hirax.net::Keywords::「ロボット」のブログ



2011-01-15[n年前へ]

「いつも思考し創造的仕事をする」という非人間性 

 「現代科学思想事典 (講談社現代新書) 」中に収録されている、中山秀太郎「オートメーションへの錯覚」から。

 骨の折れるくりかえしの単純労働は人間のやるべき仕事ではない。創造的仕事こそ、人間のする仕事であるということがいわれ、自動化へと進み、ホテルの入り口のドアまで自動化された。はたして単純労働は人間のやるべき仕事ではないか。いつも思考し、創造的仕事をするのが人間性回復なのか。人間も動物である。動物は、単純労働も必要であるし、それがまた創造性を助けることにもなる。

中山秀太郎

2011-09-26[n年前へ]

高校生向けロボット学習プラットフォーム「NI LabVIEW for LEGO MINDSTORMS」発表 

 高校生向けロボット学習プラットフォーム: 教育向けバージョン「NI LabVIEW for LEGO MINDSTORMS」発表

 同製品は高校生を対象としたプログラミング環境で、販売代理店のアフレルを通じて10月1日より提供を開始する。価格は1万3000円から。
 同製品は、授業や競技会などで、LEGO Educationロボットプラットフォームとともに使用することを目的に開発されたもの。LEGO MINDSTORMS NXTロボットの視覚的な制御とプログラミングを助けるとともに、エンジニアや研究者が使用するものと同じソフトウェアの使い方を習得できる教育用ツールだ。

2012-04-24[n年前へ]

「"稼ぐ力"」と「(機械が働き)人が働かずに暮らせる未来」 

 フリーペーパーR25に、日本は莫大な所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い、という論調の経済解説記事が載っていた。

…「日本の”稼ぐ力”が弱くなった」と悲観的な論調が目についた。貿易がダメだと日本は稼げない、と言わんばかりだった。
(中略)2005年から、貿易以上に日本が稼いできたものがあったのだ。それが「所得収支」である。海外に投資をすることによって得た、利子や配当などのリターンである。
(中略)本当に「日本はもう稼げない」などと悲観しなければいけないことだったのか。

 こどもの頃、SF小説を読みながら、機械がいる未来を夢見た。

 …農場では機械が農作物を作ってる。農場で作られた麦からは、工場で機械が自動作業でビールを作り、人はビールを飲みながら、本を読んでいる。つまりは、機械が人間の代わりに働き、そして、人間は”働かずとも優雅に過ごす”ことができる世界である。

 今、日本の工場では、たくさんの機械たちが働いている。ただ、こどもの頃の想像と大きく違ったのは、自動機械(ロボット)が働いても「自動機械の持ち主(それは”お金持ち”だ)」にお金が入ってくるだけだ、ということだった。そして、自動機械の持ち主でなく、働いていない種類の人類には「タダでどこからかビールが運ばれてくる」わけではなかった、ということだった。

 「所得収支があるから、日本の”稼ぐ力”に関して悲観する必要は無い」という解説を読んで、こどもの頃に想像した「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」を思い出した。

 70年代、こどもが想像した未来像は間違っていた。「(機械が働き)人は働かずとも優雅に暮らせる未来」は、「機械を持つもの」にだけ当てはまる世界だった。そして、もちろん、働かなくて良い世界を夢見た(怠惰な)こどもは、機械を持つ側ではなかった。

「日本の






2012-10-30[n年前へ]

未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」 

 お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。

 たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。

 自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。

グライダー能力

 今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。

 「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。

 そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。

 自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

広義のプログラミング
「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。

 ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。

 近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック

2012-11-07[n年前へ]

「答えられる(だけの)力」は必要ない 

 「やりたいこと」はあるけれど、そのやりたいことを的確に表現する「コード」を書いたなら、(機械でない)人に頼む仕事自体が消え失せてしまうというジレンマがあります(未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」

 それと同じように、的確な「問い・質問・問題」を一度作ったならば、その「問い」に対し(機械以外の)何かに答えてもらう必要はほぼ消え失せてしまう、というジレンマもあります。なぜかというと、的確な「問い」というものは、「答えると意味あることを、答えうる範囲・解きうる条件に落とし込む」ものであって、そのような「問題」を描き出してしまったならば、当たり前のように、その「問題」の答えは導き出されるものだからです。

 だから、「やりたいこと」を的確に表現したならば、(後は機械に任せれば)やりたいことが消えてしまうように、「解くべき問題」を的確に表現し得たなら「問題を解くための作業」の過半数は終了しているというようになることも多いような気がします

 本当のところ、「答える」ためには「的確な問い」を描くということが必要十分条件なのではないか、と思います。だから、「問題を出されたら、答えることができる能力」なんて(その問題が作り出された段階で、すでに問題は解かれているのですから)実は無意味だ…と感じることも多いのです。

 必要なのは「問い・問題」を手にするための力で、「答えられる(だけの)力」ではないだろう…と思うことが多くなりました。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック



■Powered by yagm.net