人や自分の心の中にあるイメージ・言葉を描き出すことだってできる優れものです)も、人力複合現実を使ったマンガ的コミュニケーション・システムです。
人力複合現実(MR)を描きながら、最先端技術を超原始的手作業で実現してみたり、超原始的作業を高度な技術を使ってマネしてみたりするのも楽しいのかな、とふと思ったのです。
誰もが胸にしあわせな世界の
イメージを描いて暮らす。
うまくはいかなくても、
まずは一歩ずつ。
答えはひとつじゃないから
ウルフルズ「大丈夫」
2008-04-19[n年前へ]
■「夜のコンビニ・デッサン」と「色々な世界を描くための秘密道具」
石膏のベートーヴェンや、皿の上の果物や、あるいは身近なモノをデッサンをしたことがある(あるいは、課題として与えられたことがある)人は多いと思う。芯が柔らかな4Bくらいの鉛筆や、パレットに載せた数色の絵具で、目の前に見えるものを描こうとした経験を持つ人は多いと思う。石膏のベートーヴェンを描くならともかく、色のついたモノを描かねばならない時には、いきなり悩んだりはしなかっただろうか。目の前に見えているモノを、手にした道具でどのように表現するか悩んだりはしなかっただろうか。
ケント紙のスケッチブックと4Bの鉛筆を手に持って、「目の前の赤いリンゴと、黄色いバナナはどちらが白いのだろう?どちらが黒いのだろう?」と悩んだりした経験はないだろうか? 色々な色をどんな風に限られたもので置き換えれば良いのか、全然わからないままに、適当に鉛筆を走らせた人もいるのではないだろうか? 夜のコンビニを、ケント紙に鉛筆で描いた「コンビニ#3」を眺めたとき、ふとそんな経験を思い出した。
描かれているのは、人通りの少なそうな道沿いに立つコンビニエンスストアで、青や赤といった色を白と黒の世界に置き換え描かれた世界は静謐で、まるで異次元の世界のようで、それでいて、とても「私たちの現実の世界」を忠実に描写しているように見える。
いつだったか、絵画の解説書を眺めていた時に、面白い描写と記述を見た。「面白い描写」というのは、絵の中に不思議な機械が描かれていたことで、「面白い記述」というのは、その道具が「目の前の景色をどのような色や明暗で表現すれば良いかを判断するために作られた光学機器である」という説明だった。その「連続色→離散色・明暗変換」の道具は、時代を考えればおそらく単純な色分解フィルタなのだろう。…ただ、残念なことに、その不思議道具(色分解フィルタ・ツール)が描かれていた絵が誰のどの絵だったかを忘れてしまった。時代背景を考えれば、17世紀後半から19世紀中盤くらいの絵だろうと思うのだけれど、誰のどの絵だったのかを全く思い出せないことが残念至極である。
人間の比視感度を考えると、(赤:緑:青=3:6:1くらいで)緑色の感度が高い人が多い。だから、少し赤味がかった緑色をしたサングラスでもかけながら景色を見れば、色の着いたリンゴやバナナや下履を簡単に黒鉛筆で「濃淡画像」として描くことができるのだろうか。
夜道、ふと横を見ると、「夜のコンビニを、ケント紙に鉛筆で描いた"コンビニ#3"」に瓜二つな景色が見えたので、ケータイでその景色を写してみた。そこには人も車も写っていて、そのまま私たちの現実の世界だ。けれど、それだけだ。"コンビニ#3"にある妙な存在感(あるいは不存在感)がそこにはない。それが、良いことか・悪いことかはわからないけれども。
2008-04-22[n年前へ]
■桜が散っている小さな神社の景色を描く
「透明下敷きボード」と「原始的"Mixed Reality"」と同じようにして、桜がずっと散り続けている小さな神社を描いてみる。そんな古い道沿いの景色をなぞってみる。
2008-07-05[n年前へ]
■日本人が感じる「理想の体型」は7.7頭身!?
イラストレーション・ソフトを作ったりする時のために、デッサンの勉強をしている。輪郭線に影響を与える人体骨格を改めて眺め直したり、あるいは、その骨格を包み込み繋いでいる筋肉の形などを見て、その構造に沿って人体を描こうとしてみる。そんなことをしていると、どのように頭部と胴体を分けた処理をすれば良いか、どのように輪郭線抽出の際の手抜きをすれば良いか、が見えてくるような気がする。
人体の骨格や筋肉を眺めなおしていると、知らなかったことばかりで面白い。たとえば、男性の尾骨より女性の尾骨の方が後ろに丸く広がっていたり、骨盤の形・前後左右への広がり方が全然逆だったり…と当たり前のようにも思えるけれど、それらの骨格・筋肉図を頁の上で眺めなおすと、それはとても新鮮だ。
そしてまた、「日本人が理想とするプロポーションは8頭身ではなくて、7.7頭身だ」といった言葉も、比較用の図を眺めながら読むと、実に自然に納得させられる。ギリシャ時代から理想のプロポーションは8頭身だとされてきたが、日本の女性誌人気モデルはおよそ7.7頭身ほどだという。理想プロポーションとされている8頭身のミロのヴィーナスを見ると、確かに、妙に頭が小さくて逆にやたらに胴体が大きく感じてしまい、「理想のプロポーション」には感じられない。ボッティチェリの9頭身のヴィーナス(の誕生)に至っては、大きな胴体に頭部がおまけのようについているように見えてしまう。
日本人のプロポーションは平均6~7頭身だという。実際に比較用の画像を眺めてみると、なるほど、6.5頭身の女性像が一番魅力的に思える。それが、6.8頭身にもなると、ちょっと顔が小さく・胴体が大きく見えて、感じる「親しみ」が少し減じてしまうように見えてくる。5%の違いがそんな印象・感性的な大きな違いを生むというのが、何だか不思議で面白い。
下の動画は、イラストレーション化したレッシグ教授の動画だ。全身像を見ると意外に顔が小さいのだけれど、この動画のように、胸から上だけを写した「頭身」を感じさせない画像からは、「親しみ」を強く感じるように思う。そういった感じ方への個人差・地域差・地域差といったものは、どういう具合になっているのだろうか。