hirax.net::Keywords::「技術者」のブログ



2007-09-30[n年前へ]

「線形予測の未来」 

 線形予測は、時にスゴイ予測をする。

 2156年、女は男より速く走る。8秒079で。
けれど、もっとスゴイのは、そんな線形予測グラフをPowerPointのスライドに貼り付けて、そんな線形予測の計画が立ち、その線形予測の未来を現実に作り出してしまう技術者たちがいることだ。

2007-10-26[n年前へ]

「技術者は楽観的である」法則  

 ふとメモした言葉をオススメ記事として並べてみました。最後の「技術者は楽観的である」法則は一番のオススメです。

『勉強し続ければいつかはすごい人…(中略)になれるという妄想があるんです』
『人生の到達点はそれまでの積分なんだから、同じアドバイスがどの時点でも有効なはずだ』
『私は、技術者は本質的に楽観的であるし、楽観的であることが必要であると強く思います』

2007-11-22[n年前へ]

「研究者」と「経営者」 

 東京理科大学の宮原教授の講演を聞いた。それは、とても惹きつけられた講演だった。面白いと感じたポイントは2つあち、その一つめは、講演冒頭に「カルチャーショック」と題したスライドを見せながら話された内容だった。

 それは、「研究者」と「経営者」の間の「違い」である。話を聞きながら、走り書きしたメモをタイプしてみると、

  • 研究者(理系)
    • 誰も知らない新しいことを見つけ、新しいものを作り出す
    • 帰納的推論をする
    • これしかない
  • 経営者(文系)
    • 誰でも知ることのできることの関係性から新しい視点を作り出す
    • 演繹的推論をする
    • 色々あるさ
    という具合になる。そして、講演をする時には、研究者は「たくさんのスライドを作りたがる」というし、経営者は「1つの言葉・スライドだけからでも、たくさんしゃべる」という違いがある、という。聞き間違い・書き取り間違いは多々ありそうだけれど、こんな感じの内容だった。

     もしも、研究者と経営者の間に技術者がいるのなら、上に書いた2つの中間になりそうだ。

     そして、もう二つ目の面白かった内容は、期せずしてポスターセッションと趣向が重なり、同じように「エイク・フェルメール・モネ・デカルト・ニュートン…」という名前が登場する歴史とスペクトルと絵画に関することだ。多分、こういった内容はある種鏡のようなもので、見る視点の深さに応じて内容の深さが変わるものだと思う。深く眺めようとすれば、どこまでも深い内容が隠されているし、浅く眺めようとすれば浅い内容しか目に入らない。そういったものだと思う。

    東京理科大学東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科白い光のイノベーション






2007-12-18[n年前へ]

パソナが特許調査に参入 団塊世代の技術者活用 

 パソナが特許調査に参入 団塊世代の技術者活用

2008-06-30[n年前へ]

「競馬」と「資本主義」 

 「何か」を表すためにスポーツを「たとえ」に使うことは多い。現在の「資本主義」をスポーツで例えるならば、それは「競馬」だと思う。「経済」に関する知識が(悲しいくらい)乏しい私の頭の中では、「競馬」は「現代の資本主義」とよく似ているように思う。

 競馬を成り立たせているのは、意見の違いだ。
マーク・トウェーン

 AERA Mook Special 「21世紀を読む」の中で、岩井克人が「イデオロギーとしての資本主義は、”見えざる手により調整される自己完結したシステム”だが、現実の資本主義は”(場所・価格・情報といった)違いを利用して利潤を生むシステム”だ」というようなことを書いていた。これは、マーク・トウェーンが”競馬”について語った「競馬を成り立たせているのは意見の違いだ」という言葉とよく似ている。”違い・差”があって初めて、現在(現実)の資本主義を回すエネルギーは生まれるのだ、という風にこの言葉は響く。「理想とズレ(差)がある現実を、理想に合わせていく調整の仕組み」ではなく、「ありとあらゆる意味の”差”を持ち続ける現実から生まれる利益」で世界が動いている、というように「競馬を成り立たせているのは、意見の違いだ」という言葉、そして岩井克人の言葉、は響く。

 やりたいことと売れるというのは違うね。売れるってことはハリウッド映画みたいな、頭悪~い奴もわからなきゃいけないってことだぜ。
(西原理恵子との対談で)みうらじゅん ユリイカ 2006.07

 たとえば、「PCを自由自在に使うことができる人」がいたとする。その人が「技術的な面で心地よく理解しあえる人」を周囲に求めようとしたならば、つまり周囲と自分との間の技術的な”違い・差”="境界"を小さくしたいと願うなら、ほとんど多くの場合”利益”を生むことはできないのではないだろうか。「あなたにできること」は「相手もできたりする」のだから、境界がないのだから、そうそう利益が生まれるわけもない。

 けれど、「PCを自由自在に使うことができる人」が、「PCという言葉もよく知らないし、そんな代物を使うこともできない人」たちの中にいるなら、そこから「利益」を生むことは比較的容易にできるように思う。それを言い換えるなら、「技術的な満足」と「大きな利益」はなかなか両立しえない、ということになる。

 どんな選択を選ぶかどうか、つまり「どんな馬券を買うかどうか」「あるいはそんな馬券なんか買わない」といった賭けが積み重なったものが、現在まで続く世界を生み出し・動かしているのかもしれない。選択肢という名の馬券はたくさんあって、どんな方向にに手を伸ばし、どこかに向かって進んでいく、動かず佇み続ける、違いのある場所に行く、あるいは、理解しあえる場所にいく、そんな数々の選択が積み重なってこの世界を作り出しているのかもしれない、と思う。



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