2007-07-05[n年前へ]
■「制御」と「物語」
制御工学の教科書のページをめくれば、どんなに少なく見積もっても、ページの半分ほどがフィードバック制御に関することに費やされている。
フィードバック制御、それを実に大雑把に言うならば、「現在の状態に応じて"足りないもの"を補う」「"不安定なもの"を"安定"にする」制御だ。つまり、不安定性になっていまうものを回復し、安定にさせること、である。乱暴に言ってしまえば、世の中に満ちあふれている制御は、全部そんなものに見える。
物語の基本パターンは、怪物退治と聖杯探求です。怪物は外側からこの世界を脅かすものです。英雄はその怪物を退治して、世界の秩序を回復します。一方、聖杯探求では、世界の秩序の中心が不意に消失し、世界が迷宮化してしまいます。英雄はその消失したものを探し出すことで世界の秩序を回復することになります。「文学を科学する 」を読みながら、人は「現在の世界の"足りないもの"を補い」「"不安定な世界"を"安定"にする」物語を読みながら、同時に、「現在の自分の"足りないもの"を補い」「"不安定な自分"を"安定"にしようとする」ものなのだろうか、と思う。心の中の足りないものを補い不安を和らげる、つまり、心を癒す、そんな制御を物語はしているのだろうか。
「文学を科学する 」 P.76 3.5 小説はいかに語るか
「可観測行列行列が正則でなければ、現在の状態を正確に知ることはできないし、可制御行列が正則でなければ、任意の状態に制御することはできない」とクールに断言する制御工学の教科書を読みながら、次世代の制御理論は人や世界の制御・安定化をいかに実現するのだろうか?とふと思う。
心の癒しというテーマ、それはぼくにいわせれば、とても単純な物語です。物語というものはそういう性格をもっている。心の制御工学というものがあるのなら、それは一体どういうものだろうか。
「文学を科学する 」 P.125 ストーリー性の重視
2007-07-08[n年前へ]
■「分業・神の見えざる手」と「ワットの復水器・調速機」
『国富論』を書き"経済学の父"と称されるアダム・スミスは、蒸気機関を広めたことで有名なジェームズ・ワットと親しかったという。その影響もあってか、経済成長と技術革新、つまり、経済成長とイノベーションの繋がりを強調していた。
スミスは蒸気機関の改良で有名なジェームズ・ワットのお友達なんです。 だから、スミス自身は蒸気機関を使った産業革命・機械化の時代に先駆けた時代の人ですが、技術革新こそが経済成長の源泉だというような内容のことをものすごく強調しています。 栗田啓子ジェームズ・ワットというエンジニアと、哲学者であり経済学者であるアダム・スミスの間にとても深い親交があって、影響を受けあっていたというのは、興味深い。現代の私たちを取り巻いている技術革新が経済成長を生み出しているという事実を、そんな親交からスミスが見いだしたというのは、とても面白い。
そして、きっとそれだけではない、とも思う。
ジェームズ・ワットを「蒸気機関を発明した人」と捉えている人も多いだろう。しかし、ワットは決して蒸気機関の発明者ではない。ワットは、すでに存在していた蒸気機関の効率を飛躍的に向上させることで、経済的に引き合う蒸気機関を作り上げた、という存在である。すでにあった複数の技術を上手く組み合わせることで、蒸気機関を効率よく安定に動かすことを可能にし、産業革命を支えたのである。
産業革命の中で育ったワットは、…1757年にアダム・スミスのはからいで、グラスゴー大学構内で実験器具製造・修理店を開業した。 ここでニューコメン型蒸気機関と出会い、より効率のよい蒸気機関を造るつくるため、熱と力の関係を研究する。 Wikipedia 「ジェームズ・ワット」ワットが生み出した「経済的に引き合う蒸気機関」の重要なポイントは、少なくとも二つあるように見える。その一つは蒸気機関への復水器を導入であり、もう一つは、蒸気機関に調速機を採用したことだ。(続く)
2007-08-01[n年前へ]
■今日書いたメイル(に追記した内容)
Apacheが停止していたのは、確か、3月上旬くらいまでで、その後は(色々未設定のまま)稼働しています。ただ、Railsへの移行やら、複数サーバ群への移行やら…をしている最中…という具合で、今でも不安定なまま稼働中です。 そういう具合で不安定な状態ではあるのですけれど、それすなわち、「成長している」という感じです。 前よりも、色んなことができるようになると思います。気長にお待ち下さい。
2008-04-02[n年前へ]
2008-10-27[n年前へ]
■「電車の吊り手」のヒミツ
いつ頃からだったか覚えていませんが、「電車の吊り手」の構造が昔とは変わったように思います。「電車の吊り手」が以前とは、90度違う方向にぶらさがっているような気がします。以前は、吊り手をぶらさがる金属棒と吊り手が同じ向きを向いていたような気がするのですが、いつの頃からか吊り手をぶらさがる金属棒と吊り手が直行するようになりました。
鉄道が大好きのテツちゃん、血液中には鉄分が流れまくり・・・というわけではないのですが、この列車の「吊り手」の方向変化にはとても興味を惹かれます。吊り手のベルト部分を剛体に変え、吊り手の(乗客が)掴む部分の方向を90度変えるという変更は、一見すると小さい変更のようでいて、実はとても大きな変更・効果が生じているように思えます。
というわけで、まずは吊り手の写真を撮りました(怪しい人ですね)。話の先は、吊り手と乗客の振動解析をし、さらには乗客がどのように意識すれば一番揺れないで済むのかを考えてみようと思います。