2002-07-03[n年前へ]
■あなたの声を聞きたい。
「たった五文字」の読唇術
東京駅から、いつも22:46時発三島行きの最終の新幹線に乗る。最終の新幹線だけが停まっているホームは、何だかいつも少し寂しい。ホームを歩いている人の数も少ないし、列車の中で席に座っている人達もほとんどが眠っているが、ぼんやりとしていてとても静かだ。
そんな静かな新幹線のホームを、酔い覚ましの缶ジュースを飲みながら歩いていると、たまに「つかの間の別れ」をしのんでいる恋人達を見かける。ホームの柱の影で静かに話をしている二人もいれば、ほとんど何も喋っていないような二人もいる。どちらにしても、二人で見つめ合っていて、それをはたから眺めている私がいることなんか気づくはずもない。
そして、列車の発車を知らせるベルが鳴り響くと、多くの場合恋人達はドアのところで佇んで辛そうに言葉を交わしている。とはいえ、夜も遅いのにも関わらずベルの音はやはりとてもうるさい。だから、きっと相手の声がよく聞こえないのだろう。まるで耳の聞こえないもの同士が読唇術を試みるかのように、相手の唇の動きを見つめ続けている。あるいはもしかしたら、近くを歩く私などを意識して、とても小さい声で話をしているのかもしれない。
どちらにしても、ベルが鳴りやんでドアが閉まった後は、相手の声が聞こえるはずもないから、相手の唇の動きだけを手がかりにして、相手を見つめながら言葉を交わしている。近くにいる私からはよく判らないけれど、二人の間では、相手の唇の動きだけで相手が何を言っているのかが判るのだろう。その二人にしか判らないことだろうけれど、きっとそうに違いない。そんな景色を眺めながら、ふとこんなことを思いついた。
何かを喋る人達の唇の動きをPCに繋がったビデオカメラで撮影して、その画面を解析して「相手が何を伝えようとしているか」を調べるソフトがあれば、読心術とは言わないまでも私達は読唇術を身につけることになる。相手の唇の動きさえ判れば、相手の言葉が聞こえるようになる。新幹線のホームで読唇術で心を伝え合う恋人達のように、私達も相手の声が聞こえるようになる。
そこで、ビデオカメラの画面の中から唇の形を検出して、何を喋っているのか、何を喋ろうとしているのかをリアルタイムに検出する読唇術ソフトウェアを作ってみた。とはいえ、一晩で作ったソフトだから、たった五文字の母音を検出できるだけだ。SPEAKINGMOUTHで眺めた「唇の動き」と自分の唇の動きを参考にして、相手の唇の動きから「五文字の母音」つまりア・イ・ウ・エ・オを読みとるだけだ。子音の判定は難しいけれど、日本語のように必ず母音を伴う言葉であれば、どの母音かが判るだけでも、相手の言葉を想像するためのとても大きな手がかりになるだろう。
作ったソフトの名前はLip-reading、いつものように数回動かしただけの大雑把なソフトだけれど、これを使えば新幹線のドアのガラス越しに言葉を交わす恋人達のように読唇術を身につけることがきっとできるかもしれない。
- lipreading.lzh (303kB)
そういえば、いつも私が眺める景色は東京発三島行きの最終こだまが停まっている東京駅のプラットホームだけれど、この間はそれとは逆の風景を眺めた。私は三島駅のホームにいて、ちょうど最終の東京駅行き22:34発のこだまが三島を出るところだった。
そこにはやはり、こだまのドア越しに唇で言葉を交わす二人がいた。この二人も相手の唇だけを見つめているように見えた。私には二人の声は聞こえなかったけれど、きっと何かの言葉を交わしていたのだろうと思う。ゆっくり新幹線が動き出している時にも、ホームに立っていた方が何歩かこだまに向かって歩きながら、やっぱりそれでも言葉を交わしていたようにに見えた。
そんな景色を頭に浮かべながら、次のようなことを考えた。今晩作ったこのlipreadingは、「たった五文字」の
しか相手の唇の動きから読みとることができない。だけど、きっとあの恋人達が交わしてる唇の動きだって、きっとそんな「ほんの五文字」なのかもしれないと、ふと思ったりする。きっと、そうなのかもしれない、と思ったりする。「アイウエオ」
「アイシテル?」「アイシテル。」
2002-09-18[n年前へ]
■銀玉鉄砲を撃ちまくれ。(前編)
銀玉鉄砲の弾道計算
世の中には「似て非なるモノ」が溢れている。一見同じように見えるのに、よく見ると何故だか大違いというものである。そしてまた、その「似て非なるモノ」の亜種として「言葉の上ではよく似ていて、実際のところもやっっぱりよく似ているのに、世間一般での印象が全く異なるモノ」というのが数多くある。
その一例が、「月光仮面」と「けっこう仮面だ。月光仮面は「月よりの使者」をキャッチフレーズにする正義の味方で、けっこう仮面は「愛と正義の使者」をキャッチフレーズにするやはり正義の味方だ。二人ともマスクをかぶった正義の味方だし、そのキャッチフレーズだって互いによく似ているのに、世間一般の印象は大違いなのである。「昔、私は月光仮面に憧れていてね~」と遠い目で語る男を優しく見守る女性はいるかもしれないが、「なんてったって、も~、オレはけっこう仮面が好きで好きで~」と呟く男を優しく見守る女性はいるわけはないのである。同じように思い出を語っているのに、そしてその響きもほとんど同じなのに、世間の印象というのは全然違うモノなのである。「月光仮面」と「けっこう仮面」は「似て非なるモノ」なのだ。
そして、よく似た「似て非なるモノ」がもう一つある。それは銀玉と金玉である。両者ともに「金銀銅」というフレーズで並び称される「貴金属の名」に「宝石を意味する玉」が付け加えられたものであり、ギンダマという響きとキンタマという響きだってそっくりであるのに、その響きを人前で発っした場合の印象は180度違うのである。いや、実際のところはギンダマと口から発することはできたとしても、キンタマなんて口から言葉を出すことは普通一般的にはできないのである。口に出すだけでなくて、例えば恋人を部屋に呼んで、昔のおもちゃ箱を開けながら「ホラ、オレの銀玉鉄砲ー、懐かしいだろー」なんて見せびらかせば、「まだコドモみたいー、可愛いー」となるかもしれない。ところが、同じように恋人を部屋に呼んでも、「ホラ、オレの金玉鉄砲ー、スゴイだろー」なんてキンタマテッポーを見せびらかした日には、これはもう一体どうなることかわかったものではないのである。その響きも、そしてそのピストルとしての役割も、銀玉鉄砲と金玉鉄砲はよく似てはいても、その二つはやはり「似て非なるモノ」なのである。
そんな「似て非なるモノ」の片割れの「銀玉鉄砲」、生まれてはや50年ほどになる銀玉鉄砲を、昨日散歩の途中に買ってしまった。街中を歩いていると、古びたオモチャ屋が人知れずあって、その店に気づいたワタシはついつい足を踏み入れてしまったのである。そして、その店の中で棚の下の段ボールに入っていた銀玉鉄砲を見かけたワタシは、思わず銀玉鉄砲一セットを買ってしまったのである。銀玉鉄砲150円+玉100円のしめて250円ナリであった。玉は残念ながら銀玉ではなくて、BB弾だったのだけれども、少なくとも安っぽい銀玉鉄砲の方は昔と同じ見てくれだった。
「銀玉鉄砲の昔」で思い出すことといえば、子供の頃に遊んだ銀玉鉄砲を武器にした「撃ち合い遊び」だ。あの遊びのことをなんと呼んでいたのかはもう覚えていないのだけれど、きっと適当に「戦争ごっこ」とでも称していたのだったと思う。やっていることは同じでも、それを今風に「サバゲ」などと呼んでしまうとそれは「アレゲ」(=「何だか、ちょっと言い難いけど、アレっぽいよねー」という程度の曖昧な言葉)な世界になってしまう。だから、やはりここは銀玉鉄砲で「戦争ごっこ」くらいの言い方にしておくと、その「戦争ごっこ」で使われる銀玉鉄砲の射程距離は子供心にもそんなに長くなかったような気がする。確か、かなりの至近距離でバンバンと撃ち合っていたような気もするし、少なくとも狙う相手が見えないような遠くから撃つものではなかった。それに、映画の「マトリックス」の一シーンではないけれど、自分を狙って撃った弾を何とか避けたりすることも(たまには)できたりしたような気がするから、きっと銀玉はヒョロヒョロの弾道を描いていたのだと思う。
「できるかな?」では、以前「似て非なるモノ」の片割れ=金玉鉄砲の弾道計算をしたことがあった。その名前の響きも、その役割もほとんど同じ「似て非なるモノ=キンタマテッポー」の弾道計算をしたのであれば、せっかくだから今回はもう片方の「似て非なるモノ」=銀玉鉄砲の弾道計算をしてみることにしようと思う。
まず、銀玉鉄砲で発射された銀玉の初速度(≒10m/s)と、銀玉の重さ(≒0.2g)というデータと、銀玉の直径が6mm強というデータを元にまずは銀玉の弾道を計算してみた。下のグラフは「無風状態で銀玉鉄砲を1.2mの高さで水平方向に銀玉を発射してみた時の銀玉の弾道」を示している。下に示した二つのグラフの中で、上のグラフは「空気抵抗を考慮した場合」であり、下のグラフの方は「空気抵抗を考慮しない場合」である。
空気抵抗を無視すると、昔使っていた銀玉鉄砲の銀玉は7m程飛ぶことになる。しかし、実際には銀玉に空気抵抗が働くために、飛距離はそれより少しだけ短くなって6m程しか飛ばないことになる。とはいえ、空気抵抗のせいで短くなってしまった距離は高々1m程なわけで、実際のところ昔の銀玉鉄砲では空気抵抗はあまり影響していなかったのである。子供の頃の記憶を呼び起こしてみても、実際に銀玉はそんなに遠くまで飛んでいるわけではなかったし、この計算結果でも飛距離6mというと「十分遠く」まで飛んでいるとはいえなかった。だから、銀玉鉄砲のバネを改造して強くしてみたり、あるいは銀玉の重さを変えてみたりして、銀玉を遠くまで飛ばそうとした記憶がワタシにはある。その記憶に沿って、「銀玉鉄砲の銀玉の重さを変えてみた場合に銀玉の弾道がどう変わるか」を計算してみたのが下の三つのグラフである。
上のグラフを眺めてみれば、「銀玉の重さ」を軽くすると銀玉鉄砲の銀玉の飛距離はわずかながら長くなることがわかる。子供だった頃を思いおこしてみると、子供心に「銀玉の重さを軽くすると、遠くまで飛ぶハズ」という程度の曖昧な確信で改造をしていたような気がするけれど、アレは今考えてみても正しかったのだなぁ、と思うのである。もちろん、今では「銀玉鉄砲のバネのエネルギーが銀玉の運動エネルギーに変わるから、銀玉の重さの逆数のルートに比例して銀玉の初速度は速くなる。だから、空気抵抗が無視できる場合には銀玉が軽ければ遠くまで飛ぶ」と自然に考えるわけだけれど、少なくとも昔はそんなに淡々とは考えはしなかったのである。
さてさて、そんな懐かしい気分から今現在に気分を強引に取り戻して、最近巷に溢れているという強力なエアガンと昔の銀玉鉄砲の弾道を比較してみたのが下のグラフだ。昔の銀玉鉄砲より50倍ものエネルギーがある最近の強力なエアガンの場合である。そんなエアガンでは、なんと銀弾鉄砲の5倍近く25m以上もの飛距離がある。現実の兵器の世界でも性能競争が激しく行われているのと同じように、おもちゃの玩具の兵器開発も激しいようだ。5mと25mでは大違い、まさに飛び道具である。ここまでくるとやはり「玉」ではなくて「弾」と書く方がふさわしいように思えてしまう。
そして、ここまで強力になってしまうと、その特性も昔の銀玉鉄砲とは全くの別物になってしまう。その証拠に、先ほどの銀弾鉄砲の場合と同じように「発射する弾の重さを変えてみた場合の弾道」を計算してみたものを下に示してみよう。なんと、最近の強力なエアガンの場合は、弾の重さを重くすれば重くするほど遠くまで飛ぶのである。昔懐かしの銀弾鉄砲が銀玉を軽くすればするほど遠くまで飛んだのとは全く逆なのである。最近のエアガンのパワーがあまりに強力で弾の発射速度が速いために、空気抵抗による影響が支配的になってしまうのである。そのため、弾の重さが軽い割に直径が大きい弾よりも、重さの割に直径が小さい弾の方が遠くまで飛ぶようになる。
こんな風に、昔の子供のおもちゃ銀玉鉄砲と最近の強力なエアガンはパワーがあまりに違うため、結局のところその特性は「似て非なるモノ」になってしまっている。「姿形はよく似ているのに、その特質をよく見てみると少し違っていて、その印象は結構異なるモノ」になってしまっている。単にパワーの大きさが違うだけで、そんな特性・印象の違いが生まれてしまったりする。子供と大人が大きさとほんの少しの特質が違うだけで結構違う(部分もある)のと同じなのである。
そう、例えて言うなら銀玉鉄砲は「子供のおもちゃ」でエアガンは「大人のおもちゃ」なのだ。「言葉の上ではよく似ていて、実際のところもやっっぱりよく似ているのに、世間一般での印象が全く異なるモノ」になってしまっているのである。まさに、ギンダマテッポーは「子供のおもちゃ」でキンタマテッポーは「大人のおもちゃ」だったのである。そんなことを考えると、「昨日ワタシが散歩の途中に買ってしまった」のがギンダマテッポーで良かったなぁ、とつくづく思うのである。だって、「ワタシは散歩の途中に「大人のオモチャ屋」にふと足を踏み入れて、大人のおもちゃを買ってしまったのである」なんて言葉を聞く世間の印象はずいぶんと違うに違いないのだから。
2003-07-28[n年前へ]
■今日見た景色をなぜ作りたいか
かつてお笑いパソコン日誌で
仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。 それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。という一文が書かれていた。この一文は二年経った今でも私の中に強く残っている言葉なのです。その文が書かれていたとき、私は
同じ景色だけど他のものを見る他人の視点は、時に素晴らしく不思議に面白いし、時にとても残念で悲しい。と書いてみた。何故、「時にとても残念で悲しい」かと言えば、それは同じものを見たいと思って、だけどやはり違うところを見てしまうから、かもしれません。
それでも、何処かの誰かが眺めた景色を見てみたい、と思うのです。それは、私には見ることができない、だけど誰かには見ることができる何処かの景色を眺めてみたいからかもしれないし、もしかしたら私が眺めている景色と同じ景色を眺めている人がいるかも、と思ってしまうからかもしれません。誰かが「いい感じだな」と思った景色を同じように「いい感じかも」と思ってみたいとか、その逆のことを考えてしまったりするわけです。
とはいえ、そんなことを考えると、いつも
われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。という言葉がリフレインのように頭の中で響くのですけれど…。
だから、携帯メールからでもPCからでもp@hirax.net宛に写真メールを送ってもらえればとてもうれしく思います。そんな誰かが眺めた景色をいろいろ眺めてみたい、と思います。そして、そんな景色を共有してみたいのです。
2003-10-16[n年前へ]
■ジャパニース・キス
唇とキスの雑学から、ジャパニース・キスを味わう。
恥じらいを忘れずに。キスに関して知っていることは全て忘れること。恋人との間に30センチは距離をおくこと。腕を回したり、抱き合ったりはしないこと。手は一切使わないこと。口を閉じたまま、そっと相手の下唇にキスせよ。 話してはだめ、笑ってはだめ、あくまで真剣に。キスの間は常に、ちょっと照れたように振る舞うこと。キスのあとは身体をさらに一歩離すこと。その後は、キスのことには一切触れないように、慎重に言葉を選んで会話すること。
2004-05-05[n年前へ]
■感傷的漫画について
感傷的漫画に挙げられているマンガの中で言うと、大島弓子や「南くんの恋人」が好きだというのであれば、「草迷宮・草空間」は良いかもしれません。萩尾望都・大島弓子(つるばらつるばら とか)が好きだというのであれば、「星の時計のLiddell」も気に入るのかもしれません。また、少し世界は違いますが「無能の人」も似たテイストのような気もします。 ちなみに、「鳥頭紀行」「できるかな」や「まあじゃんほうろうき」辺りだけを読んで西原理恵子を語っては、…イケマセンねぇ。