2007-12-05[n年前へ]
■「ヒューマンな星飛雄馬」と「プロ野球と草野球の球場の向き」
巨人の星の主人公、星飛雄馬の「飛雄馬」という名前は、「ヒューマン(human)」にかけたものだと、聞いた。 夕日を背にしたピッチャーが、バッターに力一杯球を投げる。 そして、そのスコアボードの向こうに輝く夕日を背景に滝のような涙を流しながら泣く。 感情豊かに泣き笑いする、星飛雄馬はまさにヒューマン、人間そのものに見える。 野球場という舞台で繰り広げられる「巨人の星」は、まさにヒューマン(人間)ドラマだ。
ところで、そんなヒューマンドラマで目にした、「夕日を背負ったピッチャー・スコアボードの上に輝く夕日」といった風景は、実際にはほとんどないという。 そんな配置の球場であれば、バッターボックスに立つバッターの視界に西日が入ってしまい、プレーに差し支えるから、だ。 だから、午後~夜に競技が行われることが多いプロ野球の球場では、西南方向にスコアボードが位置することは(ほとんど)ないらしい。 ということは、バッターからピッチャー方向へ線を引いたとき、西南西方向以外を向くように作ってあるということになる。
そんな話を読んだとき、ふと思ったのが「草野球用の球場」はどういう作り・配置になっているんだろう?ということだった。 プロ野球と違って、草野球は早朝~午前に行われることが多い、と聞いている。 だとしたら、草野球用の球場は、バッターからピッチャーへ向かうベクトルが東南東方向以外を指すように作ってあるのだろうか。 それとも、単にその場所の固有の条件に応じた向きで作ってあるのだろうか。
野球用スペースがある河原近くを通るたび、そんな疑問が頭の中をクルクル回り、時計の時針と球場と太陽の向きを考える。誰もいない野球場を眺め、太陽を見上げ、腕時計の針の向きに目がいく。
2007-12-06[n年前へ]
■「サウスポー」と「南側の手」
「野球場の向きが(基本的には)バッターからピッチャー方向へ線を引いたとき、西南西方向以外を向くように作ってある」ということを何かの本で読んだのは、確か「サウスポー」の語源、左利きのピッチャーのことを、なぜサウスポーと呼ぶのか、ということを調べていた時だった。
口語で手のことをpaw(ポー)と呼ぶので、サウスポーという言葉は「南の手」という意味になる。野球場の向きが「規約で決まっている望ましい向き」ならば、左利きの投手は「利き手」が南側に向くことになる。つまり、南側の手からボールを放つ投手ということから、サウスポーという言葉ができたと、私が読んだ本には書いてあった(語源の真偽は定かではないとも書いてあったが)。
サウスポーの語源だけでなく、他にも「野球場の向き」を原因としている「何か」は他にもあるのかもしれない。野球規約に定まっている「野球場の向き」の原理、「夕日が選手の目に入るとプレーの妨げになるよね」という理屈から、他のたくさんの色んなことが導かれるのだとしたら、それは何だか小さなミステリー小説のようだ。
2007-12-07[n年前へ]
2008-02-12[n年前へ]
■変わりモノ「センスウチワ」と「ハリセンス」
手で持つ部分がない団扇(うちわ)は団扇(うちわ)と呼ぶのだろうか、それとも、扇子(せんす)と呼んだ方がいいのだろうか…?と思わず悩んでしまうような、変わりモノ「センスウチワ」売り文句は「柄の部分がないので持ち運びやすく」けれど「送風量は1.5倍」というもの。ネーミングは「ハートくん」「ハートちゃん」という、いわゆるひとつのメーカ的センスだ。
そして「ハリセンス」はハリセン(張扇)にも、普通の扇子(せんす)にもなる「一粒で二度美味しい王様のアイデア的な面白センス」だ。野球場で打者がホームランを打った瞬間に打ち鳴らしてもよいし、暑い熱気を冷ますのにも似合いそうだ。
2008-05-04[n年前へ]
■”ファール”は”フェアー”で”フェアー”は”ファール”
(シェークスピア「マクベス」の”きれいは汚い、汚いはきれい”="Fair is foule, and foul is failr"を指して)fiarとfoulということであれば、これは野球用語ではないか。そして、野球が成り立つためには、fairとfoulは、もちろん画然と区別されていなければならない。「Fair is foule, and foul is failr.」といった両義的なルールでは、そもそもゲームは成り立たないのだ。
……現実の人間の生活世界とは異なってスポーツでは、両義的ないし重層的ではない、ごく限られた単純明快なルールが設定されていて、その約束事の下で選手たちが熱いドラマを繰り広げる。
中村達也 "きれいは汚い、汚いはきれい"