2002-02-06[n年前へ]
■新穂高ロープウェイスキー場
職場四人で日帰り新穂高温泉スキー場。いつ来てもここは日本一のスキー場だー(ある意味)。今日はこのスキー場でスキーをしていた人は私たちを含めトータル9人。あと、ボードが二人(下のゲレンデで)。つまり、トータルで十人くらいしかいない。これはホントにホントである。そして、「スキーしてる人がいるぞー」と山を見に行く観光客に指さされること数知れず…
北アルプス山中にあり、槍ヶ岳も近くに見えるパノラマコース(西穂ツアーコース)は本当に日本一。上級者であれば楽しめること間違いなし(初級者はもちろん、中級者もガイド付きでなければ滑走禁止)。写真は下を見下ろして楽な場所で写すので、キツイ斜面はどうしても写せません。なので、楽そうなところしか写真はとれてません。
とりあえずこんな感じの感想で。詳しくはまた。
2002-08-17[n年前へ]
■複数解像度画像を用いた高精細モザイク画像の生成と掲示
設楽ら。複数の画像をつなぎ合わせ一枚のパノラマ画像などを生成する。
2002-10-26[n年前へ]
■世界を映す玉手箱
掌の上の不思議な世界
先日、人工衛星から撮影された夜の地球を眺めてみた。そんな夜の地球で輝いている「街の灯」を眺めていると、そんな宝石のような地球を自分の掌の上に載せて眺めてみたくなる。夜の「街の灯」できらめいていたり、人が住んでいるのに真っ暗だったりする、そんな小さな地球を作ってぼんやりと眺めてみたくなる。
そういえば、一年近く前に「小さな掌に未来の地球儀をのせて」でメルカトル図法の地図画像から正二十面体展開図を作成して、小さな正二十面体の地球儀を出力するソフトウェア"Icosahedron"を作ったことがあった。このソフトとプリンターがあれば、色んな地図から掌に載る小さな地球を作ることができる。そして、自分の掌の上で小さな「夜の地球」を眺めてみることができる。
そういうわけで、夜の地球の画像を"Icosahedron"で読み込んで「小さな正二十面体の地球」を作ってみたのだけれど、その作業の途中で"Icosahedron"をいじって、
- うっかりミスのバグ修正(メルカトル→正二十面体展開図変換が間違っていた)
- のりしろ部分をきちんと描くようにした
- ソフトから直接印刷もできるようにした
- Susieプラグインに対応
- Icosahedron (2002.1026) Windows版 429kB(Linux版公開時のお知らせは"いろいろ"の方で…)
ところで、地球を中心にして地球を全周囲から眺めた様子を二次元に投影したものが地図だけれど、その全く逆のことをしたものがある。それはパノラマ写真である。何故なら、パノラマ写真は「世界の何処か一点を中心として、その点から全周囲を眺めた様子を二次元に投影したもの」であるからだ。つまり、「何処かを周囲から写したものが地図」で「何処かから周囲を写したものがパノラマ写真」であるという違いだけで、その二つはほとんど同じものだ。だから、パノラマ写真を元にして、Icosahedronで正二十面体を作ってみても、ちゃんとした世界ができあがる。
例えば、パノラマ写真を元にして、"Icosahedron"で「とても巨大な正二十面体の展開図」を作って、景色が印刷された面を内側にして「人が入れるほどの巨大な正二十面体」を作ってみれば、それは即席のパノラマ上映館となる。そしてまた、逆に景色が印刷された面を内側にして「小さな正二十面体の展開図」を作って組み立ててみれば、それは周囲を全ての景色をまるで鏡のように映し出す不思議な水晶玉のようなものができあがることになる。外に向かって「何処かから見た外側の景色」を映し出す不思議な水晶玉ができあがることになる。
結局のところ、数学的に言えば「巨大なパノラマ館」と「小さな水晶玉」の違いは曲率の符号が反対、というだけである。「巨大なパノラマ館」の場合は曲率がプラスで「世界が閉じて」いて、「小さな水晶玉」の場合は曲率がマイナスで「世界が開いて」いて、そして「正二十面体の展開図」の場合は曲率が0で「世界が平坦」だというだけの違いにすぎない。だから、「巨大なパノラマ館」はその中に向かって「何処かから見た外側の景色」を上映しているけれど、「小さな水晶玉」の場合はその外側に向かって「何処かから見た外側の景色」を上映している、ということになる。「巨大なパノラマ館」を"insideout"にひっくり返してみれば、世界が開かれた「小さな水晶玉」に変身するというだけだ。
以前、「箱根の湖尻から眺めた早朝の世界」をパノラマ写真にしたことがあったが、試しにこのパノラマの景色を映し出す小さな水晶玉を作ってみよう。
上の「箱根の湖尻から眺めた早朝の世界」を閉じこめた「小さな正二十面体」が下の展開図だ。これを組み立てさえすれば、小さな正二十面体の中に「ある場所から眺めた世界」が映し出されることになる。ちょうど、透き通った水晶玉を通して色々な場所からみた景色を眺めるように、この小さな正二十面体を覗けば「箱根の湖尻から眺めた早朝の世界」を眺めることができる。
そしてまた、小さな正二十面体に閉じこめることができる世界はパノラマ写真に限らない。例えば、「自分の周囲を描いた絵画」であっても構わないだろうし、あるいは「自分が描いた何か」であっても良いと思う。そんなものを小さな水晶玉に閉じこめてみれば、その水晶玉は「自分の描いた世界」を外側に向かって映し出し始めるのである。
例えば、エッシャーの「夜と昼」を正二十面体の世界に閉じこめてみたのが、下の展開図だ。これを組み立てれば、エッシャーの描いた世界が、エッシャーの描いた「昼と夜」が小さな正二十面体の中から映し出されることになる。これを組み立てた正二十面体を覗いてみれば、不思議なエッシャーの世界を色んな方向から眺めることができるのである。
こんな風に、色んな画像から色んな「世界を映す玉手箱」を作ってみて、例えば「何処か旅先で撮った写真」や、例えば「誰かと撮った集合写真」や、例えば「自分の描いた落書き」や、色んな何かで小さな正二十面体を作ってみれば、きっと何か世界を写す小さな玉手箱ができあがると思う。その人だけの「その人の世界」を外に向かって映し出す小さな水晶玉ができあがるに違いない。正二十面体に閉じこめられた、だけど外に向かって開かれた、そんな世界を眺めてみるのはきっととても面白いことだろう。
もしも、あなたがそんな小さな正二十面体を作ってみたなら、ぜひぜひその「世界を映した玉手箱」を写した写真を私にも送ってもらえるとうれしいです。そんな小さな世界の展覧会も開いてみたい、ですしね。
2002-10-29[n年前へ]
■正二十面体の地平線の向こう
今日頂いたSさんからのメールを、ほぼそのまま転載。最後の「hirax.net風」という辺りは少しばかり曖昧かつ楽観的にしてしまいました。
世界を映す玉手箱 - 掌の上の不思議な世界 -
どんな写真で作ろうかな?と考えてみて思ったことは、 「パノラマ水晶玉みたいな写真外向き正二十面体」はワクワクして楽しそうだし、「内側を覗きこめる写真内向き正二十面体」はドキドキしてとても楽しいだろうけれど、でもふつうの視野の写真を正二十面体にしたものだってとても趣があるということです。
特に、二十面体の作る人工地平線が写真に与える効果はとても不思議です。「普通だとぼんやりとしか見えない地平線」が「正二十面体上の人工地平線」ではくっきりと見えていて、近くの物さえも地平線が覆い隠すさまがとてもよく見えるのです。
例えば、壁に掛かっている妻と私の幸せそうな記念写真も、正二十面体上の世界では
(正面から見ると)幸せな夫婦者
(左から見ると)アホづらに薄笑いの怪しい男一人
(右から見ると)ほほえむ女一人
(裏から見ると)二人ともいない背景だけの世界
と姿を変えて、この人工地平線は非情ともいえる強制力で見るものへの印象・意識を変化させるのです。ちょっと角度を変えるだけで、妻のすぐ隣にいるはずの私が地平線の彼方へと押しやられて、それなのに(むしろ)幸せそうな妻が残り、さらにもう少しほどずらすと風景だけになってしまうのです。
例えば、二十面の何処かの一面に泣いている人が写っていても、その泣き顔は「地平線の向こう」の他の面からは見えないのです。かなしいことに、なかなかその泣き顔は心に映らないのです。
ふと考えてみれば、私たちはみんな一人が一つの面に立っていたのかもしれません。もしかしたら、私たちの地球は六十億面体だったのかもしれません。六十億面体の上の、六十億のそれぞれの平面の上に立ちつくす私たちにはすれ違う人さえも「地平線の向こう」で、世界の上で起こる色々なできごとだって、やっぱりなかなか心に映らないのかもしれません。かなしいことに。
だけど、掌の上で正二十面体の地平線を眺めれば、「普通だとぼんやりとしか見えない地平線」をはっきりと眺めることができれば、その地平線の向こうだってきっと見えてくるような気がします。少しくらいは、その向こうの景色や人が心に映るような気がします。正二十面体をちょっと転がしてみれば、「地平線の向こう」だってゆっくりと見えてくるのかもしれません。