2008-09-14[n年前へ]
■理系ファッションはなぜ「ジーンズ+Tシャツ+ボタン全開シャツ」なのか?
長年の疑問のトップ1に君臨し続けているのが、理系ファッションはなぜ「ジーンズ+Tシャツ+ボタン全開シャツ」なのか?…ということです。私自身、「ジーンズ+Tシャツ+ボタン全開シャツ」というファッションをしていることも多いのですが、なぜ理系人間がそういったファッションをすることが多いのか、よくわからないままなのです。
右の写真のような眩しい大学生たちが溢れるピッツバーグ大学のキャンパスの隣には、テクノロジーやアートの印象が強いカーネギーメロン大学があります。こっちのキャンパスがどういう感じかというと、山在り谷在り(というより谷在り谷在り)の東工大のキャンパスによく似ています。東工大のキャンパスを大きくしたら区別がつかないかも、と思うくらいです。
そのキャンパスを歩いているのは、もちろん「ジーンズ+Tシャツ+ボタン全開シャツ」の人ばかりです。そして、その「Tシャツやワイシャツ」は、黒や暗いくすんだ色が多く、ビビッドな色のものを着ている人はほとんどいません。つまり、秋葉原にいる人たちに投網をかけて、網にかかった人たちをゴッソリ東工大キャンパスに放牧した感じ、です。…ひとことで言ってしまえば、たぶん、東工大キャンパスそのままと区別がつかないように思えます。
一体、なぜ理系ファッションは「ジーンズ+Tシャツ+ボタン全開シャツ」でくすんだ暗い色が多いのだろう?といつも首をかしげます。自分自身、そんな服を着ているのに、なんでいつもこんなファッションで身を包んでいるんだっけ?とふと不思議に思ったりします。一体、この理系ファッションのDNAはどういう具合に発現しているのでしょうか…?
2008-11-02[n年前へ]
■「雑誌DE流行マップ Lite」と月刊「理系ファッション」
「雑誌DE流行マップ Lite」をメンテナンスしました。Javascriptコントローラが度データ遅延・動的読み込み・各種表示を行う「雑誌DE流行マップ Pro」のような解析機能は持っていませんが、「あぁ、こんなものが流行っているんだなぁ。こんな付録に惹かれる時代なんだな、そして、こんな人が流行っているんだな」と、時折時代の流れを眺めてみるには良いかもしれません。
自分の作ったページ群を眺めているうちに、制御回路を上手く動かすことも難しいけれど、ファッションよりは簡単かもしれないなぁ、とふと感じてしまいました。まず、ファッション用語のボキャブラリが足りないように思います。つらつら眺めてみたら、いつの間にか詳しくなったりするのでしょうか。
月刊「理系ファッション」という雑誌でもあれば、定期購読するのに…(その必要すらないかもしれませんが)。
2009-01-10[n年前へ]
2009-03-04[n年前へ]
■科学を物語をとして語る人文的手法
「連」がテーマのGraphicationの最新号 2009 No.161 より。
二十一世紀は、科学における人間回復の時代としなければならない。資源エネルギー問題や環境問題など、人間の存続が激しく問われる難問が山積みしていることを思えば、科学が人間に近づくことが求められているからだ。そのためには、科学を物語をとして語る人文的手法が欠かせない。分離の融合は必然的なのである。
池内了 「つながる知」-分離の融合 @ GRAPHICATION
2009-10-30[n年前へ]
■「京都市鴨川源流」を廻る「理系風デート」
青春小説のようなシーンを交えながら、数学世界を解説していく「数学ガール (結城浩)」を読んで、少し前に読んだ万城目学の「ホルモー六景 」を連想しました。連作短編集「ホルモー六景」中の一話、京都市左京区を舞台に、一人の男子高校生が自分では気づかないうちに年上の女子大生に抱いていた淡い恋心と、デート風の(けれど決してデートではない)一日の散策を描いた「ローマ風の休日」です。
「じゃあー少しだけ、僕とデートしてくれませんか?」
鴨川の始まりである出町柳辺りから、御池大橋までを舞台に、オイラーが解いた「ケーニヒストベルグ橋の問題」を題材にして、ローマの休日風な素敵で切ない数時間(と数ヶ月)を描いた一話です。見事なくらいに、微妙な心の機微と数学の世界が一体化した素敵で少し切ない短編です。
午後四時になってもまだ陽の高い、京都の休日へ繰り出した。
実際には、「ケーニヒストベルグ橋の問題」を解くという口実の(体力的に疲れそうな)デートに、付合ってくれる女性は少なそうな気がします。・・・とはいえ、この「京都市鴨川源流」を廻る「理系風デート」の一話、「ローマ風の休日」はとても楽しめる話です。
「ローマ風の休日」は「ホルモー六景 」だけでなく、何人かの小話を集めた短編集である「きみが見つける物語 十代のための新名作 休日編 (角川文庫 あ 100-103) 」にも収録されていますから、中高校生、あるいは、モラトリアムな大学生(社会人)は一度手に取って読んでみると面白いと思います。
ケーニヒスベルグの橋とは、プロシアの首都ケーニヒスベルグ(現在はロシア領カリーニングラード)を流れるプレーゲル河に架かる7つの橋のことである。この7つの橋を全て一度だけ渡り、元の場所に戻れるか、という議論によって有名となった。さて、鴨川源流を舞台にした「ケーニヒスベルグの橋の問題」はどのような答えになるでしょうか。ノートの上で手と頭で解いてみても良いですし、京都の街を自転車で走り、この数学の問題を足と体で解いてみると面白いと思います。そんな「理系風デート」があると・・・さらに、楽しいでしょうね。
ケーニヒスベルグの橋の問題は1736年に、数学者オイラーにより、地図を線と点で表現し、その図形を一筆書きできるかの問題と整理されて考えられた。その結果、一筆書きできない、すなわちケーニヒスベルグの7つの橋を求められた条件の下に渡る道順は無いとして、解決された。ケーニヒスベルグの橋は、グラフ理論とトポロジーの起源であると言われている。
ケーニヒスベルグの橋
彼女ははそれから、いろいろな数学の話を聞かせてくれた。