2001-10-12[n年前へ]
■今日見た景色 「手を上げてるこども」
狭い道で車を走らせていると、道を渡るために手をとてもしっかりと上げている少年が目に入った。小学校の低学年だろう。意志の強そうな目がこっちを見てた。前後の車間距離が狭くて止まることはできなかったけど、意思の強そうな目が印象的だった。何かとても強いものを見たような気がして、止まれなかったことにちょっと後悔した。
2002-07-18[n年前へ]
■抜井規泰「一人の闘い」
最近、新聞記事を「少なくとも前より」注意深く読むようになった。今日は朝日新聞夕刊の抜井規泰という人の「一人の闘い」という記事を読んだ。スポーツ部の記者のようだが、山際淳司が書く小説のような記事だった。
気のせいか、新聞のインタビュー記事は、ほとんどの場合インタビューされる人のセリフで締めくくられるように見える。インタビューされる人の台詞の内のどれを選ぶかが、記者の書ける範囲での精一杯の意思表示、あるいは感情表現なのかな。きっと、そうなんだろうな。きっと。
たまには、記者の「言葉」で終わる記事もあっても良い。
2004-11-14[n年前へ]
■自己表現極大化装置 PIX
動画像やイメージや文章を、高輝度のLEDマトリックスに多様なパターンでディスプレイし、伝えたい感情・意思・情報を美しく、インパクトのあるビジュアルで、鮮やかに表現できる「自己表現極大化装置 PIX」 赤外線通信機能により、PIXに保存したIDを交換したり、 ビジュアルでメッセージを伝えたりすることもできる。 from COULD.
2007-07-07[n年前へ]
■市場経済と万有引力と「神の見えざる手」
『国富論』を書き、"経済学の父"と称されるアダム・スミスはアイザック・ニュートン(1642-1727)に強い影響を受けたという。
18世紀に経済学の基礎を作ったアダム・スミスが、非常に強い影響を受けたのは、ニュートン的な“科学”です。 栗田啓子 万有引力と神の見えざる手アダム・スミス(1723-1790)が生きていた時代、多くの人たちが、世界・社会を動かす基本的な法則性や自然科学の法則性に、神の意思が表れていると考えていた。万物に、普遍的な(けれど見えない)“万有引力”が働いているとニュートンが考えたのと同じように、アダム・スミスが経済発展の歴史や市場均衡の陰に「神の見えざる手」が動いていると考えた…というのは不思議に、そしてとても面白い。
経済学と古典物理学という、まるで分野が離れて見えるようなことなのに、実は同じ時代の中で影響を受けあいながら共に育ってきた…ということを意識するならば、その2つが不思議なくらいピタリと綺麗に重なり合う。それは意外でもあるけれど、同時に、それも当然なことであるようにも感じる。
アダム・スミスが考えた「経済人=ホモ・エコノミクス」という存在がどうしても納得できませんでした。自分の利益にのみ従って、完全に合理的な行動をする人間。自分の進むべき方向を確実に知ることができて、必ずその方向へ動く。そんな顔も表情もない人間なんて現実にいるわけがないし、そんな非現実的なモデルに何の意味があるのだろうか?と思うこともあったのです。 (けれど、ニュートン力学で物体を示す質点だって)大きさもなければ、色もついていない、そんな存在です。ニュートン力学は、物体をそんな奇妙な存在として扱うにもかかわらず、数多くの用途で必要十分な精度の計算・予測をすることができます。 柴田 研 ニュートンと経済人世の中に、「100% 新しい考え・アイデア」なんてほとんどない。いや、多分、そんなものはない。そんなものがある、という人がいたとしたら、単に歴史を振り返ったことがない人だろう。
逆に言えば、どんなこと・どんなものであったとしても、必ず古い家系図のように、考えやアイデアの歴史を辿ることができるに違いない。どんなことでも、少しづつ考えが変化し、ほんの少しづつ新しいものが生まれ、少しづつ前へ進んでいく。意識的に、あるいは無意識的に、異なるように見える色んなものが少しづつ影響を受けあってきた。そんなさまを知ることは、とても楽しい。
2007-07-18[n年前へ]
■月と言葉
from n年前へ.
夕暮れや月を見ると心が少し和む。そして、誰かにそんな景色を伝えたりしたくなる。
114年前にゴッホが眺めて描いた満月も、誰かに景色を伝えたいという気持ちが強く現れている。
それは、なんだか心が少し落ち着くような景色だ。
防波堤の上にいる子供には波の飛沫がかかってる。あの子たちのお母さんが心配性の小心者なら、走り寄って行きそうだなぁ。
…「きっと愚かだろう」アプローチ
愚善同盟
昨日は山鉾巡行、一昨日は宵山。京都の空気はひどく蒸し暑く、祭りの余韻を残してる。こんなに、京都の夏は暑かったんだなあ。
夕立の後の四条河原町を、ビールを飲んで歩くと、とても気持ちがいい。
四条河原町では太鼓を叩きながら歩くデモ隊がいる。デモ隊の写真を撮る公安警察がいる。それを見てエキサイトする(デモに参加している)学生風の人がいる。その学生に「他の人に迷惑を掛けるな、戻れ」と叫んでいる人がいる。
街を歩く人は、チラりとそれを眺めている。京都の街は小さな小さな盆栽の箱庭だ。
新聞のインタビュー記事は、ほとんどの場合、インタビューイの言葉で締めくくられている。インタビューイの口から出た言葉の中のどれを選ぶかが、記者の意思、あるいは感情表現なのだろう。
記者の言葉で終わる記事が、時には読んでみたい。
"I love you."を、あえて日本語にするなら、「一緒に月を眺めませんか」
「ユーザーが抽出すべき情報がいかなるものであるかを”知っている、知らない”の差は大きいだろうから、研究者が行うデータマイニングよりも、Windowsのヘルプファイルの方が根本的な困難を伴うのでは?」と思う。
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