2006-06-17[n年前へ]
■「学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(1)」
N. Gregory Mankiwの"The Macroeconomist as Scientist and Engineer"をsvnseedsさんが訳されている「学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(1)」
(マクロ経済学)は2種類のタイプのマクロ経済学者、一方はこの分野を一種のエンジニアリングと理解し、もう一方はむしろ科学と理解している、の努力により発展してきた、というものだ。 …科学者とエンジニアの間の根本的な断絶は、この分野で研究している我々にとって屈辱的な事実といえるだろう。
2006-11-08[n年前へ]
■「算数」と「物語」
from 「算数の発想」
(つるカメ算の)「仮にみんなカメだとしてみよう」というのは「フィクション」、つまり「作り話」に他ならない。しかし、最終的にはこの「作り話」にすぎないものが、真実の答えを導くから非常におもしろいのである
科学者がよく「夢想家」といわれるのは、このフィクション感覚のことだろうと思われる。ところがその「夢想」は、他人からは絵空事のように見えても、科学者本人にとっては人生観のどこかからやってきたある種の切実なリアリティであり、その学者が世界を見つめるときの…
2007-09-12[n年前へ]
■「理系」と「希望」
『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたらずっと海を眺めている人の荷物に目がいく。ビニール袋と紙袋をまとめ、その荷物の近くで海を眺めてる。紙袋の一番上にはくまのぬいぐるみが入ってる。
最終回の仮題は「希望」です。これまで「満足・価値・魅力・選択肢・感情・技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後は、やはり「希望」です。希望という文字を見ると、いつも「希ガス…」という変な文末が目に浮かぶ。もう少し言い換えれば、いつも「希ガス…」という変な文末を連想するような「気がする」…。
ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。迷うの語源を検索すると、迷う=真酔うだと書いてある。そして、「迷える者は、道を訊かない」という言葉を読む。
科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。どんな道でも人は途中で必ず迷い、そして、迷える者は道を訊かないのだとしたら、道を聞こうとする人は道に迷っていない人で、地を聞かない人は迷っている人だということなのだろうか。それとも、単にその瞬間に迷っていない人だということなのだろうか。
大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。そんな論理を考えようとしても、わからないことばかりだ。迷える者は道を訊かないという論理と同じフレイズを繰り返すなら、わからない時には人は訊くことをしないのだろうか。
海辺には色んな人たちが住んでいる。松林の中に場所を作っている人もいるし、廃車を家にしている人もいる。この小さな町は、それでも人に優しい。雨をしのぐことができる「私有地でない場所」から人を排除することはない。人が日々を過ごす場所から、その人を移動させることもない。
どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。年が明けようとする頃、週末、一日二度見ていた人が亡くなった。何年も見つ続けた景色、何年もとり続けた景色、何年も「今日見た景色」として針続けた景色の中で人が亡くなった。
十五で世の中をわかっちまったようなヤツラから見れば 馬鹿げた話さ
それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。
2009-10-20[n年前へ]
■「キュリー夫人の運命の一夜」
思わず内容をメモしたくなる内容を「技術」という分野に分けるか「人文」という言葉で表現するのか、=悩むことがある。けれど、そんな風に悩むことは少ない。
けれど、山田大隆「心にしみる天才の逸話20―天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード (ブルーバックス) 」を読んだときには、そんな悩みを感じた。なぜ、この人は「技術を確かに見る視点」と「人を冷徹に眺める視点」を共に兼ね備えているのだろう・・・と感じ、そこに書かれている内容を「技術」に分類するのか、「人を表す言葉」に分類するのか悩んだ。この山田大隆氏の行う授業を聞いてみたい、と悩んでしまった。つまり、このサイトでいえば、Tech-logsに分類するのか、Logosに悩んだ、というわけである。
今日書き写すメモは、「人を表す言葉」に分類しておこうと思う。その対象は、山田大隆「心にしみる天才の逸話20―天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード (ブルーバックス) 」の中のキュリー夫人に関する部分だ。節で言うと、「キュリー夫人の運命の一夜」である。
人は単純ではない。さまざまな本を読んで感じるキュリー夫人も、一言ではいえない綺麗な色も・濁った色も、それらをすべて兼ね備えた複雑なものを見せる。それでも、私の好きな人のひとりだ。
しかし、「一度、遊びに来ないか」といわれて相手の実家までついて行けばどういう状況になるか、はたまた、誘いを受けること自体どういうことか、いくら勉強一筋で世間知らずとはいえ、マリーに考えがおよばなかったはずはない。この文章だけでなく、そのあとに繋がる文章、そしてさらにその他に描かれている人物に関する文章も含めて、この本の一番感銘する部分は「人」と「技術」の両面を「深く」考察している点にあると思う。
マリーは、故郷ポーランドで一介のさえない物理教師で終わるより、天下のパリで研究者として自分の能力をためす道を選んだ、と考えたほうがよい。
2009-12-14[n年前へ]
■NEWS今昔物語「開発秘話と車と美容」編 (初出2004年12月22日)
5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと
いろいろなものを支えるものがあって、未来があるのだろうか、とアルコールを飲みつつ、過去の記事を眺めながら考えました。
コンピュータ科学者から一番感謝を捧げられた人
コンピュータ科学の論文における謝辞中に「誰が最も登場したか?誰が一番感謝されているか」を調べた研究報告、「コンピュータ科学者達から一番感謝を捧げられている人」を明らかにした研究報告がNature.comに掲載された。その論文中で「他の人から268回感謝され - 科学者達から一番感謝された個人 - である」とされたOlivier Danvy教授曰く「たくさんの人を励ましてきたことが、今回の結果に繋がったのだろう」という。
「励まし」と「科学」と言えば、二十世紀を代表する偉大な数学者 アンドレ・ヴェイユは自らの体験(ある一人の教授の励ましがあったおかげで科学研究を続け・耐えることができたこと)を振り返り、「若い人が研究を始めたら、たとえ勝算が少なそうに見えても、励ましてやることにしている」と語ったという。今回のニュースは、そんな「励まし」・「支え」の大切さを再認識させられる。
「胸が飛び出す(ブチ切れ)ブラ」と「ビキニの科学」
昨年11月に英国で発売されたばかりの「女性の胸に深い谷間を作り出すワンダーブラの新商品"Deep Plunge Clearly Daring(向こう見ずで恐れ知らずに深い谷間)"が先月リコールされた。あまりに強力に胸を強く寄せて上げたため、二つの胸カップを前で繋ぐヒモがその力に耐えきれずにプチ切れてしまい、バストがいきなり飛び出てしまうことが相次いだからだという(日本語紹介記事) まさに文字通りの「向こう見ずで恐れ知らずなブラ」である。
胸を支えるブラジャーの記事を書いているうちに連想したのだが、Bikini Science(ビキニ水着の科学)というサイトが面白い。「おへそ」からビキニ・パンツ上部までの長さが年代を追って変化したようすやビキニのトップとボトムの間の露出部の大きさの変化などが歴史的に検証され、各種グラフにされている。グラフを眺めることもに疲れている人も、こんなグラフを眺めるときには、好奇心イッパイの新鮮な気持ちになることができるかもしれない!?
「恋人」から「夫婦」になるにはたった3.3cm進むだけ?
先月1日、男女600人に対する「歯とハブラシに対する意識調査」結果が発表した。その調査結果によると、『自信を持って他の人に口元や歯を見せられる距離は、「知人」の場合63.7cmであるものが、「同性の友達」になると53.4cmであり、「恋人」ともなると37.9cmになり、「家族」では34.6cmであったという。つまり、相手との関係が深くなるほどその距離が近い』のである。もしもあなたに「自分のことをどう考えているか知りたい相手」がいるのであれば、相手の(自分に対して見せる)口元から自分までの距離を「定規で計ってみる」のも面白いかもしれない(ヘンなヤツだと思われることは確実だが)。
ところで、その調査結果から、「知人→恋人→家族」という恋の進化・発展過程・距離を試しに計算してみると、「知人(63.7cm)→25.8cm近くへ寄る→恋人(37.9cm)→さらに3.3cm近くへ→家族34.6cm」となる。つまり、知人から恋人までの(近づかなければならない)距離は25.8cm(従来比? 40%近く)にも達するのに対し、恋人と家族(つまりは夫婦?)の違いはたったの3.3cm(従来比? 9%)に過ぎないのだ。「恋人」から「家族」になりたい相手がいるのなら、ほんの3.3cmだけ相手の方へ、少し前へ進んでみると良いのだろうか。
「人を幸せにする科学」と「人が作る未来」
先月15日、「ITツールを活用することで - 仕事とゆとりある生活との両立 - を実現することができるか」という社内モニター実験を開始する、と日本テレコムが発表した。「家族との時間」「育児と仕事の両立」「ゆとりある毎日」などを、モニターとなる6人の人たちが手に入れることができるのか、とても興味のあるところだ。
「科学が人を本当に幸せにするのか」という問いは、繰り返し唱えられてきた。だが、結局のところ「21世紀を幸せにする科学」を作り出すのは人自身なんだろう。「先生やお父さんやお母さんが未来をつくってくれると思ったら大間違いです」「未来を何色にするかは、私にかかっている」「今日見た風景の中に、未来を変えるヒントがあるかもしれない」 といった21世紀を担っていく若者たちが未来を描いた言葉を眺めれば、彼らが作る「明日の世界」がおぼろげに見えてくるような気がする。