2006-06-14[n年前へ]
■ところでおカネって何なんでしたっけ?
東京大学大学院総合文化研究科の松原隆一郎教授にお話を聞きに行き、「ところでおカネって何なんでしたっけ?」という記事を書きました。
ライブドア社の事件のころ、経済にまつわる難しい言葉をテレビ・新聞などで見かけました。そんなニュースを眺めながら、恐ろしいことに「経済」のことを私は全然知らないということに気づいたのです。そこで、「素人の疑問」を経済の専門家に聞いてみることにしました。第1回目は、東京大学大学院総合文化研究科の松原隆一郎教授です。
(モノ主体の経済学では)MP3なんかは実に問題児なんですね。本当に変化しないですから。 これが経済学上では最大の問題。ホントに壊れないから。へたすると、それ自体の複製さえ生まれていっちゃう。 Winnyでどんどん増えたりしてますからね(笑)。
合理的に考えて行動・交換するのが経済学上の人間ですから。 合理的に行動する賢い人間を前提にするあたりが、経済学っぽいですね……。次回は、「大学への数学」でも有名な小島寛之・帝京大学経済学部助教授 です。
2006-07-12[n年前へ]
■「インサイダー取引ってなぜ悪いんですか?」
『大学への数学』『高校への数学』『中学への算数』などでの連載でも有名な小島寛之・帝京大学経済学部助教授に、村上ファンドやライブドアの事件報道中で見聞きした「インサイダー株取引」「企業の価値」「会社は一体だれのものか?」といった話を聞いてみました。
今回の小島寛之 助教授へのインタビューは、話の内容を全文公開したいと切実に思っているほど面白かったのです。そこで、せめて2回に分けた記事にすることで、少しでも記事に入れられる内容を増やしてみました。というわけで、小島寛之 助教授へのインタビューの第一回目です。
単なる一従業員である経営者が、会社の持ち主面をして株式市場に"物言い"をつけるのは何かヘンじゃない?
目には映りにくい「働く人の間のつながりといった社会的な価値あるもの」も、高い株価というカタチできちんとその価値が目に見えるモノにされているんだ…ところで、編集者に送る寸前に、実は原稿のまとめ部分の最後を変えたのです。変える前は実はこんなでした。
いつの間にか”お金大好き”カネゴンになってしまわないか心配になってくるくらいです【鏡を見ればおれカネゴン】。
2006-08-09[n年前へ]
■エンジニアという職業選択は合理的ですか?
「エンジニアのための経済学」に「エンジニアという職業選択は合理的ですか?」が掲載されました。小島寛之・帝京大学経済学部助教授に、「経済学の視点から見た、理系エンジニアを職業として選ぶ理由」「“不況”や“失業者”を巡る二大経済学派の対立」「“理系の”小島助教授が経済学にハマった理由」といったことを聞いてみたのです。
想定読者の範囲はかなり狭まるだろうし読者の数も減るだろうなと思いつつ、狙った人にきちんと届くことを一番に考えた原稿です。
僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の「こうあってほしい世界観」に近くて、憧れとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。 ところが、その魅力的な世界を…
2006-09-22[n年前へ]
■Conscious Decision Making
西村和雄 教授にインタビューしたとき、「将来の選択肢は増やすべきだ」「選択肢が多いほど、人は満足し幸せになれる」という話を聞きました。それは、「選択肢が多いということは、人を必ずしも幸せにしないんじゃないか」という友野典男 教授の言葉とは正反対の言葉に聞こえます。この二つの言葉が頭の中をずっとグルグル回っているのです。
相反する選択肢が増えたとしても、選ぶことができる選択肢は一つです。それなのに、選択肢が増えるということは、「選べない選択肢」が増えてしまうということに思えてもしまいます。そんなことを20代前半のアメリカ人と話した時の板書が、今日見た景色です。「"Present"に生きていて、"Past"も"Future"も考えないようにしている」という彼が書いた板書が、今日見た景色です。
2006-10-23[n年前へ]
■「食べたものを淡々と記録するよ」
ちょうど2年前、こんな記事を書いた。『「食べたものを淡々と記録するよ」というWEBログがある。その名のとおり、毎日食べたものを、ただ淡々とデジカメ写真を使って記録(ログ)しているだけである。書き手は20歳の学生さんで、「おにぎり・ラーメン・カレー」が多い典型的な若者の食生活を続けていた。…ところが、10月23日の夕飯「ぶどうぱんとウィンナー」以降、彼の食べるものは一変する。その日の午後6時頃に新潟県中越地震が起き、そして彼は新潟県長岡市に住んでいたからだ。同じ「おにぎりやラーメン」を食べていても、それ以前のものとはずいぶんと違っていて大変さが伝わってくる。 …それでも、彼は食べたものを淡々と記録する。そして彼の毎日は続く。』
2006年10月7日、結婚しました。以上を持ちまして記録を終わります。その「食べたものを淡々と記録するよ」が終わった。けれど、もちろん、彼の毎日はこれからも続く。
最後に一言、ごちそうさまでした!