2000-04-22[n年前へ]
■怪しいレーダー・マン
コウモリの発する音を聴け
最近、帰りが遅い日が続いていた。しかし、今日は7時過ぎには家へ帰ってきた。4月も中程になると、この時間でも薄暗いほどに、日が長くなってきた。さて、駐車場で車を止めて空を眺めていると、蝶々のようなものがさかんに近所を飛び回っている。あれ、もう蝶々が飛び回る季節だったかな、それにこんな時間に蝶々って飛び回るのかな、それともこいつらは蛾かな、などとボンヤリ考えながら眺めていた。すると、それは蝶々でも蛾でもなく、コウモリだと教えられた。
それを聞いた瞬間、当然私は家の中に駆け込み、そして秘密道具を手にして戻ってきた。もちろん、その秘密道具とはこれである。
の時に手に入れた超音波の音波を可聴域に変換する「バットディテクター」である。こいつを使えば、コウモリが発する超音波を自分の耳で聞くことができる。イヤホンを耳に差し、コウモリに超音波マイクを向けると、聞こえる聞こえる。コウモリの発する超音波が聞こえる。「コッコッコッコッ…」というような音が聞こえるのである。
「コッコッコッコッ…」という音がどんどん大きくなってくるとき、すなわちコウモリが近づいてくる時は恐怖すら感じる。外が暗くてよく見えないために、なおさら怖いのである。目の前にいきなりコウモリが突然現れたらどうしようかと思うと、トイレへ走り込みたくなる。
さて、録音してみたコウモリの声をここにおいておく。とりあえずは、WAVファイルとMP3ファイルである。
この声を可視化してみたものが次の画面である。音声波形とスペクトログラムである。パルス上の「コッコッコッコッ…」という音が連続的に繰り返されているのがわかる。さて、コウモリの発する音を録音している内に真っ暗になってしまった。しかし、一応コウモリの写真も撮影しておきたい。
普通であれば、真っ暗な中で被写体(コウモリ)がどこにいるかわからないのであるから、撮影は結構難しいだろう。しかし、私には「バットディテクター」がある。耳にイヤホンを差し、超音波マイクを空に向ければ、例え真っ暗でもコウモリがどこを飛んでいるかはわかるのだ。超音波によるレーダーが私の味方なのである。カッコイイ言い方をすれば、私は超能力を持つレーダー・マンなのである(あまり格好良くない気もするが…)。
そういうわけで、「バットディテクター」を頼りに「真っ暗な中を飛び回るコウモリ」をデジカメで撮影してみた。残念ながらピントがなかなか合わないのが難点であるが、とりあえず撮影してみた。それが、次の写真である。
この写真を撮るために、私は真っ暗な中でデジカメのシャッターを押しまくった。当然、真っ暗闇の中でフラッシュだけが光り続けたわけである。考えてみれば、怪しさバツグンである。耳にイヤホンをつけて、変な器具(実は「バットディテクター」)を空に向けて、延々とフラッシュを光らせまくるヤツ、それが私である。これを見た誰かが警察に通報するのではないかと、と真剣に心配になった程である。いや、もちろんパトカーがもし来たとしても、その音も素早くキャッチできるハズである。しかし、自宅の前では逃げようがない。
作業が終了した今は、ただ、近所で悪い評判がたたないことをただ祈るのみである。
2000-05-10[n年前へ]
■「モナ・リザ」の背景と自己相似性
フラクタル地形を作ろう
以前、
で、「モナリザ」の微笑はどうにも奥深く見えるから不思議である。その微笑の先に何があるのかを深く考えさせる。そして、その答えはなかなか見つけられない。「モナリザの微笑」を眺め考えると、その先には結局「モナリザ」しか見えてこない。答えが見えないのであると書いた。そして、画像を読み込み、その画像をその画像自身の縮小画像(48x48個)で表現するjoconde.exeを作成し、自己相似形の「モナ・リザ」を描いてみた。それが、この下のjunhirabayashi 作 48x48の「モナリザ」である。
ところで、本家のダ・ビンチの「モナ・リザ」と言えば、本当に奇妙な背景である。荒涼として、とても普通の景色とは思えない。地学の教科書に出てきそうな地形だ。グランド・キャニオンのような侵食地形のようである。
ダ・ビンチは治水に関して深く興味を持ち、大好きだったと聞く(いや、もちろん本当に聞いたわけじゃないけれど)。ダ・ビンチは治水に関してはプロフェッショナルだった。それを考えれば、この「モナ・リザ」の荒涼たる背景なども、ダ・ビンチの趣味そのままのようで面白く感じられる。しかし、見れば見るほどこの背景は不思議である。Bryce等の「自然っぽい地形」を描いてくれるソフトで作成した景色のようである。
その手のソフトは想像上の地形を作成するのに大抵フラクタルを用いる。つまり、フラクタル地形である。フラクタル地形というのは、例えば山脈の一部分を拡大してみてもそこにはやはりその山脈自身と同じような高低があるということである。どんなに拡大してみてもそこにはやはり小さな山脈があるのだ。というよりは、どんなに拡大してみても、小さな山あり谷ありと言った方が良いだろうか。そういう自己相似性を利用してやれば「自然っぽい地形」を描けるわけだ。
「モナ・リザ」の微笑の中はどこまで拡大しても「モナ・リザ」の微笑がある、つまり「モナ・リザ」の前景は感覚としてのフラクタル性を持っているように感じられる。そして、背景もまたフラクタル性を顕著に持つフラクタル地形っぽいのである。ダ・ビンチが自己相似性、フラクタルについて考えていたと想像してみると、とても面白いと思う。
さて、フラクタル地形の説明を少しだけ書いたが、やはりここは自分でもそのフラクタル地形を作成してみなければマズイだろう。何しろ、私はフラクタル地形のことは良く知らない。とりあえず、自分で作成してみないことにはよくわからない。まずは実践あるのみだ(もちろん、トンデモナイ内容を実践するのは問題外だ)。
そこで、まずは手っ取り早くMathematicaでフラクタル地形を作成してみた。次のアニメーションGIF画像はMathematicaでフラクタル地形を作成していく様子である。荒いスケールの凹凸を作成して、その後段段と細かいスケールの凹凸を作成していくようにしてみた。プログラム時間は10分である。ここらへんの手軽さがMathematicaのスゴイ所だ。
この計算は適当に作ってみただけなので色々と問題がある。例えば原点(0,0)から放射状に凹凸がある。これは計算上の問題である。しかし、今回は面倒なので深追いはしない(カッコつけて言う内容じゃないが…)。これを手直ししようとするととたんに面倒になってしまうのである。
とりあえず、完成したフラクタル地形は次のようになる。hirax山脈とでも名づけておこう。
なかなか「自然な山脈」っぽくないだろうか?青い光に照らされた幻想的な山脈である。といっても、色がなんとも自然でなくて、「自然な山脈」には見えないという人も多いだろう。というわけで、色調を変えて、それっぽくしてみた。そこで、次が先の完成画像の色調を変えて、「自然っぽく」したフラクタル地形である。
これが、Mathematicaで作成した「山岳地形」だ。結構、それっぽく見えると思う。今回は、Mathematicaの内部でレンダリングしたそのままであるが、次回(といっても、いつになるかわからないのはいつものこと)には、Mathematicaで作成した「山岳地形」を元にきちんとレンダリングしてみたいと思う。さぞや、幻想的な景色が作成できるに違いない。
さて、私はフラクタル図形を眺めているとなぜだか知らないが、水戸黄門の主題歌が頭の中で響いてくるのである。あの、「人生楽ありゃ苦もあるさ…」というヤツである。もう、流れ出したら止まらないのだ。それはもう水戸黄門の主題歌のフラクタルである。
そして、ひどい時には「どんぐりころころ」と水戸黄門の主題歌の輪唱が頭の中で始まってしまったりするのだ。それを「カノン」と言えば聞こえは良いが、いやもうホントにたまらない状態である。
どんぐりころころ、どんぐりこ人生楽ありゃ、苦もあるさお池にはまって、さぁ大変くじけりゃ、誰かが先に行く…
あぁ、止めてくれぇ…
2000-06-16[n年前へ]
■ヘルメットの色空間分布
学生運動の色空間とグラフ配置
さて、私は「迷信の押し付け」は大嫌いである。もちろん、その人の中で信じている分には結構で、それも文化の一つだとは思う。しかし、それを私にまで押し付けられるととたんにムッとしてしまう。そんな私ではあるが、「占い」はそう嫌いでもなかったりするのが面白いところだ。いや、むろん「占い」を信じているわけでは毛頭無くて、「遊び」として好きなのである。
何しろ、占いというのは「根拠無し」に「決めつける」ことが出来る素晴らしいものである。何の前振りもなしに
「君はお菓子の食べすぎでデブになる。」と言うと、普通であれば張り倒されることだろう。しかし、それを
「君の前世は象だった。だから、君は太る運命だ。」と言えば、どうなるだろうか。悪いのは「前世」や「運命」であって、「口の悪い私」ではないのである。それどころか、
「えぇ〜、なになにその占い〜。教えて、教えて〜」という好意的な反応すら予想される(あくまで予想だけ)のである。これを便利と言わずして、何と言おう。
しかも、占いの特徴の一つは後付けの結論・理由付けが可能、というところにある。その結果、「占い」というものは現実にとても近くなり、さらに「本当らしさ」がアップする。そういうわけで、私は大好きなのである。
例えば、私の職場の私の机の端には、名前、生年月日、アンケート式etc.といったありとあらゆるタイプの占いを職場の人がやった結果がファイルされている。そして、恐ろしいことにそれらの紙には、それを読んだ人の書き込みがあるのである。例えば、私の性格占いの結果をプリントアウトした紙を見てみると、「もう少しイイ子になる必要があります。」という文章の下に赤線が引っ張ってある。この赤線を書き込んだのは誰だか知らないが、実に失礼な輩である。また、「思ったことをすぐ口に出す傾向があります。」という部分は二重線が引っ張られており、これなども世の中には訳のわからないことをする人間がいる良い一例である。そのくせ、「とても心優しいひとです。」という部分は赤線で消されたりしているのが、私としては理解に苦しむ部分でもある。きっと、この書き込みをした輩は「心優しい」という意味を知らないのであろう。
そういうわけで、こういった人々による書き込み・添削のされた占いの結果、すなわち、後付けの結論・理由付けのされた占いの結果と言うのは実に恐るべき迫真性を持つのである。そして、同時に笑うことができる(本人は別にして)、という素晴らしいものなのである。
ところで、私は「色」が大好きである。もう、何回も「色」に関する話題をしているのだから、そんなことは言うまでもないかもしれない。そこで、「色」と「占い」との関連で言うと、一時期「色占い」というものが流行っていた。「XX色で連想する人は誰?」という質問をして、この色で連想された人はあなたにとって恋人、とか、この色は友達、とか占うのである。
私もこの「色占い」が流行ったときにやった記憶があるのだが、これが全く役に立たなかった。役に立たなかった理由の一つに
- 私の周りの人は服なんて着替えない。
- だから、いつも同じ服を着ている。
- その服のイメージ = その人のイメージになる。
そのために、当時の学生の典型的?な姿を下に示してみる。いや、正確に言えば典型的ではなくて、単に目立っていた学生と言うほうが正しいかもしれないが、その姿を示してみたい。
この絵を見るとわかるように、頭の部分を覆うヘルメットというのは何より目立つのである。この人達が身に付けている服装というものは、そんなにカラフルなものではない。いや、ハッキリ言えば、特徴のない色ばかりである。そりゃそうだ、個性的で目立つ色の服なんか着ていたら、個人的に目をつけられてしまう。
しかし、それに対してヘルメットの部分は実にカラフルである。セクトごとに個性ある色分けがされている。人目見ればわかるような色使いがされている。それは、チームスポーツのユニフォームと同じである。敵か味方か一目で見分けがつかないと、困ってしまうわけである。
そして、そのヘルメットの色の印象が強いがために、
その人達の印象 = その色というような状況すら生まれるのである。だから、先の「色占い」のような質問はそのような場においては、何の意味も持たないのである。それは単なるセクト分け問題と化してしまうのである。とたんに、生臭い問題になってしまうのだ。
ところで、さまざまな場所に位置する各セクトが、どのような「色」の住み分けをしているかは、非常に気になるところである。「色」に常日頃こだわってきた「できるかな?」であるから、各セクトのヘルメットの色空間における空間分布を見てみることにしたい、と思う。
そこで、マルチメディア共産趣味者連合 中央委員会の
- ヘルメットで見るセクト( http://marukyo.cosm.co.jp/MET/index.html )
こうしてみると、ヘルメットによる色表現を考えてみると結構広い「色空間分布」になっているようである。カラー画像をヘルメット画像に色分解する、ヘルメットディザなんていうのも実現できるかもしれない。
しかし、これだけではつまらないので、
- 学生活動家組織の変遷 (http://marukyo.cosm.co.jp/KEIZU/gakusei-keizu.html )
そして、グラフ配置の結果の一例を色空間に重ねてみたものを次に示す。
この画像と先程の「ヘルメットの色空間分布」を比較してもらうと、結構似ているのが面白いところだと思う。もちろん、似たような配置になったものを使用したわけではあるが、それにしても面白いと思うのだが、どうだろうか?
私が大学に入学した当時は、セクト間の陣地争いが盛んだった。といっても、私のいた学校がガラパゴス諸島のように(その手の部分では)化石的な学校だったからで、決して古い昔の話ではない。授業をやっている横の廊下で、内ゲバで殺される人がいたり、朝のキャンパスで血みどろの戦いが行われていたりした。実際のところ、それは私にとって結構衝撃的な出来事だった。少なくとも、そのせいで、あの手の陣地争いを大嫌いになったことは確かだ。とりあえず、現実空間ではともかくこの色空間においては、そんな陣地争いがないのが良いところだ。
さて、今回はタイトルをゲバ字(トロ字)っぽくしてみた。ゲバ字(トロ字)というのは、チラシや立て看などでよく使われた(る?)文字のことである。だから、別に「こういう形」というものがあるわけではない。とりあえず、それっぽくしてみたわけであるが、どうも本WEBにはこういうフォントは似合わないようである。うーむ、失敗である。
2000-06-24[n年前へ]
■「色っぽい声」の秘密
キャバクラ嬢は英語が上手い!?
以前、
で私は鈴が鳴るような綺麗な声がとても好きなのである。いつか、そういう声の秘密について調べてみたい、と思う。と書いた。今回は「男を惑わす魔性の声」について考えてみたい。
「男を惑わす魔性の声」といっても色々ある。私の場合、「鈴が鳴るような声」も好きだし、森本レオの声も大好きである。両極端であるが、本当なのだからしょうがない。それは他の人も同じで、その人ごとに好きな声と言うのは違うはずだ。などと言い出すと、どんな声が「魔性の声」なのかわからなくなる。そこで、「魔性の声」を出すプロに注目してみよう。「男を惑わすプロ」の出す声に注目してみるわけだ。
「男を惑わすプロ」と言えば、例えばキャバクラそれともキャバレー?(どちらも、残念ながら行ったことないけど)で男性を手玉にとるキャバクラ嬢ははずせないだろう。彼女らの声はまさに「魔性の声」としか、言いようがない(行ったことないから、想像で書いてるけど)。例えば、
「あァ〜ン、もう社長さんたらァ。」の「ァ〜」の部分なんて、どうだ。これぞ、まさに「男を惑わす魔性の声」だという気がしないだろうか。この声に惑わされて、路頭に迷った彷徨える(エロ)子羊達の数は数え切れないはずである(多分)。今回はこの「色っぽい声」の秘密に迫ってみようと思う。
↑ココ
さて、、まずはデータ収集が必要である。何より一番良いのは本物のデータを手に入れることである。すなわち、夜のキャバクラへ出撃するのが一番良いわけだ。私も「データの精度」にこだわる意味でも、ぜひそうしてみたい。使命感すらあると言ってもいいくらいである。しかし、残念ながら諸事情がそれを許さないのである。
そこで、infoseekで「色っぽい声」で検索をかけて見つかった高等遊民氏のVOICE.WAVを使ってみることにした。聞いてみればわかると思うが、この色っぽい声は先の「ァ〜」と同じような種類の声なのである。
今回はこの声に注目してみることにしよう。次に示すのが、高等遊民氏の「色っぽい声」中で解析を行った部分である。
その部分を拡大してみると次のような音声波形である。この音声波形に「色っぽい声」の秘密が隠されているのである。
さて、この音声波形に不思議なところはあるだろうか?「色っぽい声」の秘密の鍵となるところはないだろうか?そう考えながら、この音声波形を眺めていると不思議なことに気づいた。
果たして、これは「あ」と言って良いのだろうか?これが「あ」であるという思い込みを私はしていたのではないだろうか?今回、一番最初に
例えば、次に私の声で「あ、え、お」を示してみよう。上の魔性の声「あァ〜」は下の波形で言えば、むしろ「お」とか「え」に近いのがわかるはずだ。
え お |
もちろん、別人の声であるから音声波形が異なるのは当たり前だろう。そこで、フォルマントを調べてみることにした。それが下のグラフである。赤丸部分が「あァ〜ン」の秘密を解くポジションである。「あァ〜ン」のフォルマントと日本語の母音がどういう位置にあるかを表示したものである。
何と、そもそも日本語にはこの「色っぽい声 = 魔性の声」「あァ〜ン」を示すべき音がないのである。日本語にとってこの「色っぽい声= 魔性の声」は未知の音なのである。
考えてみれば、それはそうかもしれない。人間誰しもよくわからないものには「恐れ」と同時に「好奇心」を刺激される。例えば、異性というよくわからないものに惹かれる気持ちだってその一例だろう。だから、少なくとも日本人にとっての未知の音であるものが「色っぽい声= 魔性の声」に感じられるようになったのは、ある意味当然と言えるのではないだろうか?
「男を惑わすプロ」であるキャバクラ嬢が日本語の音の領域図を知った上で、この「色っぽい声= 魔性の声」「あァ〜ン」を発しているとは私も考えないが、少なくとも日本語の音の分布からすれば、「まさに男を惑わすツボを抑えている」ことがわかる。恐るべし、キャバクラ嬢である。
日本語の母音だけではなんなので、英語の母音の領域も参考までにこれに重ねてみよう。それが下の図である。
なんと、英語ではこの領域は「未体験ゾーン」ではないのである。「色っぽい声= 魔性の声」「あァ〜ン」の音は発音記号で言うとVの上下がひっくり返ったやつの領域に重なってしまうのだ。英語圏の人にとってはこの「あァ〜ン」は未体験の音ではないのである。私は英語の発音は涙が出るほど、上手くできないのであるが、もしかしたら「魔性の女性」達にとってはいともたやすくその発音ができるのかもしれない。
ところで、先程の「知らない音 = 魔性の声」理論からすれば、英語圏の人にとってはこの「あァ〜ン」はそれほど「色っぽい声」ではないということになりそうだが、残念なことに私は生粋の日本人なのでそれを確かめることはできない。それに調べたら、きっとこの「知らない音 = 魔性の声」理論は崩壊してしまうだろう。
さて、最後に色っぽそうな音を数学的に合成してみた。
あなたの感性が豊かであるか、想像力が豊かであれば、このいかにも人工的な音の中のにも「色っぽい声= 魔性の声」「あァ〜ン」のエッセンスが感じられ、心惹かれるはずである。今回は簡単にやっただけなので、この音の内容については詳しく説明はしない。次回(いつものごとく何時になるかは全然わからないが)、
- Mathematicaで「あァ〜ン」- 色っぽい声を合成しよう - (仮題)
2000-07-23[n年前へ]
■WEBページの文体を調べてみよう
「ノリノリ文体」の秘密!?
今日もまたいつものように
- お笑いパソコン日誌 ( http://www2s.biglobe.ne.jp/~chic/pilot.html )
すると、
- 文体模写してください( http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=963421916 )
以前から、私も文体について調べてみたい、と思っていた。それも普通の文体ではなくて、WEBページの文体である。色々な面白いWEBページを読むたびに、「この面白さ・ノリの良さの秘密はどこにあるのだ?」と思っていたのである。そして、できることならば「そのノリノリ文体の秘密をこの目で見てみたい!」と切望さえしていたのである。もちろん、本当のところは「ノリノリ文体の秘密」が明らかになったならば、「そのノリノリ文体をパクッてやろう」という気持ちが私の中にあるのだ。文体だけ真似しても、「面白いページ」にはならないと言う気もするが、そんなことは考えてみてもしょうがないのだ。まずは、形から入ろうというわけだ。
そこで、今回は「ノリノリ文体」を書いているWEBサイトの文章をいくつかピックアップして、その「ノリノリ文体の秘密」を調べてみることにした。今回、ピックアップした文章はまず次の三つである。
- そりを言ってはお終いなのよ fromちゃろん日記(仮) ななゑ さん
- ( http://www.alpha.dti2.ne.jp/~nanae/nikki1999_8m.htm )
- 娘よ from 我が妻との闘争呉エイジ さん
- ( http://www.117.ne.jp/~kure/waga/yome12.html )
- 半角カナを使え! fromとろん 南野 輝 さん
- ( http://www2.justnet.ne.jp/~chic/TRON005.HTML )
そして、次に「男心と女心のギャップ」を全く違う視点から描く、まさに涙ナミダの物語「我が妻との闘争」から涙無しには読めない「娘よ」にも注目したい。
涙でなくて「笑い」と言えば、当然「お笑いパソコン日誌」から辿り、「半角カナを使え!」にも注目してみたい。本当はこの作者が文章を書いている印刷物も手元にあるので、その印刷物とWEBの文章とを比較してみたかったりもしたのだが、今回はパスさせて頂いた。
そして、WEBページの文章ではないが、当然この人
- 私の個人主義 夏目漱石
さて、今回は「文体の特徴の解析」の手段として、「文章構造可視化シリーズ」で作成した"wordfreq"を少し改造して使ってみることにした。以前、のバージョンから少し変えて、ファイルに落とす結果はスムージングをかけないそのままの結果にしてみただけである。とりあえず、そんな"wordfreq"を使い、WEBページの「一段落中の句点(。)と読点( 、)の数」を調べてみたのである。
何故、「一段落中の句点( 。)と読点( 、)の数」に注目したかというと、私はどうも読点の使い方が判らないのだ。文章の各部分が他のどの部分にかかるのかをちゃんと示したいのだが、どうも私の文章は変なのだ。もういっそのこと、文章の各部分がどこにかかるかわかるように各個とか矢印とか使いたくなるくらい、読点の使い方がわからないのである。その結果、読点をどうも多く打ってしまうような気がしているのである。
そこで、その勉強も兼ねて「一段落中の句点( 。)と読点( 、)の数」に注目しながら、WEBページの「ノリノリ文体」を調べてみたいと思うわけだ。
ノミネートされた文章 | 一段落中の句点( 。)の数 | 一段落中の読点( 、)の数 |
私の個人主義 | 7.6 | 11 |
コンクリートの隙間に | 4.4 | 7.6 |
新宿駅は電気羊の夢を見るか | 3.9 | 2.8 |
半角カナを使え! | 1.8 | 2.1 |
娘よ | 1.4 | 0.5 |
そりを言ってはお終いなのよ | 0.4 | 0.9 |
この結果を見てみると、「ちゃろん文体」などは圧倒的に一段落中の句点(。)の数が少ない。また、同じように一段落中の読点( 、)の数も少ない。そして、「我妻文体」も同じように、一段落中の句点(。)の数が少ない。こちらの「我妻文体」は、一段落中の読点( 、)の数の少なさでは今回No.1である。
それに対して、偉大なる漱石の「私の個人主義」では「一段落中の句点(。)と読点( 、)の数」も実に多い。そして、私の書いた文章においても、その数はやはり多い。上の表は「一段落中の句点(。)の数」が多い順に並べてみたが、私の文章は二つとも、漱石の次に「一段落中の句点(。)と読点( 、)の数」が多い。
上の表では
私の個人主義 >> コンクリートの隙間に, 新宿駅は電気羊の夢を見るか >>半角カナを使え!, 娘よ >> そりを言ってはお終いなのよ
となっているが、これはWEBの「ノリノリ文体」とかなり良い一致をするのではないだろうか?つまり、
- WEBの「ノリノリ文体」は一段落中の句点( 。)と読点( 、)の数が少ない程良い
その推定を用いて「娘よ」の文章中における一段落中の読点( 、)の数の変化を眺めてみると面白いことが判る。文章中で、段々と「一段落中の読点(、)の数」が少なくなってきているのである。これは、きっと作者 呉氏が文章を書いている内に、気分が「ノリノリ」になってきて、その心の変化が「ノリノリ文体」としての特徴- 一段落中の読点( 、)の数が少ない - を示し始めたのではないだろうか?
さて、今回はWEBページの「ノリノリ文体の秘密」を簡単に調べてみた。これからも引き続き、その秘密のさらなる姿を見てみたいと思う。そして、いつかその「ノリノリ文体」を私は身につけ、ノリノリWEBページなどを書いてみたりするのである。
とはいえ、それぞれの「文体」には作者の性格も強く現れているわけで、私の性格を直さないことにはそんな「ノリノリ」文体を身につけられないような気もするし、文体だけ真似しても「面白いページ」にはならないとか、形から入ってどうするとかいう声が聞こえそうであるが、それを言ってはダメなのだ。