hirax.net::Keywords::「北海道」のブログ



2004-08-03[n年前へ]

日本橋から走って、御殿山ヒルズで一休み中 

 以前は毎朝ランニングをしていたのに、最近全然していない。というわけで、今日は久しぶりに8kmほど箱根の麓を走ってみた。ただ、それだけだと張り合いがないから、東京日本橋辺りを出発したつもりになって、走った距離数だけ(精神的に)地図上で移動してみることにしよう。とりあえずは、東海道にでも沿って名古屋・京都・大阪と移動してみることにしよう。そして、せっかくだから、九州まで行って、その後北海道に行ってみることにしよう(それは絶対無理かも)。

 まずは、今日走った距離は8kmだから、ちょうど日本橋から御殿山ヒルズ付近まで走った計算になる。うん、この分で行くとすぐに東京を脱出できそうだ。現実の都会でなくて、地図上の都会を走るのは結構気持ちが良いかもしれない。何より、飽きないし。

 もしも、飽きずに走り続けたら、ここを読んでいる方の住む辺りの近くを(あくまで精神的に)走るかもしれません。その際には、走ると(やっぱり精神的にですが)面白そうな場所のご案内などして頂けたら幸いです。

 というわけで、今日の一休みは御殿山ヒルズの前辺り。走った後には、当然ですが尾てい骨の痛みが増しました。うぅ。

2005-01-09[n年前へ]

津波から逃げきれないときの対処法 

 ARTIFACT経由で「巨大津波と避難行動ー奥尻島青苗地区で何が起こったかー北海道南西沖地震調査報告(PDF)」を読む。これは「奥尻島で生存者に聞き取り調査」を行ったものだが、生存者たちの行動を自分の普段の行動・生活に置き換えて読んでみると良さそうだ。

 ところで、第一に「とにかく津波が来たら高台へ避難する」のは当然だが、津波の危険を察知してから津波が来るまでの時間がほとんどない場合もあるだろう。そんな時は、「地面にしっかり固定されているものにしがみつき、(衝撃の強い)津波が通り過ぎるのを待つ」のが良い、という。

Tsunami on Water planet これは、アリューシャン津波に関する米国の報告や三好寿らによる「日本海中部地震での津波死者たちを検死した医師と助かった人たちへの聞き取り調査(1985)」から導き出されたものであり、「津波による最終死亡原因は体をコンクリートや岩などの固い地面に打ちつけられたことによる内臓破裂が多い」ため、「海岸で津波に追いつかれて逃げ切れないと判断したときには、自分から地面に伏せ、できれば固定した何か(鉄筋の先なぞ)につかまって、体の上を津波が通り過ぎるのを見送ることにより衝撃を緩和するのが生き残るのに有効である」とされている。少なくとも、日本の地理形状・地震発生状況を考えれば、日本では有効かつ知っておくべきことだと思われる。

 「とにかく津波が来たら高台へ避難する」のは当たり前だが、「瞬時に訪れる津波から逃げ切れないとき」はどうするかの考察も風化させるべきではないだろう。

2007-05-06[n年前へ]

「送籍」と「名前」 

 図書館は5階建てだが、人でにぎわっているのは1階だけだ。少し前に出版された本が置いてある2階より上には、ほとんど人がいない。人がいない2階で、無意識のうちに1冊の文庫本を手に取っていた。本を手に取ったのは、本当に無意識の一瞬のことで、気づいたら書庫から本を抜き出していたというのが的確なところである。その本を手に取った理由をあえてつけるなら、その本が「コロンブスの卵」という名前で、ちくま文庫だったからだと思う。「コロンブスの卵」という題名は科学的・工学的なものを感じさせるし、ちくま文庫はとても読みやすい文字レイアウトだという感覚が意識の底に染みついていたからに違いない。

 その本を抜き出すと同時に本の頁を開いた途端、少し驚いた。開いた頁に、「徴兵忌避者としての夏目漱石」という考察が綴られていたからだ。「展望」の昭和44年6月号に掲載されたという、丸谷才一の「徴兵忌避者としての夏目漱石」がそこに載っていたのである。前から読みたいとは思っていても読むには至らず、しかし内容が気になり数日前にも関連記事をブックマークしたりした、それらの記事の源流がそこにいきなり出現したので、驚いたのである。

 私の友人で送籍という男が「一夜」という短編を書きましたが…
1905年 「吾輩は猫である」
 

 これまで、半藤一利や北村薫の著作など、漱石の名前の由来を巡る話として「徴兵忌避者としての夏目漱石」の名前を出したものを読んでいた。しかし、「徴兵忌避者としての夏目漱石」は、徴兵忌避のために漱石が北海道へ籍を移した(送籍)ことが、漱石の神経衰弱の大きな理由になっていて、徴兵忌避の自責という視点から眺めてみれば、「こころ」の不可解な結末(乃木大将が出てくる必然性)も納得できる、という内容だった。漱石という名前が、「負け惜しみが強い」という意味の「石に漱ぎ流れに枕す」だけでなく、「送籍」をも意味するのではないかというような内容は、「徴兵忌避者としての夏目漱石」では書かれておらず、あくまで「こころ」に至るまでの背景・構造解説に集約された内容だった。

 「徴兵忌避者としての夏目漱石」の内容はとても自然なものだっただけれど、それとは別の、自然ではない「漱石の名前の由来を巡る話」にも、やはり興味を惹かれる。夏目漱石が最初に漱石という名前を使ったのは、1889年5月の「七艸集」上であって、漱石が(徴兵忌避が可能な)北海道へと本籍を送籍したのは、その3年後の1892年4月であるから、夏目「漱石」という名前の第一の由来は「送籍」ではないのだろう。しかし、漱石の最初の小説「我輩は猫である」で、自分自身を「送籍」という名前で語っているのだから、やはり自身の送籍を意識していたに違いない。

 「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡に送籍君を打ち留めた。
1905年 「吾輩は猫である」

 「籍」は名前と住所のデータベースだ。英語で言い換えれば、レジストリである。Windows ユーザが日々悩まされているWindowsレジストリなら、名前と値が階層構造で格納されたものだ。名前などを鍵(キー)にしてそのデータベースを呼べば、値など必要な全ての情報が得られるわけである。籍を移動することで固定されない浮いた状態にしてしまう「送籍」ということからは、「名前が無い・固定できない動的なもの」を連想してしまう。

 小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしとして暮したい希望を持つております
1911年

「無名関数」と「吾輩は猫である」  博士号拒否の際に自身を「ただの夏目なにがしでいたい」と書いた夏目漱石は、その「なにがし」の部分を一つの明らかな言葉で置き換えること、すなわち自身を名付けることはできなかったのではないか、と想像する。この「なにがし」は、博士号という冠・名前を軽く扱う表現上のトリックであると同時に、実は「なにがし」の部分は、漱石にはこのように表現することしかできなかったのではないだろうか。本名の金之助をここに入れることは、もとより忌み嫌っただろうし、それが「漱石」という号であっても、一つの固定した意味しか持たない限りは、ここで使うには至らなかったかもしれない。何かを書くことで自身を作っていくことはできても、その自身にふさわしい名前を付けることは非常に困難なことだったのではないだろうか。関数の中身を長く書き続けることはできても、その関数を「短い言葉」で表現することは不可能だったのかもしれない、とふと思う。

 私はその人をつねに先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
1914年 「こヽろ」
(dekirukana9/registry)

2010-08-10[n年前へ]

「東京理科大の入学式」の「すべらない話」 

 人は誰も1つはすべらない話を持っており、そしてそれは誰が何度聞いても面白いものである。…これはテレビ番組「人志松本のすべらない話」のキャッチフレーズです。このキャッチフレーズを聞くと、東京理科大の入学式の話を思い出します。日本武道館で開催される理科大の入学式にまつわる話は、とても面白く、何度繰り返し聞いても、いつも前以上に笑ってしまうのです。

 東京理科大学の公式な入学式紹介を読むと、「入場(受付)開始:  9時20分」とあり、「退場予定: 12時00分」とあります。ただ、その後ろにカッコ付きで、「(基礎工学部入学生・ご父母退場予定: 11時35分)」と注釈が付けられています。「えっ?何で一足先に退場する人たちがいるの?」と、首をかしげてしまう注釈です。

 東京理科大基礎工学部に入学した1年生たちは、最初の一年を自然が満ち溢れる北海道の長万部キャンパスで過ごします。その長万部キャンパスに、新入生たちは入学式の会場から直接向かうのです。
「入学式の途中、武道館に放送が流れ、基礎工学部の新入生たちは途中退出していく」「武道館では退出しやすいように、アリーナではなく、上階席が用意されている」「(移住のための)大きな荷物をひきづりながら出ていく人たちを、他学部の新入生たちは大きな拍手ともっと大きな笑いで送り出す」 「日本武道館からバスで羽田空港に向かい、飛行機に乗せられたかと思うと、夕刻には長万部の町で、町の人々とカニが手旗を振って新入生たちを歓迎してくれている」「東京理科大という名前だけれど、基礎工学部生は長万部キャンパスの後には、千葉の柏キャンパスに行く。だから、東京には入学式・卒業式のたった数時間時しか足を踏み入れない。しかも、入学式は途中退場」・・・等々、送り出した側・送り出された側、双方がいる場でそんな話を聞くと、面白おかしくて、いつもお腹が痛くなってしまいます。

 「人は誰も1つはすべらない話を持っており、そしてそれは誰が何度聞いても面白いものである」というのは、「人」に限るものではないのでしょう。あなたの知っている「場所」には、どんな「すべらない話」があるのでしょうか?

 (右の写真は、長万部に移住した基礎工学部生たちが、これを賭けた綱引き大会で全力を尽くして戦うことで有名な、北海道名産のカニのイメージ写真です)

2012-11-21[n年前へ]

「北海道は果たして日本固有の領土なのか?」「大戦後の日本分割統治案に沿っていたら日本を支配する国々は?」 

 中華料理屋で「ご自由にお持ち下さい」という張り紙と共に無料で配られている「網博週報」という週刊新聞を、毎週楽しく読んでいます。中国視点の記事が、とても新鮮だからです。

 最近は、「北海道は果たして日本固有の領土なのか?(戦国時代に遡ってみれば、そもそも北海道は日本の領土と言えるのか?)」「第二次大戦終直後の日本分割統治案に沿っていたなら、日本の各地域はどの国が統治する?(どの地域を各国・中国が統治しているのか?)」というシリーズが面白いです。なるほど、東京・大阪という2大都市は、複数の国による統治になっていたり、なぜか四国は中国統治だったりしたのか…と「日本の歴史再入門」といった具合です。

「北海道は果たして日本固有の領土なのか?」「第二次大戦終戦後の日本分割統治案に沿っていたならば?」 「北海道は果たして日本固有の領土なのか?」「第二次大戦終戦後の日本分割統治案に沿っていたならば?」 「北海道は果たして日本固有の領土なのか?」「第二次大戦終戦後の日本分割統治案に沿っていたならば?」 








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