hirax.net::Keywords::「道具」のブログ



2006-03-18[n年前へ]

ユングとオウムの物語 

ようこそバーボンハウスへ はてなグループを使った「オウム/アレフの物語」が始まったようだ。はてなグループを使い「物語」を書く、という目的と道具の選び方に、不思議にとても興味を感じる。私は【絵文録ことのは】や氏の書籍を今のところ読んだことがなく、「河上イチローが松永英明さんであった」という件を知るまでは、松永英明さんの名前もよく知らなかった程度なのだが、それでも興味を惹かれた。

 だから、こんなページや、こんなページをはてなブックマーク経由で読み、私は松永英明さんと大学が同窓・同学年だったことに気づいた時には、何だか感慨深い思いに襲われた。大学に入学した頃、何も考えずに京大 吉田寮に「不法占拠者」として入寮した頃、ちょうど昭和の終わりの年の頃が、オウム真理教のチラシが街の電柱や壁に貼られ始めた。麻原彰晃が京大の学園祭に来る3年くらい前だ。

シンクロニシティ - Wikipedia その頃、吉田寮の寮生(=「不法占拠者」)の折衝の相手となる学生部長は、ユング心理学で有名な河合隼雄だった。ユングというと「曼荼羅」な世界観という勝手なイメージがあるのだけれど、曼荼羅(マンダラ)と(オウム関連でよく聞いた)マントラとが音がそっくりだというだけの理由で、私の中ではユングとアサハラショウコウとは同じ引き出しに入っている。そんな理由で、オウムと聞くと、なぜかシンクロニシティ(共時性)なんて言葉が脈絡なく(因果関係もなく)浮かんでくるのだ。なんて、私の引き出しは浅いのだろうか…。

A sleep trance, a dream danceA shared romanceSynchronicity Police "Synchronicity I"
Many miles awaySomething crawls from the slimeAt the bottom of a dark Scottish lake Police "Synchronicity II"

2006-07-15[n年前へ]

「夢」 

 from n年前へ.

散歩の途中で富士山に登った人はいない。まずは、登ろうと思うことです。   ジョージ秋山
睡眠中に生活経験のごとく生起して目覚めると同時にはかなく消える、一種の幻覚 「夢」 新明解国語辞典
希望は道具と同じってこと。道具に善いも悪いもないでしょう?

2006-10-01[n年前へ]

「希望」の検索結果 from inside out 

「希望の"希"って希ガスの"希"ですよね?"望みが叶う可能性が少ないことが希望だ"っていう気がしませんか?」「まるで、どこかの実験室のチャンバーの中にしか見つけることができないものに思えません?」   2006年09月26日(火)
希望とは、文字通りに読めば、希(まれ)にしか叶わない望みである   2006年09月26日(火)
 希:まれ・少ない・薄い(例:希少・希ガス・希薄) 希:乞い願う     (例:希望・希求)   2006年09月26日(火)
夢と希望って何だろう?と思い、新明解をひく。すると、「夢」は「実現するかどうかわからないが、やりたいと思っていた事柄」で、「希望」は「よりよい状態を期待し、その実現を願うこと」となっていた。…「実現」と「期待」の違いだろうか? 2003年09月26日(金)
キャリアとは、轍(わだち)のことだ。轍が繋がり、そこに道が出来る。ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。   2006年09月12日(火)  
思うに希望とは、もともと、あるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと、地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。  2006年09月12日(火)  
赤影さんがポルノ男優になり、スポーツ新聞にひたすらエロを書き連ねて生計を立てているのを知ったとき、全てに絶望したような気がする。   2005年06月01日(水)
絶望どころか希望が湧くような気もしてくるのは…私だけでしょうか?なんだか希望が湧いてきません?   2005年06月01日(水)
「希望は厄難?それとも善?」「希望は道具と同じってこと。道具に善いも悪いもないでしょう?」   2003年07月15日(火)  
> 上司は若手に「未来の価値」=希望・夢を> 与えることが必要。 そのとおりです。でもそれができている上司は少ない。きっと、けっこう難しいことだと思うんです。それに比べて、上司が若手の「希望・夢」を失わせることは、哀しいほど簡単。そして、至るところで行なわれている。まったく、哀しいほどに。   2006年03月10日(金)
絶望から希望に変わっていくきっかけはとても些細なことの積み重ねで、心が動いていく。些細なこと。…それは言葉で励まされるのではなく、静かな励ましであり、希望である。   2003年10月22日(水)  
読者の心をちょっとでも癒せたなら嬉しいという意味のことを「私」が語っていて…(中略)…が、彼女の作品を愛好する者ならば「でも頑張るのはあんた自身だよ」という言外のメッセージを読み取るはずだ。   2005年01月15日(土)
何かを根気強く続けるということは、言い換えれば挫折や失敗に負けないということでもある。それが、つまりは希望ということになるのではないだろうか。 佐藤 香 「希望がある人、希望がない人」

2007-05-29[n年前へ]

The Lunar Timescope 

 The Lunar Timescope は携帯電話用の The Lunar Surface Telescope です。携帯電話を手にすれば、「いつかの月」を眺めることができます。朝の満員電車の窓際で、昼休みの机の片隅で、夜のバスの席で揺られながら、過去や未来の「ある日の月」を眺めることができます。

 過去や未来の月を眺めてみたり、今日や明日の月を眺めてみたり…、そんな風に色んな毎日の月を眺めてみれば、少しづつ月が揺れ動いていることもわかるかもしれません。ゆっくり、けれど、容赦ないほど早く流れていく時の中で眺めることが難しいような、月の顔が移り変わるようすを眺めることができます。鞄やポケットに入れた携帯電話の画面を通して、そんな時間や月のさまの移り変わりを眺めることができます。

 歴史の教科書に載っている有名な日に浮かんでいたはずの月、有名ではないけれどあなたにとっては大事な日に見えるだろう月、そんな色んな月を携帯電話で見ることができるのが、The Lunar Timescope です。携帯電話のブックマークに登録しておけば、いつか、役に立つこともあるかもしれません。左のQRコード、あるいは、このURLを携帯電話に登録すれば、手にした携帯電話を入り口にして、時間をまたぐ月見旅行に出かけることができるのです。紀元前4000年の夜にナイル川を照らしていた月、昨日の夕方に空に浮かんでいた月、どんな月も、携帯電話の画面に浮かんでくるはずです。

 今の時代、あなたの手元にはいつも携帯電話がある…という人も多いことでしょう。自分が手にして、自分のいつも手元にある道具だからこそ、その道具を介して時間や空間の中をワープすることができたなら、どうなるだろう?…と思うことがあります。そんな、時間や空間の中を自由に操ることができる道具を手元に作り出すことができたら…と思い、こんな道具を作ってみました。





2007-06-05[n年前へ]

Mobile Planetarium(モバイル・プラネタリウム) 

 携帯電話から星空を眺めることができる「プラネタリウム」ページがMobile Planetarium です(PCからアクセスすることもできます)。Mobile Planetarium の少し変わった特徴は、「星空を眺める場所」を指定できるところです。といっても、東経や北緯といった「場所」のことではありません。もちろん、よくあるプラネタリウムソフトがそういった指定をすることができるように、Mobile Planetarium でも東経や北緯といった場所の指定をすることはできます。けれど、それだけではありません。「星空を眺める場所」が「スモッグに覆われた大都会」なのか「空気が綺麗な田舎の町」なのか、「冷たい空気が肌を指すような高い山の上」なのか、それとも真空中をただ突き進む宇宙船の中から…といった指定ができるのです。

 都会の夜景はスモッグに覆われ、その中を進む列車の中からは、星空を見ることはできません。けれど、走る列車の屋根の上、はるか頭上に広がっているはずの星空を、携帯電話の画面を通して眺めてみたら、どんな気持ちになるでしょうか。プルダウンメニューから、あなたがいる場所を「高山の頂上」に変えれば、都会の列車が瞬時に高山の上を走る銀河鉄道に変わり、頭上に広がっているはずの星空が携帯電話の画面に浮かび上がってくるのです。

 もちろん、目に見える星の名前や、それらが形作る星座を知る・カンニングするために使っても良いでしょう。けれど、通勤列車の混雑の中や、小さな部屋の片隅で、携帯電話越しに見えない星空を眺めてみることができるのが、Mobile Planetarium の一番の特徴です。見えない星空をケータイの画面に浮かび上がらせるのが、なによりの特徴です。

 今は、携帯電話の画面越しに小説を読み、その液晶画面を通して世界を感じる人も多い時代です。そんな道具を介して、見えないものを眺めることができたなら、どうなるだう?その道具を使って、自分を取り囲む世界の姿を、変えることがもしもできたらなら、どうなるだろう?…と思いながら、作ってみたのがこんな道具"Mobile Planetarium"です。



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