1998-11-29[n年前へ]
■"Sanae chan"はもういない
Sanae chan was fluid in the net news
「大学ノートにさなえちゃんを画いたのに、消えてしまった。」という歌があると聞いたのですが、誰のどんな名前の歌だったか教えて下さい、という疑問がfj.questions.misc辺りで出されたことがあった。
その疑問に対して、
「私も歌った記憶がある」
「ずいぶん昔の歌であやふやだが、大学ノートの裏表紙に、サナエちゃんを書いたの、で始まっていた。」
「それは古井戸の曲だろう。」
「RCサクセションの「僕の好きな先生」と雰囲気がよく似ていた。」
「さなえちゃんが入っているアルバムはどれだろう?」
などと、その人なりの「さなえちゃん」が記事として次々と流れた。その人の記憶の中での歌詞が数多く投稿された。しかし、どれも少しずつ、あるいは、かなり違った歌詞になっていた。時が流れる中で、その人の「さなえちゃん」の記憶が変化していたのである。
それは、今で言うコラボレーションだったように思う。
多くの人がその人なりの「さなえちゃん」を描く中で、「さなえちゃん」の姿が時々見えたような気がした。歌詞の中の「さなえちゃん」の色々な本当の姿が見えたようにすら感じた。その一連の記事を読んでいると、まるで短編小説を読んでいるように、私には思われた。しかも、net news という大学ノートよりも消えやすい一過性のものであるのが、なおさら新鮮だった。
今日急に、もう一度、その一連の記事を読みたくなった。もしかしたら、過去にnet newsで流れた記事をストックしている所もあるかもしれない。
すると、NetNewsArchive(http://mitsuko.jaist.ac.jp/fj/)という所が見つかった。そこで、NetNewsArchive(http://mitsuko.jaist.ac.jp/fj/)で探してみた。見つからないかもしれない、とあきらめていたが、見つかった。ftp://ftp.jaist.ac.jp/pub/news-archive/fj.questions.misc/List-199401にあった。[song]sanaechanというタイトルで始まるスレッドである。
調べる中で、SeagaleMusic Webから歌詞を知ることができた。そのラストの歌詞は、とてもいいと思う。また、面白いことも知った。カトーカズヒロの70年代なつかし音楽談話室(9)によれば古井戸はアルファベットでは"fluid"と書くそうだ。流体、流動体のことである。また、形容詞ならば、流れていく、変わりやすい、などの意味になる。
その歌の中にいた「さなえちゃん」は、「さなえちゃんが消えたの。もう会えないの。二度と会えないの」と歌われていた。"fluid"が必ずそうであるように、newsgroupに流れた記事もすぐに流れていってしまった。news groupに現れた"sanae chan"はもういない。最近とあるマンガで昔あった曲として「さなえちゃん」というのが登場してました。内容はほとんど不明ですが、最後にさなえちゃんは消えちゃうんだそうです。作者の後書きによればこれはマンガの創作ではなく実在する曲らしいのですが、どなたかご存知ないでしょうか?結構はやった歌ですね。「大学ノートの裏表紙、さなえちゃんを書いたの...」で始まる歌だったと思います。非常に短かったような気がします。歌詞は、「大学ノートの裏表紙に、サナエちゃんを書いたの。」で始まる奴でいいのですか。浅田美代子の「赤い風船」の時代ですね。40代の人が知っているはずですね。課長とかに聞いてみたら?えーと、"大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを書いたの"という曲でしたか、記憶があります。昔のフォーク全盛期のころの曲で、歌っているのは、すんごく不確かな記憶ですが、"古井戸"ではなかったでしょうか。古井戸の「さなえちゃん」ですね.15, 6 年前(もう少し前かな?)の曲です.大学ノート裏表紙に書いたさなえちゃんが,消えてしまったというただそれだけの曲ですが,なぜかこころに残ってしまふ.古井戸の「ベストアルバム」のCD にはフルコーラスは入っていなかったと思うので,CD で出ているかどうかは知りません.1971年か72年頃に流行った歌で、古井戸の「さなえちゃん」だと思います。確か仲井戸麗市さんと誰かの二人組のグループだったのでは。「♪大学ノートの裏表紙に」鉛筆で描いたため、(うまく描けたのに)いつの間にか(絵が)消えちゃうんだと思います。
# グループ名、メンバーはちがうかもしれません。
# RCサクセションの「僕の好きな先生」と記憶がゴッチャになってます_o_以下はかなり曖昧な記憶なので、そのつもりで読んでください。古井戸の「さなえちゃん」が収録されているアルバムはCD化されていますが、そのCDを外から見たかぎりでは「さなえちゃん」が入っていることは分かりません。他の曲は収録曲として書かれているのですが、「さなえちゃん」だけは、古井戸の意向でわざと書かれていないからです。ただしCDを聞けば、曲自体はLPと同様に収録されています。したがって収録アルバムのタイトルが分からないと、それを探しだすことは出来ません。「さなえちゃん」の入ったアルバムを昔持ってたのですが,なくしてしまったのでタイトルは確認できないのですが,ジャケットは薄暗い色(暗い灰色?,モノクロ?)だったような気がします.なんて古い曲なのでしょう。わかってしまう、自分が悲しかったりして...兄がよく歌っていた曲です。このころ、ガロの”学生街の喫茶店”もはやっていたと思います。歌詞は、 記憶の奥をたどって、 大学ノートの裏表紙に、サナエちゃんを書いたの。 一日中かかって、一生懸命書いたの。 でも、鉛筆で書いたから、いつの間にか消えたの。 大学ノートの裏表紙の、さなえちゃんは、消えたの...
2000-01-03[n年前へ]
■音場の定位を見てみたい
立体音感を考える その2
前回(といっても間に他の話も挟まっているのだが)、
で「音の立体感」について考え始めた。今回はその続きである。「音の立体感」を考えるための道具を作る準備をしてみたい。色々なことを考えるには、その目的にあった測定器が必要である。何か新しいことをしようと思ったら、そのための新しい測定器を作成しなければならない(と思うだけだが)。そして、何より私は計測器なんてほとんど持っていない。だからといって、計測器を買うお金があるわけではない。というわけで、困ってしまうのだ。
そこで、立体音感を考えるための測定器を作っていくことにした。といっても、すぐにできるとも思えないので、色々実験をしながらボチボチとやってみることにした。勉強がてら、ボチボチやってみるのである。オーディオ関連のことにはかなり疎いので勉強にはちょうど良いだろう。
資料をいくつか眺めてみたが、特に
- 「立体視の不思議を探る」 井上 弘著 オプトロニクス社
- 音像定位の因子
- 両耳差因子 (音響信号)
- 音の強さ(振幅)の差
- 位相の差
- 周波数スペクトル因子
そこで、いきなりだが今回作成した解析ソフト「音場くん一号」のアルゴリズムは以下のようになる。
- PCのサウンド入力から、サンプリング周波数 22.05kHz、Stereo 各チャンネル8bitで取り込みを行う。
- 取り込んだデータを4096点毎にウィンドウ(Hamming or無し)処理をかける。
- 高速フーリエ変換(FFT)を行う
- FFTの結果の実部について、左右のチャンネルの差分を計算する
次に示すのが、「音場くん(仮名)一号」の動作画面である。「音場くん(仮名)一号」の画面構成は、
- 右側->制御部
- 左側->計測データ表示部
- 音声波形データ(赤=左、緑=右)
- 周波数(横軸)vs左右での音圧の差(縦軸)
- 時間(横軸)vs周波数(縦軸)vs左右での音圧の差(色)
(黒字に赤、緑の色構成は変更の予定) |
計測データ表示部の拡大図を下に示す。
- 音声波形データ(赤=左、緑=右)
- 周波数(横軸)vs左右での音圧の差(縦軸)
- 時間(横軸)vs周波数(縦軸)vs左右での音圧の差(色)
この表示計の意味を例を挙げて説明したい。例えば、下の画面では左の方に定位している音が鳴ったときの状態を示している。一番上の音声波形データでは緑(右)の波形は小さいのに対して、赤(左)の大きな波形が見えている。
また、真ん中の「周波数(横軸)vs左右での音圧の差(縦軸)」では横軸100(任意単位)程度の高さの辺りで左チャンネルに位置する音が発生しているのがわかる。
また、一番下の「時間(横軸)vs周波数(縦軸)vs左右での音圧の差(色)」では時間的に一番最後(横軸で右側)の方の横軸560、縦軸100位の位置に白い(すなわち左チャンネルに定位する)音が発生しているのがわかると思う。
この曲のイントロでは、「ポンッ」という音が高さを変えつつ、左右にパンニング(定位位置を変化させること)する。
一番下の「時間(横軸)vs周波数(縦軸)vs左右での音圧の差(色)」を示したグラフ中で白・黄色(左に定位)と青・黒(右に定位)する音が時間的にずれながら現れているのが判ると思う。
このようにして、この「音場くん(仮名)一号」では音の定位状態についての「極めて大雑把な」計測が可能である(保証はしないけど)。「音場くん(仮名)一号」を使った他の例を示してみる。
下は種ともこの「O・HA・YO」の中から「The Morning Dew」のイントロ部を示したものだ。
- 左(白・黄)チャンネル方向に定位するピアノ
- 右(黒・青)チャンネル方向に定位するガットギター
これはまるでオルゴールのピンを見ているようだ。あるいは、シーケンサーや昔の自動演奏ピアノのロール譜のようである。対位法などの効果をこれで確認したくなってしまう。
さて、ここまでの例は楽器も少なく、比較的自然な定位状態であった。しかし、以下に示すような場合には不自然なくらいの「音の壁」状態の場合である。かなり状態が異なる場合だ。
これは、種ともこの「O・HA・YO」の中から「KI・REI」のラストのラストコーラス部を示したものである。人のコーラスが重なり合っていく部分である。色々な高さの声が重なり合っていく様子がわかるだろう。
ところが、このグラフをよくみると、同じ音が時間的に持続しているにも関わらず、時間毎に定位位置が左右で入れ替わっているのがわかる。
これはきっとエフェクターで言うところのコーラスなどをかけたせいだろう(素人判断だけど)。人工的にフィルタ処理をしているためにこのようになるのだろう。こういう結果を見ると、「音場くん(仮名)一号」をプログレ系の音の壁を解析してみたくなる。
さて今回は、音声の定位状態を解析する「音場くん(仮名)一号」を作成し、いくつかの音楽に対して使ってみた。まだまだ「音場くん(仮名)一号」は作成途中である。これから続く立体音感シリーズとともに「音場くん(仮名)」も成長していく予定である。
さて、一番先の画面中に"Re"という選択肢があるのがわかると思う。もちろん、これと対になるのは"Im"である。FFTをかけた結果の"実部"と"虚部"である。"実部"の方が左右の耳の間での音の大きさの違いを示すのに対して、"虚部"の方は左右の耳の間での位相差を示すものだ。つまり、ある周波数の音が左右の耳の間でどのような位相差を示すものか、測定しようとするものである。
左右の耳に対する音の位相差というものは、立体音感を考える上では避けては通れないのだろう。しかし、位相差を処理しようとすると、どうしたらいいものかかなり迷う部分がある。また、今回のようなFFT処理をかけたときに得られる位相を用いて良いものかどうかもよくわからない。というわけで、今回は位相解析処理は後回し、ということにした。
2002-03-16[n年前へ]
■あなたのとりこ
サントリー 緑水 光の中へ編。このCMとても好き。動画はリアルオーディオの方は私の環境ではパラパラマンガになってしまったので、メディアプレーヤーの方で見た方が良いかも。シルヴィ・バルタンのあなたのとりこがフルコーラスで聴けるのもありがたい。
主人公は女子大生。朝、陽光の射す駅のホームで人混みの中に最近知り合ったばかりの気になる男の子を見つけます。思わずこぼれる笑み。ところが次の瞬間、男の子の隣には親友の姿が…。そのまま列車に乗ると、いつしか列車は都会を離れ、郊外までやってきます。小さな駅に降りると周りは鮮やかなみどりにあふれ、太陽はなにもかもをキラキラと輝かせている…。(リンク)
2002-06-14[n年前へ]
■コカコーラのCM
「日本を応援するぞー」って言ってるサポーター達が赤一色。それでは、日本じゃないだろー、それじゃぁチェニジアだー。もし、今日だけは青いコカコーラのロゴでも表示すれば面白かったろうに。
2003-10-19[n年前へ]
■さらば、大艦巨砲主義。
鍵はオトコのヤング率?
海外でトイレに入ると、高い位置にある小便器に四苦八苦することが多い。私が小柄なせいもあるのだけれども、何しろ便器の高さがほとんど股の位置と同じくらいだったりするのである。しょうがないから、そんな時は放水を行う「大砲」の角度を若干上側に調整して、小便が描く放物線を上手く調整しながら放水を行うことになる。そんな風に神経を使う放水作業を行っていると、「もう少し小柄な人のことも考えてくれぇ」となんだか腹が立ってきたりもするのである。
しかも、そんな位置が高すぎる便器には大抵"AmericanStandard"なんて刻まれていて、人の気持ちをさらに逆なでしたりするのだ。もちろん、それは単に便器メーカーの社名であるのだけれど、それでも"AmericanStandard"だなんてと言われて良い気持ちがするわけはないのである。「この高さがアメリカの標準デ~ス。アナタの大砲の取り付け位置は低すぎデ~ス」と便器にバカにされているような気になってしまい、思わず「それは余計なお世話デ~ス。アメリカの標準を他人に押しつけないでほしぃのデ~ス!」と思わず便器に言い返したくなったりするのである。
先日、やはりそんな風に"AmericanStandard"な便器に向かってハラを立てながら「大砲」の角度を調整しながら放水作業をしている時に、ハラが立つあまりにとてもヘンなことをワタシは考えはじめた。
確かにアメリカンな標準大砲は「取り付け位置」も高いし、大砲は長くて口径も大きい(コーラ瓶のような巨砲を持つアメリカンAV男優を参考にするならば)。そのせいで、射程距離だって確かに長く、高い便器でも全く苦労しないかもしれない。しかし、必ずしも大砲がデカけりゃいいってわけでもないのではないハズである。例えば、かつて我が日本は大艦巨砲主義に固執し巨大戦艦「大和」を作り上げたわけだが、その大艦巨砲主義が時代の流れに取り残されてしまったことは「戦艦大和」の悲劇が証明している通りである。それと同じように、放水の「大砲」におけるアメリカンな「大艦巨砲主義」だって、時代の流れ・時の流れに取り残されることがあるのではないだろうか、と思ったワケなのである。「これがアメリカの標準サイズなのデ~ス」という言い放つブッシュ大統領率いるアメリカン大艦巨砲主義だって時代の流れ・時の流れを考えれば、何処かに「落とし穴」があるのではないだろうか、とワタシは考えたのである。つまりは、高すぎる便器にハラを立てたあまりに、ワタシはなんとかアメリカン・スタンダードな大艦巨砲主義になんとか「落とし穴」を見つけようとしたわけである。
そして、ワタシが考え出したものがかねてから宿題のままワタシが決して手を付けようとしなかった「オトコのヤング率(物質の堅さを示す係数、応力に対してどの位歪むかを示す)」だったのである。かつてワタシは、人体の柔らかさを「人体におけるヤング率」という物理係数を導入することで、さまざまな人体に関する物理現象を解明することができると提唱したわけであるが(オッパイ星人の力学- 胸のヤング率 編 - を参照のこと)、今回は小便を発射する大砲の強度を定めるオトコのヤング率を考えることで、アメリカが「標準サイズ」と言い放つ大艦巨砲の「落とし穴」を見いだそうとしたのである。鍵はオトコのヤング率なのである。
そのアメリカンな大艦巨砲の「落とし穴」を説明するために、まずは人体におけるヤング率の定義をもう一回おさらいしてみよう。人体におけるヤング率とは人体の柔らかさを定義する係数であって、それは年齢に比例する係数である。人体におけるヤング率は若いときは堅く(ヤングで)、年をとるに従って柔らかくなる(ヤングでなくなる)のである。そういうわけで、例えば胸のヤング率を考えれば、当然若い女性の胸は垂れないけれども、おばあちゃんの乳が垂れていったりするわけである。そして、それと同じように当然オトコの大砲におけるヤング率というものもあるわけで、試しにヤングなヤング率を持つ「ジャパニーズな小砲」と「アメリカン・スタンダードな巨砲」を有限要素法で変形計算をしてみたものが下の二つのグラフである。
もしも、大砲の取り付け位置の高さが同じであれば、「ジャパニーズな小砲」に比べて「アメリカン・スタンダードな巨砲」は長いぶんだけ、発射口の位置も高い。だから、当然ターゲットがいくら高い便器であっても百発百中で狙いを外さないに違いない。それに対して、「ジャパニーズな小砲」は発射口の位置が低く、ターゲットたる便器を外してしまうことも多いように思える。確かに、小便における大艦巨砲主義は間違っていないように思えることだろう。
しかし、である。時代の流れ・時の流れを考えるならばどうだろうか?女性のオッパイが年を経て時が流れるに従って、堅くなくなり垂れてくるように、男性の「大砲」だって時が流れ年を経るに従って哀しいけれど堅くなくなってくるのである。さまざまなシチュエーションでそのオトコのヤング率は問題になるわけであるが、とりあえず便器に向かって放水活動を行うときだってそのヤング率は問題になるわけである。というわけで、例えば時を経てヤングでなくなった「大砲」がどう変形するかを同じように計算してみたものが、次の二つのグラフである。
短いがそのぶん時を経ても変形量も少ない「ジャパニーズな小砲」に対して、時代が流れヤングでなくなった「アメリカン・スタンダードな巨砲」はひどく変形してしまっている。巨砲の台座たる根本を固定して遙か上に向かって放水を行ったにしても、アメリカンな巨砲の先端は変形して下を向いてしまっているのである。そうとなれば、大砲から発射される放物線も低い弾道を描き、小便は遠くまで飛ばないわけで、アメリカンな巨砲主義から発射される小便は"AmericanStandard"のターゲットを外すかもしれないのである。しかし、それに対して質実剛健な竹ヤリのような「ジャパニーズ小砲」はほとんど曲がることもなく、失礼な"AmericanStandard"便器をヤングな時代と同じように打破することができるかもしれないわけなのである。
…と、こんな「オトコのヤング率」についてワタシは放水作業をしながら考えたのであるが、ふと我に返ってみれば私たちは別に便器を前に飛距離競争をしていたのではないのであった。そもそも、ワタシと違って股位置の高いアメリカンは大砲の角度を上に向ける必要はないのである。取り付け位置の高い大砲ならば、別に大砲が下を向いていたってちゃんと便器内に放水ができるわけなのである。哀しいけれど大砲の取り付け位置の高さが違うということは絶対的な差を持つのである。
というわけで、いくら時代の流れ・時の流れを考えても、ワタシはいつまで経ってもアメリカン・スタンダードな便器に苦労し続けるだろうし、背の高い「アメリカン・スタンダードな巨砲」達はいつまで経っても軽々とダンクシュートのごとく小便を便器に命中させ続けるに違いないのであった。ワタシが「さらば、大艦巨砲主義」といくら言ってみたところで、しょせんは虚しい遠吠えなのである。かつて、我が日本の大艦巨砲主義は時代の流れに取り残されてしまったけれども、残念ながらアメリカン・スタンダードな便器における大艦巨砲主義の時代はまだまだ続いてしまうのであった。