2005-09-18[n年前へ]
■「目立つのもいや、無視されるのもいや」
(無料で定期購読することができる)富士ゼロックスの広報誌グラフィケーションが届く。今月号は、「大学はつまらない、と多くの学生が言う。いまの学生はひどいです、と教師が集まると話題になる」とメディア批評家の粉川哲夫が書く「電子と手の思考(9) -大学を実験「劇場」に-」が面白い。
まず、「目立つのもいや、無視されるのもいや」という二律背反に見える「いまの学生」が、ゲームをみんなで楽しむ中では「活発になる」ことへの言及から始まり、粉川哲夫がこれまで大学で行ってきた「実験」講義の歴史が語られている。1987年の和光大学の期末試験として「スターリン」のライブを行った「スターリン・コンサート騒動」についても語られている。面白い。
2006-09-08[n年前へ]
■「会社は誰のものか」と「効率重視」
経済学インタビューをしていく中で、何回か「会社は誰のものなのでしょうか?」という質問をしました。いくつもの答えを聞きながら、私は「会社は株主のものなのかなぁ…」と感じていたのです。しかし、GRAPHICATION(グラフィケーション) No.146「特集:企業社会は今」を読み、その感覚や認識が変化したのです。
それは、その特集中にあった、佐藤俊樹氏の「会社人間をこえて」や奥村宏氏の「もっと株式会社について考えよう」などを読んだからです。
もし自分の犬が他人を噛んだら、所有者は相手の被害を償わなければならない。自分のものである以上、管理する責任があるからだ。所有するというのは、そういうことでもある。 ところが、会社法人が誰かに被害をあたえても、株主には賠償責任はない。…責任はとらないが自分のもの、なんて虫のいい話は資本主義の世界にはない。
佐藤俊樹 「会社人間をこえて」
会社が株主のものなら、公害事件などさまざまな不祥事の責任は株主がとるべきなのに、誰もとっていないでしょう?…株主は、会社が倒産すれば株がただの紙切れになるだけで、それ以上の責任は持たされていないんです。 だから、会社が株主のものだという議論は矛盾しているわけです。 株式会社制度がスタートしたとき一番問題になったのは、会社が潰れたとき誰が責任をとるのかということです。この「自分のものである以上、管理する責任があるからだ。所有するというのは、そういうことでもある」といった言葉などを読みながら、「会社は株主のもの」という納得がしづらくなった…というわけです。
奥村宏「もっと株式会社について考えよう」
ところで、経済学インタビューをするきっかけ自体がGRAPHICATION(グラフィケーション) の「特集:働き方を考える」中で書かれていた、「この世は不公平なものだが、それぞれが努力すればそれに見合ったものをみんなが得られるようになる社会をどうすれば実現できるだろう?ということを愚直なまでに考えるのが経済学だ」という石川経夫の言葉でした。前にも書きましたが、この雑誌は無料で購読することができます。また、購読申し込みをするとバックナンバーも送られてきたりしますから、購読していないという人は定期購読申し込みをしてみるのも良いと思います。実に質の高い記事を無料で読むことができる、という希少な雑誌です。
2009-05-21[n年前へ]
■高学歴ワーキングプア
GRAPHICATION(グラフィケーション) 2009. No.162「特集:働き方を変えよう」
過去の時代に比べれば、自分の意志で道を選べる選択肢の多い社会が実現したかのように見えますが、しかしその実態は一方通行の専業型で、やり直しの効かないシステムがまだまだ支配的です。
人の働き方は、どんな仕事につくかというだけでなく、人の生き方、さらにはどんな社会を望むかという社会参加を含む選択の問題にもつながっています。資本主義社会の根幹をなす“賃労働”という、時間で労働力を売る働き方を変えられるかどうかなども大きな課題といえるでしょう。
真に多様な働き方が認められ、誰もが安心して暮らせる平穏な社会とはどのようなシステムが望ましいのか、今回の特集を通じて考察しました。
その中の連載記事、池内了「現代科学の見方・読み方 56」の「高学歴ワーキングプア」より。
市場原理を徹底させ、自由競争こそが活力のある社会を生むとの「新自由主義」経済は、未曽有の経済危機を招き、ますます格差が拡大して社会を披露させてしまった。
その中で高等教育を受け、博士号を取りながら、使い捨てられ、その日暮らしをしなければならない高学歴ワーキングプアが数多く存在することも忘れてはならない。
2009-10-05[n年前へ]
■無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか?
無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか?「GRAPHICATION」という「雑誌」を読み続けていたい自分自身のために、そして、「GRAPHICATION」をまだ無料定期購読するに至っていない人のために、今日いくばくかの文章を書いてみたいと思います。
人の活字離れが指摘されて久しく、一定の評価を得てきた老舗の雑誌なども商業的に行き詰まる例が目立っています。またインターネットに代表される電子メディアの台頭で、雑誌を取り巻く環境は大きく変わりつつあります。
GRAPHICATION 2009年9月号(164号) 「雑誌を考える」(詳細)
まず、結論を一言で書きましょう。結論は単純です。つまり、「無料で最高の雑誌を定期購読できるのだから、悩むことなく、GRAPHICATIONの定期購読申し込みを今すぐするべきだ」ということです。あなたが使うのは、ほんの数十秒の時間だけで、得られるものは「プライスレス」の豊かさ・厚み、です。そして、きっとその豊かさ・厚みはあなた一人の中に収まり続けるものでなく、さらに広がるものだと思います。
これまで、繰り返し「GRAPHICATION」の素晴らしさについて触れてきたように思います。
(GRAPHICATIONを)ひとことで言うなら、富士ゼロックスの企業広報誌ということになります。ただ、多分その一言で伝わるイメージは間違っていると思います。もし、この雑誌を手に取ったことがなければぜひ一読してみるべきだと思います。・・・もしかしたら、いえ、もしかしなくても、きっと気に入ると思います。
「雑誌を取り巻く環境は大きく変わりつつある」と雑誌であるGraphicationが呟く。この呟きは、真剣に受け止めたいと思います。
私は、「GRAPHICATION」は、数ある雑誌の中でも、商業誌・企業広報誌を問わずとても素晴らしい一冊だと思っています。「特集テーマ」もとに、実に優れた特集執筆陣・連載陣がそのテーマに合わせた内容をさまざまな視点から奥深く書き上げる雑誌です。
「雑誌を終える潮時」・・・という言葉を聞くことがあります。今という時代は、雑誌を作る側からそういった言葉が出ても実に自然に納得できてしまう時代になりました。いえ、なってしまいました。実際、ここ2,3年の間に、数多くの雑誌が休刊してしまいました。
しかし、その一方で、無責任な雑誌愛読者としては、たとえば、「GRAPHICATION」のような雑誌には「潮時」というものはないのではないか、とも信じています。この瞬間・刹那に消費され尽くされるようなものでない、価値あるものに対して「潮時」という言葉は当てはまらないのではないか、と思うのです。
もしも、こうした雑誌に「潮時」という言葉が仮に当てはめてしまうとしたら、それはこの時代=現代、あるいは、将来=未来に対し、絶望・諦めというものを当てはめてしまっているのではないか、と感じてしまうからです。
「モーレツからビューティフルへ」と、日本を動かしたコマーシャル、それを言いかえれば、企業広報映像がかつてありました。私は、その時代を知っているわけではありませんが、あのようなCMは決して時勢に迎合するのではなく、時代の先を予言していたものだと思います。私にとっての、GRAPHICATIONはそういう過去から現代そして未来までを見通そうとしているクロニクルです。
1960年代から1970年代へと時代が変化していく中で、企業を社会の中でどんな意味があるものとして位置付けるかがテーマだった。1960年代にひたすら成長路線を走る陰で切り捨てられてしまった人間らしさを表現するために、「モーレツ」に代わって「ビューティフル」をうたった。
すべての行動は、意識的であれ無意識であれ、現状をどう捉えているかがベースとなっている。ビューティフルキャンペーンも、「1970年代は時代の大きな曲がり角になる」という時代認識が出発点となっていた。「新しい時代を切り開く上で、われわれはこういう観点から社会に寄与したい」と表明したのだ。時代の転換に対する洞察がなければ、このキャンペーンはスタートしなかったであろう。
「ビューティフルキャンペーン」
この消費社会の中で、「豊かさとは何か」「人の繋がりとは何か」「人とは一体何なのか」と繰り返し問い続けるGRAPHICATIONは、そんな貴重なものだと思います。
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2010-11-13[n年前へ]
■「わかりやすいことには、どこかに必ず嘘が含まれている」
無料で読むことができる(この雑誌を読まないのは一生の損です)、けれど屈指のグラフ雑誌である、グラフィケーション GRAPHICATION 2010 No.171 特集「師弟関係」中の、玄田有史「師を語る - 石川経夫が生きていたら」から。
石川がなくなった後、世間で重視されるのは「わかりやすさ」ばかりになった。なんでも「わかりやすい」が一番。
しかし、わかりやすいことには、どこかに必ず嘘が含まれている。
「ワークマンシップ」という言葉を知った頃、玄田有史先生は石川経夫からワークマンシップを受け継いだのではないか、という言葉を聞きました。
「師弟関係」という言葉のもとに玄田有史先生が師を語る文章を読み、あぁ確かに「玄田有史先生は石川経夫からワークマンシップを受け継いだのだな」と心から理解したのです。