hirax.net::Keywords::「男の子」のブログ



2004-11-07[n年前へ]

北千住・東京タワー 

 ゆきちゃん、っていうのかな?女の子なのかな?それとも、ゆうきくんで男の子なのかな?まだ、子供用のユニフォームも大きいみたい。背番号がもしも二桁だったら、きっと読めないだろうくらいに体が小さい。
 「ゴール前にいろ!」って言われたのかな。いつも、(相手の)ゴーリーの真ん前でガンバッてパスを待ってる。ゴーリーもチッコイ8番も二人で身動きせず止まってる。
 相手のゴーリー(ゴール・キーパー)もきっと邪魔だろうに(ルールから言えば押し出しても良いハズなのに)がまんしてるのかな? なんだか、とても可愛いなぁ。

北千住・東京タワー北千住・東京タワー北千住・東京タワー






2004-11-30[n年前へ]

「ズッコケ三人組の卒業式」 

 ミドリ市を舞台として、ハチベエ、ハカセ、モーちゃんの小学6年生の男の子3人組がさまざまな騒動を起こす「ズッコケ三人組」がついに卒業
Yahoo!ニュース  - 社会 - 読売新聞http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%83%E3%82%B3%E3%82%B1%E4%B8%89%E4%BA%BA%E7%B5%84

2005-04-02[n年前へ]

「大御所 金子貴俊」 

 静岡祭りで大名行列(駿府城があるところだからね)がねり歩いている。ちょっと眺めてみると、金子貴俊が大御所役を演じている。ウォーターボーイズ繋がり(静岡はロケ地だったからね)で金子貴俊なんだろうか? 隣に座っている男の子が何だか…コントみたいで面白い。
 何でも、明日の大御所役は加藤茶だそうだ。加藤茶ならとても大御所役にハマりそう。志村けんならバカ殿様になっちゃいそうだけれど。

「大御所 金子貴俊」「大御所 金子貴俊」「大御所 金子貴俊」






2005-09-09[n年前へ]

「男女の産み分け」と「東大生のアレやコレ」 

 今年の初めに、東京大学大学院 新領域創成科学研究科で話をしてきました。その夜は、基盤情報学専攻の某研究室の人たちと焼き肉屋で美味しいビールを飲んでいたわけです。その時に、出ていた話題がちょうど「男女産み分け方法」の話でした。なぜ、そんな話になったのかは覚えていませんが、「(女の子になる)X精子は酸性に強くアルカリ性に弱い」「(男の子になる)Y精子はアルカリ性に強く酸性に弱い」「X精子はスピードは遅いがY精子より生命力がある」「女性が感じると体内がアルカリ性になる」なんていう俗説話をしていたわけです。

IBA Laboratory で、基盤情報学専攻の某研究室メンバーによるセキララな告白タイムが始まりました。一言で言うと、「オレは女の子を必ず生ませることができるはずだ」とかですね。つまり…、こういう自慢?です…。「女性を感じさせないから(感じる前に終わるし)、体内を(女の子になるX精子が生き残りやすい)酸性のまま」にしておけるし、「ゴールから遙か遠くから、精子耐久レースを始めることができるから、酸性に弱い(男の子になる)Y精子を最後まで行かせない」ことができる、「だから当然オレの子供は女の子になるハズだ」というような告白が始まったのです。つまり、「早い・短い・独りエッチだよオレは」という告白です。「遺伝的アルゴリズム、遺伝的プログラミング、人工生命」を研究している彼らが、X精子とY精子について語るわけです…。短×包△・早○・下手なんていうキーワードで…。

 東京大学大学院 新領域創成科学研究科 基盤情報学専攻の印象は、この「男女生み分け可能な研究室」に尽きます。「東大生」という言葉からは「早い・短い・独りエッチ」という(焼き肉屋での)大自慢大会を思い出し、「男女生み分け」という言葉からは「東大生」を思い出すのです。

2005-11-21[n年前へ]

「よくわかりません」 

> 「問題」の指摘されているモノにたいして「そーだよねそーだよね」と> いうのは簡単ですが、そこに陽を当てようとする「優しさ」も「らしい」> ですし、そのモノの可能性を「信じる」ところも「らしい」です。 さてさて、「優しい」のかどうかは…自分ではよくわからないです。なぜかというと、「陽を当てれば」良いものは生き残っていくだろうし、悪いものは消えていくだろう、と考えることもあります。それが、対象物に対して「優しい」のかどうかはよくわかりません。 また、「悪くないものになるためには、残っていかなければならないんだ」「それは、(それを残していきたいとか、なくしていきたいとか願い考える)当事者や周り次第なんだから」良くなるも悪くなるも(当事者や周りの)人次第だ、という風に「信じる」のは「優しい」かどうかは…よくわかりません。案外、「信じる」って厳しいんじゃないのかな、と思うこともあります。 例えば、いわゆる「(男の子に対する)母親の優しさ」ではないですね。「(男の子に対する)父親の優しさ(=厳しさ)」に似ているかもしれない、と思ったりもします。もしかしたら、「(女の子に対する)母親の優しさ(=厳しさ)」とも似ているのかもしれません。「こども」は一人で歩いていく力を身につけるべきだ、と考えるか、他者が守ろうとするか、という感じの違いがそこにはあったりするのかもしれません。 さて、誰しも…いえ違いました、少なくとも私は「最後の審判」が来るその日まで、自分が思う「良い」とか「悪い」とを考えながらジタバタするしかないのかもしれません。



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