2007-07-26[n年前へ]
■「二十年」
from n年前へ.
1985年発行、つまり、ほぼ二十年前に発行された「科学技術を考える」(グラフィケーション編集部 編)には、坂村健、渡辺茂、村上陽一郎、竹内啓ら19人による対談11編が収録されている。 1985年というと、つくば科学万博が開かれていた頃だ。しかし、その内容は決して古くない。それは、次の文章を読むことで、まざまざと実感させられることだろう。「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが流行している。しかし、そんなことができたからといって、世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも解決したわけでもない」 坂村 健は対談相手の端山貢明にこう語る。「技術の進歩が早い、早いとよく言われますが…新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」
この言葉は今から二十年前に交わされた会話である。「二十年前の過去」の未来を振り返ってみることもとても良いのかもしれない。「二十年前の過去」の未来はまさに今現在であるのだから。
「 都合の悪いことはいつもくりこむ。ほんとにそれでいいのかな 」
「都合の悪いことはいつも繰り込んで、そして、いつでも幸せを探す」だって、みんな人間なんだもの。
好きになった女性の素敵な笑顔をみるたび、それがDNAの膨大な組み合わせの中に存在する、「たった1つ」の結果であるということに、「あぁ、本当に良く組み合わさってくれたなあ」と、思います。
今も、私が大学で勉強する必要性はわからない。けれど、少なくとも、彼女に立派な「大人」になったと認められたいために、彼女に追い付くために、今日も私は学校へ行く。
2009-01-12[n年前へ]
■高等教育の無償化
さらに2006年には、国連の人権委員会は日本政府に国際人権規約13条c項「高等教育の漸次的な無償化」の批准を勧告した。同項の批准を保留しているのは、日本以外ではルワンダとマダガスカルだけである。だが、日本政府はいまだに勧告に回答していない。
OECD諸国の高等教育への支出の平均はGDPの約1%であるが、日本は0.5%と最低の水準を低迷している。これを平均値にすれば、私立をふくめた大学の授業料は無償となり、高等教育の無償化は穏当な施策といえる。
白石嘉治「コモンとしての大学」 GRAPHICATION 2009 No.160
国際人権A規約
□13条2項b 高校教育の無償化
種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること
□13条2項c 大学教育(高等教育)の無償化
高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること
2009-05-21[n年前へ]
■高学歴ワーキングプア
GRAPHICATION(グラフィケーション) 2009. No.162「特集:働き方を変えよう」
過去の時代に比べれば、自分の意志で道を選べる選択肢の多い社会が実現したかのように見えますが、しかしその実態は一方通行の専業型で、やり直しの効かないシステムがまだまだ支配的です。
人の働き方は、どんな仕事につくかというだけでなく、人の生き方、さらにはどんな社会を望むかという社会参加を含む選択の問題にもつながっています。資本主義社会の根幹をなす“賃労働”という、時間で労働力を売る働き方を変えられるかどうかなども大きな課題といえるでしょう。
真に多様な働き方が認められ、誰もが安心して暮らせる平穏な社会とはどのようなシステムが望ましいのか、今回の特集を通じて考察しました。
その中の連載記事、池内了「現代科学の見方・読み方 56」の「高学歴ワーキングプア」より。
市場原理を徹底させ、自由競争こそが活力のある社会を生むとの「新自由主義」経済は、未曽有の経済危機を招き、ますます格差が拡大して社会を披露させてしまった。
その中で高等教育を受け、博士号を取りながら、使い捨てられ、その日暮らしをしなければならない高学歴ワーキングプアが数多く存在することも忘れてはならない。
2009-06-19[n年前へ]
■一流も二流から始まる
1985年に発売された、グラフィケーション編集部「科学技術を考える 」中での、小関智弘氏の言葉。
つまり一流のことができる人は、その前はやはり1.5流であり、その前は二流でした。そこを経てきたから一人前があるのであって、(中略)そこをいまは見損なっているんじゃないかという気がしてしょうがないんです。
2009-09-16[n年前へ]
■直観的に結論を先に決めてしまう人間
グラフィケーションで連載された11編の対談が収録された「科学技術を考える 」から、坂村健の言葉。
私は予定結論的推論機能と言っているんですが、要するに人間の場合は、直観的に結論を先に決めてしまうんですよ。例えば物を買うにしても、欲しいと思った時、代替そこで結論は決まっているんです。だけど、買うに至るには頭脳の理解と同意がないと、買う意思決定ができない。そこで、頭脳が後からついていって、あたかも演繹的な推論をやっているふりをしながら予定結論にどうやって近づくかという道を探している。その道筋が頭脳を満足させれば、買うと決まるわけです。
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