2000-06-19[n年前へ]
■プリクラの中の物語
プリクラもどきソフトを作ろう 第一回
先日、旅先でこんなプリクラを撮影してみた。モザイクのかけすぎで、何がなんだかわからなくなっているが、とりあえず雑誌の表紙デザインのプリクラである。non-noやmonoマガジンの表紙に私が載ることは絶対にないであろうし、ましてやTIMEやNewsweekの表紙に載ることはありえないだろうから、これは記念品になるわけだ(私にとって)。
ここで使われている雑誌は、英語のものと日本語のものが半々くらいである。しかし、機械自体にはハングル文字が書かれており(プリクラが置いてあった場所は韓国ではないが)、これが果たして正規品なのか、バッタもんなのかの区別は私には判らなかった。もっとも、日本語で書いてあったとしてもその区別は私にはできなかっただろう。
元祖オリジナルの
- Print Club プリント倶楽部情報 (http://www.atlus.co.jp/am/printclub/index.html )
さて、こういう「プリント倶楽部」みたいなことをパソコンで実現するプリクラもどきソフトというものは色々と出ているようである。単に画像を合成するだけだから、パソコンで簡単にできるのは当然だろう。しかし、である。そういったソフトを使うのは、どうも簡単でないような気がするのである。デジカメで撮った画像や、普通のカメラで撮影した写真をスキャナーで読み込んだ画像を、プリクラもどきソフトで画像合成するわけだが、これは果たして簡単なのだろうか?私はハッキリ言って、こんな作業はめんどくさいと思う。例えば、
- 画像をPCに読み込む
- 画像ファイルをプリクラもどきソフト上で読み込む
しかし、考えてみるとこう文句ばかり言っていてもしょうがない。文句を言うからには、自分でも何か手を動かさなければならないだろう。そして、何より「必要は発明の母」である。というわけで、簡単なプリクラもどきソフトを私も作ってみることにした。今日は足が痛くて外に出れない。ということは、ソフトを作る時間もたっぷりある。というわけで、「必要は発明の母」で「父は私」だ(って、前にも使ったような...)。
デジカメや普通のカメラで撮った画像は「画像をPCに読み込む作業」がどうしても必要になる。そこで、それがめんどくさいならば、「デジカメや普通のカメラ以外で画像を読み込めば良い」というわけで、ビデオカメラで取り込んでいる画像をプリクラ風にするソフトを作ってみることにしたのである。ビデオカメラであれば、ポーズをとればその様子がリアルタイムで確認できる。デジカメや普通のカメラで撮った画像を用いる場合には、静止画の加工作業がどうしても必要になる。例えば、画像の位置をずらしたり、ロゴの配置を考えたりしなければならない。しかし、リアルタイムで画面の確認ができるビデオカメラからの取り込みを用いる場合には、自分でちょっとポーズの取り方を変えれば良いだけである。そして、何よりめんどくさい画像読み込みの作業がいらない。
まずは、第一回目バージョンはここにおいておく。アルファ版どころか、まだまだ簡単なテスト用のバージョンである。動作させるためには、同梱のVCL40.BPLをシステムディレクトリに入れる必要がある。
このpurikura.exeの動作画面はこんな感じだ。ビデオ画像が白黒なのは、白黒のCCDカメラを使用したからで、カラーのビデオカメラを使えば、むろんカラーで写るはずである。この動作画面で、
- 一番左がビデオの入力画面で、
- 真中の画面がプリクラ風フレームをリアルタイム合成した画面で、
- 一番右が気に入ったポーズで静止画記録した画面
これを使って、適当に色々なポーズで撮ってみたのが次である。何か、フレームがおどろおどろしい、色使いとデザインになっているが、そこはそれ私のセンスの無さということで気にしないで欲しい。
今回は、適当に作ってみただけなので、フレームは一種類しかなかったり、ビデオ入力のドライバーが複数あると(きっと)上手く動かなかったり、と情けない出来ではあるが、この続編で機能アップをして行く予定である。まずは、
- あなたの髪がフサフサに! ハゲの物理学 画像シミュレーション編(仮称)
ところで、こういうプリクラの写真を眺めていると何か楽しい記念写真のようで、見ているだけで何やら物語性を感じてしまう。いきなり、物語性というとわかりにくいかもしれないが、写っている人やものの息吹を感じる写真と言った方がわかりやすいだろうか?とにかく、私はそういう物語を感じる写真というのがとても好きなのである。だから、街角のスナップ写真なんて大好きだし、例えば荒木経惟の写真なんていうのも結構好きだ。
私が青春18切符を使っていた時は、大垣夜行(別名、人民列車)に乗る時がメインで、物語性を感じている余裕はあまりなかった。しかし、青春18切符でカタコトカタコト鈍行の旅をしているのも結構気持ちが良いものだっと思う(安いし)。
さて、最近「小さな一眼レフが欲しい病」に罹っているのだが、なかなかいいものが見つからない。今のところ有力候補はPentaxMZ-50かCanon EOS kissIIIなのだが、どうも踏ん切りがつかない。どなたか、これはオススメというものがあったら教えて頂けるとありがたい。
2004-07-03[n年前へ]
■青春18きっぷは定義式
今年の春の青春18切符のコピー
√a = 18旅路(ルート)の中では、人はいつも18(age)である。に対してのツッコミ
ちなみにこの公式には”落とし穴”があり、普通に解くと「a=324」と答えが出てしまいます。誰がどのような旅をしても心の中ではいつも18歳、と伝えたいのでしょうか。を見る。
それは、"="の定義次第に違いない。このコピーの作者は実は数式処理系に堪能で、"="は、いわゆる等号"=="ではなく、代入の"="かもしれない。つまり、「√aというものは全て18が代入される」という手順を意味しているというのも自然かもしれない。
そして、さらにこの式は"√"という演算子(もしくは関数)を定義する式であって、(例えばMathematicaなら)この式は
root(a_) := 18
なんていう内容を書いてある、とも自然に読むことができるだろう。すると、これは「ルートをとるとどんなaも全て18になる」という定義だ。もっと素直に言い換えれば、それはコピーそのままの「旅路(ルート)の中では、人は誰でも18(age)になる」である。そういう処理を行わせるものこそが「旅路(ルート)」というものなんだ、と高らかに定義・宣言する式である。
そして、(「女の子=悪」の証明風に言うのなら)「人のルート(root=根底にあるもの)はそんな18才の頃のようなものだ」とさらに想像してみるのはどうだろうか。青春18きっぷのポスターに書かれた小さな式は「旅は人を18歳の頃の気分にさせる。そして、それこそが人の根底にあるものなんだ」という言葉だと勝手に想像してみるのだって面白いはずだ。
青春18きっぷの公式から"a=324"なんてなんだか少しツマラナイ答えを導いてしまうのではなくて、もっと色んな想像をして色んな答えを導いてみるのも良いのじゃないかな、と思う。答えが(自分の知識の範疇で想像できる)一つだけなんていうのは「青春18きっぷ」には似合わない。もっと、色んな期待とともに線路の先を眺めた方が、きっと面白いことを見つけられるに違いない。
2005-02-09[n年前へ]
2006-07-03[n年前へ]
■「青春18切符」
from n年前へ.
答が(自分の知識の範疇で想像できる)一つだけなんていうのは「青春18きっぷ」には似合わない。もっと、色んな期待とともに線路の先を眺めた方が、きっともっと面白いことを見つけられるに違いない。
今日も私たちは一言に一喜一憂しながら一日を過ごす。 もし言葉に何らかの力があるとすれば、こうしたマイナス表現を少し効果的な一言に工夫できれば、また違った明日が訪れるかもしれない。
荒木経惟が撮影していた頃の青春18切符のポスターやチラシ が好きだった。「誰も私を知らない」「この町とヒミツをつくる」「この街で育ったら、どんな私になっていただろう」なんていうコトバと共に、 そこに写る景色を眺めていた。
2010-01-16[n年前へ]
■ルートを外して、色んなものを眺めてみたい (初出:2005年09月15日)
昨年の春頃、青春18切符のポスターがJRの駅構内に張られていました。もちろん、今でも(青春18切符が販売される)そのシーズン毎のポスターが貼ってあるわけですけれど、特にその時のポスターが好きでした。正確に言えば、そのポスターに書いてあった
√a = 18
旅路(ルート)の中では、人はいつも18(age)である。
という「小さな数式とその解説」が大好きだったのです。単純な数式と洒落た遊び心に、旅をする時の気持ちがこもっているように感じ、不思議なくらい心を惹かれたのです。
しばらくしてから、そのポスターの数式とコピーに対する「この数式は、普通にa=324という答が出てしまいます」という指摘をどこかで読みました。その文章を読んで、「確かに、それは確かにそうだよなぁ」と思いつつも、私はふと屁理屈を書いてしまいました。…それは、こんなコジツケた屁理屈です。
この数式で使われている"="は、いわゆる等号"= ="ではなくて、代入の"="かもしれません。つまり、この数式は「√a が 18 と等しい」ということを言わんとしているのではなく、「√aというものは全て18が代入される」という手順・代入式を意味しているということを意味しているのかもしれません。
つまり、実はこの式は、方程式ではなく、"√"という関数(もしくは演算子)を定義する式なのではないでしょうか。
…すると、この式は「"Root"をとると、どんなaを入力してみても、いつでも18になる」という意味になります。それを、さらに素直に言い換えるならば、「旅路(Route)の中では、人は誰でも18(Age)になる」というコピー文そのままに変身します。
この式は、そういった「誰であっても18歳の頃に戻してしまう」ようなものが「旅路(Route)」なんだ、と高らかに定義・宣言する数式なのかもしれないと思いました。そして、さらにその数式から、さらに、「人のルート(Root=根底にあるもの)は、そんな18才の頃のようなものだよね」という強い意思を想像したのです。青春18切符のポスターに書かれた小さな式は、「旅は人を18歳の頃の気分にさせる。そして、それこそが - 人の根底- にあるものなのだ」と、そう伝えようとする言葉だと勝手に想像してみたのです。
青春18切符の公式から"a=324"なんてなんだか当たり前の答を導いてしまうのは少しツマラナイ話です。もっと色んな答えを想像してみるのもきっと面白いと思います。
そしてまた、例えば自分(や他人)のつまらない考えに沿った「決まり切った道(Route)」の上だけを走り続けるのも、なんだかつまらなく感じられることがあります。そんな時には、そんなルートを外して色んなものを眺めてみるのも、少し良いのかもしれません。 …あなたが「外したいと思ったことがあるルート」「外れたルート」「外したルート」は、どんなものでしょうか?