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2009-10-11[n年前へ]

「雑誌」の寿命 

 編集者の姿が見える雑誌というものがある。そういう雑誌に寿命があるのは自然なことなのだろう、と思う。たとえば、少し変な例かもしれないが、「噂の真相」なんていう雑誌も、そんな雑誌のひとつだったのかもしれない。

 堀井憲一郎「落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書) 」の一説を読んでいて、雑誌の寿命というものを連想した。

 何が残ろうと、死んだらおしまい。そう送ってあげるのがいいんだよと、落語は教えてくれています。それは残ってる者がしっかり生きろというメッセージでもあるわけで、動物としてはそういう生き方が正しいと思う。

 さて、これも、グラフィケーション(GRAPHICATION)に関して考えていた時に(無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか?)、ふと連想したことの「ひとつ」です。雑誌の作り手が消えても、その雑誌の読者が消えても、どちらにしても「その雑誌」はどこかに消えていきます。さらに、こういった話は雑誌だけに限らない話なのだろう、とも思います。

2010-01-18[n年前へ]

少し損な話も高座にかけて、腕を磨いたらどうなんだと 

 ミステリー部分以外を楽しんだような感のある、落語ミステリーの愛川晶「道具屋殺人事件──神田紅梅亭寄席物帳 [ミステリー・リーグ] 」から。

 「せっかく芽が出てきたんだから、たまには少し損な話も高座にかけて、腕を磨いたらどうなんだと、そこんところさ」
 「得な」とは口演が楽なわりによくケる噺。「損な」はその逆で、骨が折れるが、お客にはあまりウケない噺のことを指す。誰でも得な噺が好きに決まっているが、そればかり遣っていると、噺家としての技量が向上しない。そのあたりが難しいところだ。

2010-01-20[n年前へ]

お前が何を云いたいか、だ 

 堀井憲一郎「青い空、白い雲、しゅーっという落語 」から、立川談志が、入門直後の志の輔に言ったことば。

「何も言いたくねえやつが落語やってたってしょうがねぇ、お前が何を云いたいか、だ」 

2010-01-21[n年前へ]

消えた、「財布」と「夢」と「景色」 

 落語「芝浜」へのコメントから。

 人類は夢を見ることで、想像力を掻きたてられ、時には妄想と非難されながらも夢を追い続け、実現を試みてきた。また手近なところでは夢の実現のために宝くじやギャンブルで「夢を買う」行動をとることがある。予期せぬ金を手にしたとき何に使うか、金額の多寡により現実的な使途からはじまり、生活費の足しにする、頭金にする、焦げついた借金を返済する、海外旅行に行く、働かずに余生を過ごす、出来なかったことを試みる、新たに人生をやり直す等々を考え、使途や想像が現実とかけ離れていればいるほど「夢」は広がり、心地よい。しかし、いつか目覚めてしまうのが「夢」である。

 鉄道好き・古地図好きの人には、「芝浜は現在の東京都港区東部の田町駅の JR線路沿い(浜松町側)である。元々、新橋-横浜の鉄道は海岸線沿いに堤防を作り、その上を線路としたものである。芝浜の近辺に限ると、線路の内陸側にも海が残り、その上を跨ぐように線路が橋のようにして作られていた。三代目三木助が現役で芝浜を演じはじめているころは、浜や海岸線の痕跡がまだあったが、東京オリンピック以降、埋め立てが加速度的に進み、痕跡が完全に消えた」という一節も、芝浜に描かれた景色とともに読むと、味わい深い。

2010-01-23[n年前へ]

へぇ、…夢を見ました。 

 モチーフのひとつとして、「悪意」というものを、後味を決して悪くすることなく描いた北村薫の「夜の蝉 から、落語の「つるつる」を題材にしつつ、「悪意」について語る部分。

 それからゆっくり無量の思いをこめて≪夢を見ました≫というのである。
 まぁ、それは僕の落語の弱点かもしれません。綺麗事にしたがる、というね。
 しかし、あぁいう結末になる噺です。だから、僕はその途中に≪悪意≫らしきものを置きたくないんです。



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