2000-06-07[n年前へ]
■毛髪力のガウスの法則
ハゲの物理学 「第五の力」編
現代の物理理論では四つの力が取り扱われている。その「四つの力」を示してみると、次の
- 重力
- 電磁気力
- 弱い力
- 強い力
ところで、これら「四つの力」に加えて、さらなる「第五の力」が測定されたという報告がされることがある。しかし、(少なくともこれまでは)それらはいずれも眉唾モノの実験ばかりであった。しかし、誤解されることを承知の上で、私も「第五の力」の提案をしてみたい、と思うのだ。
と書くと、鼻で笑う人がいるかもしれない。物理が大好きな人は私を小バカにするであろうし、物理を好きでない人はとたんに興味を失うであろう。しかし、そんな方々も少しばかり私の意見に耳を傾けるべきである。少なくとも、男性にとっては、この「第五の力」は重要な問題であるはずなのだ。いや、私は決して「理論物理=男性の領域」などと言うつもりはない。もうとうそんな考えはない。しかし、この私が提案する「第五の力」に限っては女性よりも男性にとって重要な「力」なのである。
私が提案する「第五の力」は、その名も「毛髪力」である。もう、おわかりのはずだ。これぞ、男性の人生をかけた大問題、「ハゲ」に関する問題なのである。「毛髪パワー」が「第五の力」なのである。
さて、そもそも今回「毛髪力」という「第五の力」に関する理論を提唱するにあたって、素晴らしき先達の研究があったことをここに書いておきたい。それはfreddie氏による「頭髪におけるキルヒホッフの法則」という素晴らしい研究報告である。「ボクテレビ」の2000/05/25に報告されている「物理と頭髪」の中にその詳細は記されている。
freddie氏は女性の視点から、女性のウィッグに関して、
そこで、僕は束ねられた髪の毛に関する基本法則をここに記したいと思います。と記している。私はこの「頭髪におけるキルヒホッフの法則」からインスピレーションを受けて、さらに男性の視点から理論を展開したい、と思うのである。
- 頭髪におけるキルヒホッフの法則:
「髪の毛を束ねる部分に頭皮側から入る髪の本数と毛先側へ出て行く髪の本数は同じ。」
先の「頭髪におけるキルヒホッフの法則」では、「頭皮側から入る髪」とあっさり書かれているが、男性の場合「頭皮側の髪」がそもそも無い場合がある。そう、「ハゲ」である。こう、私が書くのは、「毛髪力」は私にとって、人ごとでないからだ。自慢ではないが、私の髪はストレートのサラサラである。と言うと、羨ましがる人もいるかもしれない。しかし、それは違う。女性ならともかく、男性の場合は違うのだ。そう、絶対に違うのだ。何しろ、ストレートのサラサラヘアーは「ハゲへの片道切符」なのである。「恋の片道切符」はロマンチックであるが、「ハゲの片道切符」はそうではない。断じて、違う。違うのだ。
そもそも何故、我々の「長い友達」であるはずの「髪」が消えてなくなるのだろうか?そして、さまざまな「ハゲ頭」は一体どのような理由で発生するのであろうか?これらの疑問について、明快に答えた例は未だかつてない。ましてや、それを物理学的に考察した例は未だない、と思う。そもそも、毛髪とは何であるか明快に答えられる人がいるだろうか?いや、いないはずだ。
しかし、私はその答えを今日ついに見つけたのである。それが、「毛髪力」なのだ。この「力」が全ての物理現象を決め、我々の人生の喜怒哀楽を支配しているのである。毛髪、すなわち、「髪の毛」は「毛髪力」により発生する物理現象だったのである。
例えば、電磁気力で言えば、基本をなす方程式はマックスウェルの方程式である。次に、マックスウェルの方程式の一部を積分形で示してみると、このようになる。
- Kami!Home Page:ElectricField ( http://home.att.ne.jp/gold/kamikawa/electricfield/elefield.htm)
この画面を見れば、一目瞭然だと思う。次の絵との相似性を感じるはずなのだ。
この絵は頭皮から伸びる毛髪を示したものだ。電荷から伸びる電気力線と毛髪は実によく似ているものなのである。電磁気力と毛髪力は実によく似ているのだ。
ここで、先程の電磁気力と同じように、毛髪力に関するマックスウェルの方程式の一部を積分形で示すと、以下のようになる。
さて、さらに話を進めれば、重力であればそれは「重力子 = graviton」の交換により作用する。また、電磁気力であれば、それは「光子= photon」の交換により作用する。私は「毛髪力」に関してもこのような説明がつけられるのではないか、と考えている。
「重力子、光子」、すなわち、graviton,photonの名前の由来からすれば、その作用子は「毛髪子= moukon」と考えるのが自然だろう。私は日本語における「毛根」という言葉はこの「毛髪力」の作用子「moukon」の訛ったものではないか、とすら考えているのである。言語学的にも、「毛髪力」の妥当性が裏付けられた、と言っても良いだろう。
さて、毛髪は大抵の場合時間の経過にしたがって、少なくなっていく。いや、端的に言えば「ハゲ」ていく。毛髪力が低下していくのである。これも、先程の毛髪力のガウスの法則から考えれば、頭部内部の毛髪エネルギーが低下していると考えるのが自然である。ここで、私は、「頭部内部の毛髪エネルギーが低下」毛髪子の減少によるものだと考えている。毛髪子は何らかの変化により、他の粒子に変化するのだろう、と私は推察しているのだ。
「たいていの場合、ハゲた頭は光り輝く」ということから推察するならば、「毛髪力」は「光」に変化すると考えるのが自然である。すなわち、毛髪子は光子に変化していくのではないか、と私は現在のところ想像しているのである。毛髪力と電磁気力は表裏一体のものなのである。
今回は、「第五の力」について論じてみた。唐突な話で判りにくいかもしれないが、この「ハゲの物理学」は私の人生と共に、まだまだ続く予定である。これから、先話がどう進んでいくかは私にも判らない。それは、私にとって吉と出るか、凶と出るか不安なところだ。実際のところ、それは誰にも判らないだろう。「毛髪力」の研究は今始まったばかりなのである。
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■恋は稲妻のように
恋のパッション方程式
暑かった夏も終わり、もうすっかり秋になった。秋になったせいなのか、それとも他の理由なのかは判らないけれど、胸の辺りが何故かチクチクと痛む。それどころか指の先までチクチクするような気がする。
胸の痛みの方は何故だか判らないけれど、指先のチクチクの理由は判っている。静電気のせいだ。指先から放電して火花がバチバチと散るのである。私が普段着ている服のせいか、それとも私のサンダルと職場の床の相性が悪いのか、私の体には静電気が貯まりまくってしまい、とにかく指先から火花が散ってチクチク痛くなるのである。胸はチクチク、そして指先もチクチクして、もうなんだかイヤになってしまう。
私個人の理由はさておき、世間一般的には「秋の胸のチクチク」と言えば、それはもう「恋」ということになるだろう。物思いに耽る秋には、きっと恋に胸を痛める人も多いことと思う。「秋は食欲の秋に決まってるじゃないの、秋に痛むのは胸じゃなくて胃だよ」と言うような「花よりダンゴ状態の人」も世の中には多いのかもしれないが、少なくとも「秋は恋の季節かな」と言う人も結構いるハズである。
そこで、今回は私の指先でチクチクする「静電気の火花 = 放電」になぞらえながら、「恋」について考えを巡らせてみたい、と思う。「って、何でいきなり放電= 恋やねん!」とツッコミを入れないで欲しい。何故なら、かのアンソニー・ホプキンスも「MEETJOE BLACK」の中で「恋は稲妻に打たれるようなものだ。」と言っているのだ。「恋は稲妻→放電」はハリウッドのお墨付きの事実なのである。日本の誇るザ・ピーナッツにも「恋の稲妻」という曲がある位だから、これはもう確実度120%と言って良い位だろう。
さて、体に静電気が貯まったからと言って、すぐに私の指先から稲妻が飛びまくるわけでは決してない。そこには、「ある程度以上の静電気が貯まらないと稲妻が発生しませんよ」という法則がある。それが、パッシェンの法則と呼ばれる法則である。例えば、パッシェンの法則による標準的な空気中での「放電する領域」と「放電しない領域」を示してみよう。
例えば、このグラフ中の横軸で200μmのところを見ると、1500Vより小さな電位差までは「放電しない領域」となっている。稲妻を飛ばすにはまだ電位差が足りないわけだ。しかし、電位差が1500Vを越える辺りからは、「放電する領域」に入っていることが判るだろう。つまり、ここまでくれば「稲妻」を飛ばすのに十分な電気エネルギーがある、ということになるわけだ。「稲妻」を飛ばすにはエネルギーが必要なのである。
さて、それでは「恋」の場合はどうだろうか?「恋の稲妻」を飛ばすにはやはり何らかのエネルギーが必要なのだろうか?そしてまた、「電気の稲妻」におけるパッシェンの法則と同じようなものが「恋の稲妻」においても存在しているのだろうか?
実は「恋の稲妻」においても同じような法則が存在しているのである。私が「恋のパッションの法則」と呼ぶ法則がそうである。「恋の稲妻」を飛ばすに十分なパッション(= 愛情,恋慕,色情,情欲,欲情)がどの程度であるか、を示すのが「恋のパッションの法則」なのである。これは、「恋の稲妻」を飛ばすには「恋のパッション」のエネルギーが必要であって、「これくらいのパッションがあれば恋の稲妻を飛ばせますよ」ということを説明したものなのである。
試しにこの「恋のパッションの法則」による「恋の稲妻」とそうでない領域の一例を次に示してみよう。(実はこの「恋のパッションの法則」は縦軸・横軸(すなわち、距離とパッション=Love-Power)共に任意単位なのであるが、ここでは適当にkmとVという単位で示してみた。)
この図を見てみると、距離で10km位のところで「恋の稲妻」を飛ばすのが一番楽だということが判る。10km位の距離にいるような男女の場合、400ラブパワーもあれば「恋の稲妻」を飛ばし合うことができる。お手軽「恋の稲妻」コースである。
しかし、男女の距離が増えたりすると、「恋の稲妻」をおこすためにはかなりのラブパワーが必要とされることが判る。例えば、500km位離れてしまうと、「恋の稲妻」を発生させるには3000ラブパワーくらいが必要とされるのである。つまり、東京と大阪ですくすくと育った男女が「恋の稲妻」を発生させるのは結構大変だ、ということがこの「恋のパッションの法則」から判るわけだ。
そして、もうひとつ面白いことがある。この「恋のパッションの法則」の図を見てみると、近距離で「恋の稲妻」カーブが急に上昇していることがわかるだろう。その近距離の辺りを拡大してみると次の図のような感じになる。
男女の距離が5kmより小さくなるととたんに「恋の稲妻」に必要なラブパワーが大きくなっていることが判るだろうか?男女の距離があまりに近いと、何故か「恋の稲妻」はなかなか飛ばないのである。「恋」に落ちるためには少し距離が必要なのか、それとも、「恋」には落ちるけれども近すぎるせいで人目を気にして「恋の稲妻」を飛ばすことができないのか…色々理由は考えられるだろうが、とりあえず「恋のパッションの法則」は距離が小さすぎると「恋の稲妻」に必要なラブパワーが大きくなる、と言うのである。
よく、マンガのありがちなシチュエーションで、「一つ屋根の下で暮らす男女や、お隣さん同士の男女の間のなかなか進まないラブコメディ」というようなものが多いが、それは単に男女間の距離が小さすぎたせいなのである。あれらのマンガは実はこの「恋のパッションの法則」に裏付けられた科学的な事実を淡々と描いた科学マンガだったのである(あと、ハリウッドとザ・ピーナッツのお墨付き)。確かにアンソニー・ホプキンスの言うとおり、「恋は稲妻に打たれるようなもの」であることがわかるだろう。
さて、今回は「恋の稲妻」を考えるための便利な法則「恋のパッションの法則」を紹介してみた。次回以降では、この「恋のパッションの法則」を使いながら、「恋にまつわるエトセトラ」を考えてみたいと思う。例えば、先程「東京と大阪ですくすくと育った男女が「恋の稲妻」を発生させるのは結構大変だ」と書いたが、東京で生活している二人が遠く離れてしまう場合もそおうかというと実は違う。そこには結構面白い現象が生じる。題して「恋の稲妻」遠く離れる二人編 とか、「ガンコな人は実は恋の稲妻を飛ばしやすい」という、「恋の稲妻」ホントのオレ編とか、そんなことは次回以降で考えてみることにしたいと思う。