2006-10-24[n年前へ]
■「経済学インタビュー」シーズン1
Tech総研の経済学インタビュー連載は、11月公開の「玄田先生へのインタビュー」と12月公開の「みんなで経済学を振り返る」でひとまず終りを迎えます。とはいえ、「経済学インタビュー」のシーズン1は終了するのですが、来年1月からはシーズン2が始まります。というわけで、もう少しお付き合い頂けたら…と思います。
2006-11-06[n年前へ]
■小島寛之「算数の発想」
小島寛之の「算数の発想」を読んだ。あくまで、本書のタイトルは「数学の発想」でなく、「算数の発想」だ。その「数学」と「算数」の違いこそが、この本の「言いたいこと」である。
…無理を承知で、この本の印象をひとことで書いてしまえば、それは「カオス」だ。「はじめに」を引用するなら、まな板の上にあげられる題材は「物理学・経済学・数学・ゲーム理論・統計学…」であるという。それらは、実にバラバラな分野に見える。しかも、「フィクション・作り話」と絡めて、その分野は数学や国語や人生の哲学に話が広がっていく。その話の跳び具合を堪えられない人もいるだろう。けれど、その跳ね具合の中に「繋がり・方向性」を感じる人には、実に面白い本だと思う。
序章の中盤はこのように書かれ、
算数の「なんとか算」のような問題、つまり、つるカメ算、旅人算…などは中学の数学になると、方程式によってすべて統一的に解けてしまう。
これは格好良く言うと、「個別性」から「普遍性」へ関心領域の転換が起こったということである。そして、その序章はこんな風に終る。
算数の発想は、日常生活や人間関係や人生の経験の中からやってくるさまざまなものの見方を集積したものである。
数学の持つ「普遍的な操作性」は、思考や時間の節約という「効率性」あるいは、考え落としや飛躍のない「厳密性」を与えるかもしれないが、世の中を眺める楽しみを育むのは、むしろ算数の「個別的な思考」のほうだといっていい。ところで、この本を読みながら、算数も数学もどちらも同じように苦手な私が、ふと思い浮かべていたのは、おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記の2006年11月05日(日)分
個別のノウハウをおろおろと個別に実行することしかできず、生活のためにしなければならないことをさっぱり一般化できないという一文を含む、「個別」や「一般化」を題材に挙げた一連の日記だった。
2006-11-08[n年前へ]
■「給料格差は経済学で説明できますか?」
「給料格差は経済学で説明できますか?」が公開されました。今回は、『仕事のなかの曖昧な不安』『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』などの著書をもち、最近では「希望学プロジェクト」を行っている東京大学社会科学研究所の玄田有史助教授に、「経済学の成果」「格差」「明日」ということなどを聞いてみました。
今日と同じ明日を保障するのは、もしかしたら経済政策なのかもしれないと思います。けれど、今日より明日をプラスアルファだけいい日にするのは、それは本人だと思います。
2006-12-24[n年前へ]
■雑文色々
「株式会社は誰のものですか?」「経済学の"とても一言ではまとめられないまとめ"」「カラーマンガ(版画)風に画像を加工するソフトを作る!」「画質改良版&OSX(intel)版 ミニチュア写真作成ソフト」「Mac OS X (intel & PPC)版の「版画ソフト」を作る」「逆さメガネ」
2007-07-07[n年前へ]
■市場経済と万有引力と「神の見えざる手」
『国富論』を書き、"経済学の父"と称されるアダム・スミスはアイザック・ニュートン(1642-1727)に強い影響を受けたという。
18世紀に経済学の基礎を作ったアダム・スミスが、非常に強い影響を受けたのは、ニュートン的な“科学”です。 栗田啓子 万有引力と神の見えざる手アダム・スミス(1723-1790)が生きていた時代、多くの人たちが、世界・社会を動かす基本的な法則性や自然科学の法則性に、神の意思が表れていると考えていた。万物に、普遍的な(けれど見えない)“万有引力”が働いているとニュートンが考えたのと同じように、アダム・スミスが経済発展の歴史や市場均衡の陰に「神の見えざる手」が動いていると考えた…というのは不思議に、そしてとても面白い。
経済学と古典物理学という、まるで分野が離れて見えるようなことなのに、実は同じ時代の中で影響を受けあいながら共に育ってきた…ということを意識するならば、その2つが不思議なくらいピタリと綺麗に重なり合う。それは意外でもあるけれど、同時に、それも当然なことであるようにも感じる。
アダム・スミスが考えた「経済人=ホモ・エコノミクス」という存在がどうしても納得できませんでした。自分の利益にのみ従って、完全に合理的な行動をする人間。自分の進むべき方向を確実に知ることができて、必ずその方向へ動く。そんな顔も表情もない人間なんて現実にいるわけがないし、そんな非現実的なモデルに何の意味があるのだろうか?と思うこともあったのです。 (けれど、ニュートン力学で物体を示す質点だって)大きさもなければ、色もついていない、そんな存在です。ニュートン力学は、物体をそんな奇妙な存在として扱うにもかかわらず、数多くの用途で必要十分な精度の計算・予測をすることができます。 柴田 研 ニュートンと経済人世の中に、「100% 新しい考え・アイデア」なんてほとんどない。いや、多分、そんなものはない。そんなものがある、という人がいたとしたら、単に歴史を振り返ったことがない人だろう。
逆に言えば、どんなこと・どんなものであったとしても、必ず古い家系図のように、考えやアイデアの歴史を辿ることができるに違いない。どんなことでも、少しづつ考えが変化し、ほんの少しづつ新しいものが生まれ、少しづつ前へ進んでいく。意識的に、あるいは無意識的に、異なるように見える色んなものが少しづつ影響を受けあってきた。そんなさまを知ることは、とても楽しい。