2007-08-17[n年前へ]
■永井ペンギン博
(FM STATIONの表紙や山下達郎のFOR YOUのジャケットは鈴木英人が描いていたが)大滝詠一・山下達郎・伊藤銀次・佐野元春・杉真理らによるナイアガラトライアングルのLPジャケットを描いていたのは鈴木英人ではなく永井ペンギン博だった、と教えて頂きました。
A面で恋をして…ドーナツ盤の上であの時代に流れていた"共有"印象が、あんな近代的な版画で表されるようなイメージだったのでしょうか。
2007-08-23[n年前へ]
■うれしい一日
wgetでコンテンツをダウンロードしたサイトが二つある。そして、ファンレターを書いたサイトが一つだけある。wgetでダウンロードしたサイトは、「今日の必ずトクする一言」で、wgetでダウンロードもして、なおかつ、ファンレターも書いたのは、もちろん「ちゃろん日記(仮)」だ。その観察眼と、その目が眺める景色と、その文章がとても好きだった。
だから、「ちゃろん日記(仮)」は更新が途絶えてからも、時折、眺めに行っていた。そういうわけで、今日も、眺めに行くと、「ちゃろん日記(仮)移転のお知らせ」と、更新されていた。
思えばこの数年でweb日記はブログに進化(?)し、いまや1人1つはブログを持っているイキオイな時代です。
2007-09-16[n年前へ]
■「因果関係」と「歴史」
「イラスト化」ソフトを作ろうとした時には、スケッチの勉強をしていた。
同じ景色を見ながらも、きっと、私と彼は全く別のことを考えている。こんなに綺麗に、空が空気が青く染められている場所に一緒にいるのに、全然分かり合えていないんだ。夏過ぎには、ヘアスタイル加工のプログラムを作るために、ヘアスタイルの歴史を勉強していた。そんな風に「○×の歴史」を勉強するようになったのは、「歴史」を知ると、現状の必然やそこに至るまでの因果関係が納得できるように思うからだ。
今まで見てきたように、空気の色すら多分他人と共有しえない。少し前から、油絵の歴史を勉強している。絵やビデオや本を見ながら、油絵やテンペラ画を勉強している。
「大きな古時計」の続編の歌が有名ではないけれどあって、おじいさんの住んでた家を訪ねてみたんだ…。There is hope for the smallthere's a change for us all油絵の歴史を辿っていると、どんなものの歴史も時間という一つの軸であらわせるものなのだな、とつくづく納得する。科学という名の錬金術が経済学に影響を与えるように、錬金術が絵画のありようを形づくっている。
二つの場所に立っているからこそ、その二本の足下を確かに感じることができるんじゃないかな。その時にある色材が、その時の絵の描き方を決め、その時にある文化が、その時に描かれるものを決める。
同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。私たちがいる時間と、私たちが眺める絵画が描かれた時が、時間軸の上で違っている以上は、その絵画が描かれた時代の空気とともにその絵画を眺めることはできない。
自分が生活している国とは別の国、自分が生活することができない場所そんな場所の音楽や文化を眺めることができるのは、切なくもあるけど、それでも、とても嬉しい。だから、せめて歴史を辿ってみる。そうすれば、少しだけ、その絵画が描かれた時代の空気を想像することができるかもしれない。それに、時代の流れは、螺旋階段のように、同じような場所の上をぐるぐる回っているかもしれない。
われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。
2007-12-13[n年前へ]
■「背景は必ず後ろにあって、前景より必ず大きい」の法則
最近、何種類かの時代年表を作っている。そういった年表は、あまりに手作業すぎると思うのだけれど、Drawソフトで描くことが多い。色々な情報を、Drawソフト上でレイヤーに分けながら、色んなイベントや時代背景や、それらの繋がりを、一つ一つ描いている。
そんな作業をしていると、今更ながら、気づかされることがたくさんある。たとえば、各「出来事レイヤー」はさまざまな「時代背景レイヤー」より必ず「前面」にある、なんていうこともその「気づき」の一つだ。「時代”背景”」というのだから、後ろ・背景にいるのは、当たり前な話だけれども、それはなぜか新鮮な気づきだった。
そして、「出来事レイヤー」は「時代背景レイヤー」より「前面」にあるだけではなくて、「時代背景レイヤー」は必ず「出来事レイヤー」より「大きい(広い)」ということにも気づかされた。もちろん、これも年表作りの作業をしていると当たり前の話だ。前面にある「出来事レイヤー」が「時代背景レイヤー」より大きかったら、「時代背景レイヤー」が見えなくなってしまうからだ。
背景は必ず後ろにあって、背景は前景(出来事)より必ず大きい。これは、年表作りをしていて気づいた「法則」の一つの例である。実際に何かを具現化しようとすると、その作業をする中で、必ずたくさんのことに気づかされる。何かを具現化する作業はとても辛い部分も多いけれど、とても楽しい部分も数多くある。その楽しい理由の一つが、これら「気づき」というグリコのオマケをたくさんもらえるからだ、と思う。
2008-03-12[n年前へ]
■私たちが乗った魔法の「ライブ・トレイン」
(高層ビルを消したり・出現させたりすることができる、という)「高層ビル消滅(消灯)マジック」を読んだ人から、メールを頂きました。そこに書かれていた風景・その人 たちが見た出来事がとても素敵だったので、そのメールを(許可を得て)書き写させて頂きます。
「高層ビルを消すマジック」を読み、不思議なほどそれと似た景色を眺めたので、その出来事を書かせて頂き ます。1990年代初頭、つまり、15年くらい前の曲が詰まったR35は私のiPodにも入っています。
私たちは、ライブ(Live) R35という コンサートを、名古屋から東京国際フォーラムにまで見に行きました。1990年代初頭のヒット曲を集めたコンピ レーションアルバム R35 のヒットを記念して行われたコンサートを見に行きました。
開演時間が過ぎても、空席もあちらこちらに見える中、深くリバーブがかかったストリングスと堅い音色のシ ンセサイザが奏でるclassの「夏の日の1993」の前奏が鳴り出しました。東京国際フォーラムという大きな会場で したが、一人の観客も立ち上がったりしませんでした。私もそうでしたが、音楽を聴きながら・その時代を感じ 、そこで立ち上がる必要も、立ち上がることもできなかったのだと思います。何しろ、R35=35歳以下禁止の、あ の時代を共有する人たちですから。
中西圭三がWomanを歌い始めた頃には、空席も既になくなっていました。そんな席は、仕事場から駆けつけた背広姿の人たちや、急いで駆けつけたことが目に見える女性たちが、そんな席を埋めていました。そして、ステージの上の人たちも会場に座る人たちも、あの頃の唄を歌っていました。当時、中西圭三は久保田利伸に似ていたような気がするのですが、今では「オーラの泉の人」にそっくりになっていました。私も、当時は中西圭三と久保田利伸との区別がよくわからなかったような気がします。それにしても、「オーラの泉の人」似というのは本当でしょうか。「まるで別人のプロポーション…」ですね。
Woman
君が探してる未来は
君の中にあるよ
中西圭三 Woman
ライブの最後は、槇原敬之でした。彼が、30代後半、40代の人たちといっても、みんな、若い頃にChoo Choo TRAINを聞いているんですものね。それにしても、Choo Choo TRAINは、中西圭三が作曲されていたとは知りませんでした。ぼくが唄の好きなところの一つは、”唄は変わらない”ってことだと思うんだよね。時代が、歌う人が、色ん なものが変わったように感じられても、唄は変わらないじゃない?それって、すごいことだと思うんだよね。そ んな変わらない唄に、僕は励まされたりして、だから、唄を歌おうって思うんだよね。と(あぁ高槻出身だなぁ)と感じさせる関西弁で喋っているのを聞きながら、その少し前に演奏された中西圭三 作曲のChoo Choo TRAIN、ZOOやEXILEが何度かヒットさせたChoo Choo TRAINの興奮が蘇りました。
35歳以上の会場の人たちが、みんな立って手を叩いたり、体を揺らしていた瞬間を思い出しました。ヒットした時代も、それを歌う人も変わったりもしつつ、けれど、やっぱり、変わっていないものもあるのかもしれない、と思ったのです。
Fun Fun We hit the step step確かに、Zooが歌うChoo Choo TRAINや、同じ風や、一言で言えば、同じ時代を私たちは歩いてましたね。
同じ風の中 We know We love Oh
Heat Heat (The) beat's like a skip skip
ときめきを運ぶよ Choo Choo TRAIN
Choo Choo TRAIN
槇原敬之が、本当に、「どんなときも」のイントロが流れてくると、当時のカラオケボックスを思い出しますね。「あまりにも、バラード過ぎて」歌いづらかったような気もしつつ、それでもやっぱり歌ってしまったりもしたあの頃を思い出しますね。このコンサート・このアルバムは「あの頃に帰りたい」というものじゃ決してない、と思ってる。「あの頃と同じように前に進んで行こう」というものだと、思ってる。ねぇそうだよね?というようなことを言って、コンサートの最後の最後は、全員による「どんなときも」で終わりました。
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから
槇原敬之 どんなときも
名古屋に戻るために、私たちは東京駅へ急ぎ、名古屋行きの最終22:00発「ひかり」433号に乗り込みました。乗り込んだ席は、1号車の向かって右側の席です。一言で言ってしまえば、ライブ(Live) R35が行われていた東京国際フォーラムが見える方の席です。余韻を感じたかったので、そんな席を選んだのです。
そして、最終「ひかり」433号が発車するベルが鳴り始めました。そして、その発車ベルが鳴り終わった瞬間に、不思議なことが起こりました。もうおわかりだと思いますが、目の前の高層ビルが消え始めたのです。そして、不思議に消滅した後に、チラチラと再び点灯し現れるビルの光に送られながら、新幹線は走り出しました。私は正確な時計も、ビルの消灯時間も知らなかったわけですが(記事を読む前でしたから)、偶然にもその「魔法」を素晴らしいタイミングで見ることができたわけです。今、調べてみると、東京駅始発で22:00ちょうどに発車する列車は最終の名古屋行き「ひかり」433号だけなんですね。高層ビル消滅(消灯)マジックに合わせて鳴るアラーム・同時に発車する列車は広い東京駅でもただ一本だけなんですね。しかも、その先頭(の方の)列車の右窓側シートでないと、きっとあの消滅マジックを見ることはできないでしょうね。それはまるで、松本清張の「点と線」のような、ほんの一瞬の「そこだけで起こる魔法」ですね。
その後は、すぐに寝てしまったこともあり、終点の名古屋に着くまでの記憶はありません。名古屋に着く直前に流れたチャイム音、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!を聞いて目が覚めたのですが、何だかそれはライブ(Live)の続きのような、あるいはライブ(Live)の最後のようにも感じました。そういえば、東海道新幹線は終着駅に着く前に、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!が流れますね。 (その前に使われていたチャイムメロディから)あのチャイムに変わった頃は、TOKIOもまだ若かった気がします。今では、彼らもR35になっているんですね。
たとえて言えばロング・トレイン「時は流れていく、と君は言うかもしれない。けれど、動いていくのは時間でなく私たちの方なんだ」という言葉を、何かのSFか、あるいは物理学の本で読んだことがあるような気がします。その日、東京国際フォーラムにいた人たちは、みんなそれぞれ時間の中を走り続ける、そんな長距離列車に乗っているんでしょうね。
風切り裂いて走るように
未来に向かってまっしぐら
TOKIO AMBITIOUS JAPAN!