2005-09-16[n年前へ]
■今週の…_|‾|○
17文字にここまでよく詰め込むものだが、「魔乳ブラ娘ポロリ生着替えエロ電車男」って…何!? 先週は「救えチラリ敏感パンチラ娘男の妄想にヨダレ洪水」で、今週はこれ…!? _|‾|○
というわけで、その頃に書いた文章がこれですね。
2005-09-26[n年前へ]
■教科書に準拠した副教材の「著作権・使用料」問題
Tech総研ブログ 平林純@「hirax.net」の科学と技術と男と女に2055年までの教科書に準拠した副教材の「著作権・使用料」問題 - 国語教育の副教材から、長い文章が消えていく!? - を書きました。
教科書会社側の団体へわたる)一年間で1億8900万円の使用料」や、「(著作権者に届く)一年間で13円の使用料金」や、「一年間で400万円の(文部省からの)天下り会長の年俸」という辺りの話です。
そういえば、「火星に生命をさぐる」という私の父(天文学者)の文章が「小学校6年生の国語教科書」に昨年まで掲載されていました。その文章を読んで…
2005-10-16[n年前へ]
■「長い文章を書くということ」
広い景色を写真に写したい、と思うことがあります。そんな時、超広角のレンズを持っていれば、話はとても簡単です。景色にレンズを向けて、シャッターボタンを押せば良いだけです。ところが、そんな超広角のレンズを持っていなかったら、どうしたら良いでしょう?そんな時はしょうがないから、少しづつ違う方向にカメラを向けて、何回もシャッターを押して、何枚も何枚も写真を撮ります。そして、最後にそんな写真を合成して、広い景色が写った写真を作ります。
ところが、「最後にたくさんの写真を合成」しようとすると、「それぞれの画像が(互いに)少しづつ歪んでいて、少しづつ写っているものが違っていて」なかなか上手く重ならないことに気づきます。それぞれの画像が少しづつ矛盾していて、一つの整った景色にしようとすると、なんだか食い違ってる部分がそこらかしこに現れてくるのです。例えば、右の写真を眺めてみれば、そんな矛盾だらけの写真であることがわかると思います。そして、広い・長い文章を書くということは、(少し)こんな広い景色が写った写真を作り出すことに似ている、気がします。
一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。一枚の写真や短い言葉では、写真や言葉として上手く世界を(違うものに)写し取ることができたはずなのに、それらをたくさん組み合わせて一つのものにしようとした途端、たくさんの歪み・矛盾を眺めなければならなくなります。
それらの歪みや矛盾というのは、もしかしたら、対象物の複雑さにもとづくものかもしれません。つまり、対象物の歪みや矛盾というものなのかも知れませんし、あるいは、そんな複雑な景色を眺めた時に、景色を眺める自分自身の中に生まれる歪みや矛盾なのかもしれません。
それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、とふと思います。だから、長い・広い文章を書くということは、そんなたくさんの歪み・矛盾と向かい合わざるをえない辛い作業だろう、と想像したりします。 ただし、もしも書かないでいれば「その書く辛さ」に向かう羽目に陥ることもないのかもしれませんが、「書こうとして始めて気づくこと」や「書き終えることでようやく発見すること」を見ることもできないのかもしれない、とも思います。
2005-10-31[n年前へ]
■「時間と場所をわきまえた(TPO)」予測変換入力システム(TPOBox)
リクルートの平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研に、「時間と場所をわきまえた(TPO)」予測(日本語)変換入力システム〜GPS付き携帯電話では「TPO式POBox = TPOBox」を採用して欲しい〜を書きました。「時と場所に応じて、書く文章というのは違うのだから、それを考慮した予測(日本語)変換システムが欲しい…」ということです。
POBoxのようなシステムは「(他の誰でもなく)そのユーザ自身の過去の動作」にもとづいて、「現在・未来に入力する文章を予測」する…同じユーザであっても違う時間にいるなら、それは違うユーザと考えた方が良いこともあるし、(その同じユーザが)違う場所にいればそれも違うユーザと捉えた方が(そして違う文字を予測した方が)良いこともある
2006-01-29[n年前へ]
■水面に映る「私たち」
3年前の今日、水面に映る「私たち」Nothing but Echoという文章を書きました。今日もまた繰り返される同じような「ニュース」を眺めながら、私はふとこの文章を思い出します。もしも、このページに訪れた「あなた」に少しの時間があるのなら、この文章を読んで頂ければ、少し嬉しく思います。
「水面を上から覗きこんでみれば、その水面に景色だけでなく私たちの姿も同時に映りこんでいるように、ギリシャ神話のナルキッソスが泉の中に自分自身の姿を見たように、その『ニュース』には世の中の出来事だけでなく、私たち自身だって写りこんでいるに違いない」という言葉の先にあるものを、かすかに眺めて頂くことができたなら、私はとても嬉しく思います。3年と少し前に、テレビで流されていた「問いの答え "YES""NO"」をあなたに眺めてみてもらえたら、と思っています。
その問いの中の、そして、その答えの中の「テレビニュース」の部分は全て「僕ら自身」と置き換えられるのだから…
「私たち」が世の中に与える影響は? 「私たち」は信用できる? 「私たち」はあなたの人生にとって 「なくてはならないもの」ですか?