2005-05-05[n年前へ]
■「未来予想図の多数決」と「12人の怒れる男」
西村 肇氏の言葉は次のように続く。
独創的な仕事とは、みんなで相談して出来るものではなく、傑出した個人がみんなを引っ張って出来るものという点です「七割が賛成するプランは時すでに遅く、七割が反対するプランでやっと先手がとれる」という松下幸之助の言葉をひきつつ「周囲が - そんなのうまくいくわけない - と思っていることでもとにかくやってみて、他にないものを生み出していけたら…」と語る「反対の中からイノベーションは生まれる 」を読みつつ、確かに何か新しいことをするような場合には「(未来に)正しそうな考え」は必ず少数派になるものなのだろうなぁと想像する。多数決ではきっと未来予想図を描くことはできないだろう、と想像する(私には想像することしかできないけれど)。映画「12人の怒れる男」ではないが、多数の考えが「正しくなくて」の少数の考えが「正しい」ということは、決して稀ではないように見える。
もちろん、その未来予想図が「正しい」かどうかは、西村 肇氏の先の言葉「理科人間の議論は一回で論戦を決着できる物証の提示」で決められるべきものだと思う。つまり、人間の頭の中の想像・妄想ではなくて「描いた未来を物証で示す」べきものなのだろう、と思う。つまり、結局のところ「未来を予測する最良の方法は、未来を創りだすことだ(The best way to predict future is to invent it.)」というアラン・ケイ(Alan Kay)の言葉に尽きる、のだろう。「未来の想像・妄想図」を現実のものとして作り出してしまえば、それは想像や妄想の未来ではなく「現実」になるのだろう、と思う。現実に生み出された未来を見れば、そしてそれが実際素晴らしくて受け入れられていくものであれば、その未来予想図は「正しい」ということになるのだろう、と想像する。
■「何でもやればできる、という言葉」
ところで、 「未来予想図」は多数決で想像したり決めたりするものではなく、「未来は実際に作りだしてしまえば良いもの」ということを考えるとき、例えば「技術者と作業員」の
技術者とは、大勢の人たちが無理だと思っていたり、どれだけ試行錯誤してもうまくいかないような(例えばコンピュータに関連する)技術的な難題を、人並み外れた凄まじい問題解決能力で解決し、たちどころに目的を達成してしまう能力を持つ特殊な人たちのこと。多くの場合、置換不可能である。誰でも勉強すればなれる訳ではない。のような言葉を連想してしまう。「人並み外れた凄まじい問題解決能力でたちどころに目的を達成してしまう」ような人であれば、「未来を実際に作りだしてしまう」こともすぐにできそうだ。しかし、そんなことはなかなかできることでもなさそうだけれど…とも思ったりする。
以前、ペトロ三木が「ジェネジャン!」の何かの回で、他のタレント出演者たちに向かって
(芸能界で成功するのは才能のある一部の人間だけだろ)(才能あるヤツが)「何でもやればできる」みたいな発言をするから、ありもしない才能を信じる奴らが増えるんだよ。おまえらは社会に対して無責任なんだよ。というようなことを言っていたが、その言葉が頭の中にプカプカ浮かんでくる。「ぼくは別に何かの才能があるわけじゃない。誰でもみんなやろうと思えばできると思う」と語る堂本光一に、ペトロ三木が「アンタのルックスは(みんながみんな持っているもののはない)立派な才能だろ」とツッコんでいたのを思い出す。(社会に対して無責任とは思わないが)誰でも「何でもやればできる」わけではないよなぁ、と思ったりもする。そしてまた、「(何かを) - やろう - と努力をちゃんとできること」も「才能の一つ」なのかも、と思ったりもする。あついは、「誰でもみんなやろうと思えばできる」と信じる力こそが、欠かせない才能の一つなのかもしれない、とも思う。もしかしたら、それは「夢」を見たり、「夢」を見させたりする能力なのかもしれない。
登 大遊氏は尋常でない才能の持ち主だし、伊藤直也氏だってそれは同じだ。彼らの言葉を「なるほど」と熟読しながら、ふと我に返ると「12人の怒れる男」の正義を追求するヘンリー・フォンダではなく、人の意見に激しく左右されてしまう「12人の優しい日本人」になる自分がいる。彼らの言葉を眺めていると「…_|‾|○」という気持ちにもなったりするけれど、そんなorzな気分は「アラン・ケイの直筆サイン(The best way to predict the future is to invent it !)入り高座扇」ででも吹き飛ばすことにしてみようか。
2005-05-27[n年前へ]
■大阪府立大学でマクルーハン
大阪府立大学で、印字(画像)出力市場の10年後、に関するシンポジウムを聴く。個人的には、アラン・ケイの言葉で話を締めくくった富士ゼロックスの深瀬氏の話と、マーシャル・マクルーハンの言葉で締めくくったリコーの平倉氏の話に興味を持った。もっとも、興味を持ったのはどういう人が・どういう言葉のひくかという点だった。
「アラン・ケイの言葉で話を締めくくった深瀬氏の話」には、「未来を予想しよう」というシンポジウムと「未来を予測する最良の方法は、未来を創りだすことだ"The best way to predict future is to invent it."」というアラン・ケイの言葉とどう両立するのか、を聞いてみたくなった。また、「マクルーハンの言葉で話を締めくくった平倉氏の話」には、マクルーハンの言葉に繋がるフレーズを眺めると、フォーカスされるべきは出力技術自体ではないのでは?という質問をしてみたくなった。いずれも、その答えは(自分自身が出すべきことだと思ったので)結局質問はしないまま…。
Gutenberg made everyone a reader,Xerox made everyone a publisher.
Marshall McLuhan
And, personal computers are making everyone an author.
Stewart BrandAnd, the Internet has made everyone a commentator.
Christian Science Monitor;June 19,1995
2005-09-24[n年前へ]
■2055年までの「未来予想図(年表)」
Tech総研ブログ 平林純@「hirax.net」の科学と技術と男と女に2055年までの「未来予想図(年表)」 - 続 「過去」の長さと同じだけ先の「未来」が見える - を書きました。 「過去」の長さと同じだけ先の「未来」が見えるの続編のようなそうでないような…、というような話です。キーワード的には"Dog year"というようなあたりなのでしょうか。結局のところ、「逆に言うならば、現在の瞬間の最先端の景色を眺めていても、ほんの一瞬先の未来しか見えないんじゃないのかな」という辺りが素直な感想なのかもしれません。
せっかくなので、2055年までの「未来予想図(年表)」を作ってみました、エクセルで…。というわけでアヤシく・信頼性の低い話です。とはいえ、その「未来予想図(年表)」は人それぞれなので、信頼性はあなた次第かもしれません!?
それらの本のページのどこかに、2055年までの「(あなたにとっての)未来予想図・年表」が見えてくるかもしれません。 もしかしたら、それがあなた自身の「未来予想図(年表)」なのかも…
2006-01-21[n年前へ]
■「此処ではない何処か」
from リンク先。
時折、予想もしない辛いことも起きたりする。もしも、あの日実験室で何事もなく打ち合わせがあったなら、この小説はどんな結末だったのだろう。考えてもしょうがないことだけれど、そんな違う結末の本があったなら、そっちの本の方は少し読んでみたいような気がする。この本ではなくて、その実在しない本の方を読んでみたい。