2003-10-24[n年前へ]
■エントロピー・ゼロの恋
「エントロピーは乱雑さ・混沌さ・わからなさなどの程度を示す量であるから、好きな相手に告白をするということはエントロピーを減少させる」という「エントロピー零の恋」
友人はうちあけて振られたけれど、大学卒業して1年後には別な人と結婚してしまった。やはり、エントロピーを減少させるということは、勇気ある人の行なえることかも知れない。一方、若き私はエントロピーを零にしない生き方を好んだ。彼女にうちあけて返事を聞いてしまったら、不運にも振られたらもちろんであるが、幸運にも相手が自分を好きであったとしても、そこでせつない恋愛は終わりである。恋愛の本質はせつなさにあると考える私などは、エントロピー零の恋に情緒を感じない時代遅れの男だった。この他の「数学的思考(?)エッセイ」もオススメです。数学だって物理学だって経済学だってどんな学問もきっと楽しいんだろうなぁ、と思わせるこれらのコンテンツ、眠れぬ夜のお供にいかが?
2004-03-30[n年前へ]
■今日の思い出話「マイコン雑誌」編
古いコンピュータ雑誌、例えば「RAM」と言うと、東京八重洲口にあったコンピュータショップを思い出す。二十五年程の昔だから、コンピュータショップというのが結構珍しかった頃に、たまにPETやTRSのPCを見にに行っていた。だけど、すぐにその店は潰れてしまって、潰れるときに「RAM」等のコンピュータ雑誌の在庫をタダで配っていたのだった。
で、次に「I/O」というと「アイドル」七味十枯子さんを思い出す。「素晴らしいマイコンの世界」の白田由香利さんあたりから、そんな「萌え」の空気はあったわけだけれど、それが七味十枯子さんやら「ASCII」のYoのけそうぶみの鷹野陽子さんやらに繋がっていたのだろうか。で、ビックリしたのが白田由香利さんが学習院大学の経済学部教授になっていたことだ。何というか、その時間の流れにちょっとビックリだ。と、そんなことを思い出したのはもちろん「月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説 永久保存版」を買ったから。ちなみに、「マイコン」は今ひとつだったかな、個人的には。
2004-04-04[n年前へ]
■萌え論
「超萌え代数」を支える理論、それが「萌え論」だ。この理論によるならば、全ての人を数平面上に散らばらせてみたときに、「第1象限にたたずむ奴らそれがヲタクである」らしい。すると、「他の各象限はどうなのか」という疑問は当然湧き上がるに違いない。その疑問に答えるのはこれを読んだ人の誰かかもしれない。
算数は実生活で役に立つが数学は役に立たないという人もいる。しかし、数学が経済学や工学を支えることも多い。経済学や工学であれば、実生活に近いと感じられるだろうから、数学も実生活で役に立つと納得もしてもらえるものかもしれない。こんな萌え学だって、社会の何かを支えることも多いかも? それが、どんな社会であるかはさておき。