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2008-11-30[n年前へ]

雑誌の「モノクロ広告」と「カラー広告」の価値は1.5倍しか違わない 

 雑誌の広告費を調べてみると、カラー広告は白黒(1色)広告の1.5倍程度である。雑誌によっては2倍以上違うものもあるけれど、平均的には大体そんな比率になっている。

 カラー印刷が4色もインクを使っているのに対し、白黒印刷は1色だけで刷っていることを考えると、印刷コストの違いが1.5倍に収まるとは思えない。

 けれど、その印刷による「広告」に値段を付けて売りに出そうとすると、つまり価値をお金で計ってみると、モノクロとカラーの価値の差は1.5倍程度に落ち着いてしまうということになるのだろうか。

 モノクロ広告に対する「カラー広告」の付加価値、カラーがモノクロの「5割り増し」ほどだというのは、意外に少ないようにも思える。けれど、「広告として情報を伝えた効果の量」がカラー化することで一体何割増すだろうか、と考えてみると、せいぜい「5割り増し」程度だという数字も納得できるようにも思えてくる。

 雑誌の広告費だけでなく、色々なものを考えたとき「モノクロ」と「カラー」をお金に換算して「価値」という値にしてみたとき、一体どの程度の差になるものだろうか。

2008-12-15[n年前へ]

この世でいちばん大事な「カネ」の話 

 西原理恵子の「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読んだ。西原理恵子の叙情的なマンガを、「ぼくんち」「うつくしいのはら」を生んだモチーフ、そんなマンガの底にあるモチーフが訥々と語られている。

 文字が大きい本だから、あっという間に読めてしまうかもしれないけれど、読んでいる本をふと汚してしまったり、やっぱり一人部屋で読んでみたくなったりするかもしれないから、買ってみても良いかもしれない。

 才能なんて、だから天賦のものではなくて、ほとんどあとからもらったものだと思う。
 でも、そんなにも劣悪で、人生に対する諦めだけを教えられる環境に生まれても、なお、自分で自分の人生をつくろうとする子どもがいる。
 なぜ、その子に、そんなことができたんだと思う?
 「希望」を諦めてしまうことを、しなかったから。

2010-05-01[n年前へ]

それが見たくて、いつもポッケにアメをいくつもつめる 

 西原理恵子の「毎日かあさん4 出戻り編 」から。

 途上国のストリートチルドレンたちは、お金をあげても、親にとられてしまうので、まるで表情がない。
 けれど、お菓子をあげると笑う。こどもの顔で笑う。
 私はそれが見たくて、いつもポッケにアメをいくつもつめる。

2011-01-16[n年前へ]

空飛ぶ「お賽銭箱」 

 年越ししてしばらくたった寒い朝、道端に小さなお賽銭箱が落ちていた。どこかの境内から空を飛び、この場所までたどり着いたらしき「お賽銭箱」の中には、どのくらい入っていたんだろう。

 お賽銭は、以前はお金でなく米で、さらに米になる前には石だったという。石がお賽銭だった時代には、お賽銭が空を飛ぶことはなかったのだろうか。

 そういえば、海に浮かぶどこかの島では大きな石のお金が使われていて、その石の価値はその石をその島まで運ぶために失われたものたちで決まる、と聞いたことがある。

 また、その石貨の価値を決めるのは大きさや目方ではなく、 それぞれの石貨にまつわる涙と汗の物語なのだそうだ。 何百キロもの大海原を越えて重たい石貨をカヌーで持ち帰るには、計り知れない苦労と危険が伴う。 何度も命の危機に瀕し、あまつさえ海に沈んだ者もいた。 どんなに苦労しどんなに犠牲者がたくさん出たか、 そうした涙と汗の英雄譚がその石貨の価値を高めるのだそうで、 苦労して持ち帰られた石貨ほど、価値が高いらしい。 (ヤップの石貨

 ここまで辿り着いた「お賽銭箱」を量るとしたら、一体、どんな目方で量られるのだろうか。

賽銭箱






2012-07-16[n年前へ]

「あるもの・買えるもの」に落とし込めるなら「お金があれば何でもできる」 

 今朝のデイリースポーツに掲載されているインタビュー記事で(記事のための取材で)、最後にいくつか質問を受けました。

「今、一番欲しいものは何ですか?」
以前、横浜 赤レンガ倉庫近くで聞いた、ムエタイリングの上で、「元気があればぁ、何でもできるぅ〜!」「現金があればぁ、何でもぉ買えるっ〜」というムエタイ・コーチの掛声を鮮明に思い出しつつ(「元気」と「現金」があれば何でもできる)、迷い無く「お金!」と答えました。

 なんで迷い無く「お金」と答えたんだろう?…と振り返り考えてみると、「欲しいものを実現するために・手に入れるために必要なもの」を「お金で買えるもの」にまで落とし込むことさえできるなら、曖昧で形がないようものも、少しづつバラし・小さくしていけば、いつか「お金で買える何か」にまで落とし込むことができるから、多分「お金があれば何でもできる」と感じているからだ、だから(もしかしたら)「一番欲しいのはお金!」だったのだな、と気づきました。

 「お金で買えないものはない」のか、それとも「お金で買えるものなんて限られている」のかどうか…それは難しくてわかりません。

 けれど、何かしらの想像力と創造力さえあれば、「欲しいもの・実現したいもの」を「お金で買えるものたち」に落とし込むことができて、だから、お金があれば何でもできるたりするのかもしれない、と考えます。

「あるもの・買えるもの」に落とし込めるなら「お金があれば何でもできる」








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