2005-08-13[n年前へ]
■麹町
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?ふと、気づくと目の「ほんのすぐ」前で女子大生のミニ・スカートが風でめくれ上がっている。そんなヘンな景色と、ツー・ショットで撮影されたのなんか始めての経験だ。そして、ゴースト・バスターズが抱えている掃除機みたいな送風機を私は抱えていたりもする。もちろん、バズーカ送風機の先にはその女子大生がいる…。また時には、さらに大きい送風機とも戯れていたりする。今日は、何回スカートがめくれあがる景色を見たことだろうか。どのくらい、そんなことを続けていただろうか?(答えは…3時間)
夏の暑い盛りに納得したのは、「スカートはめくれ上がらないようにできているんだなぁ」ということ。あと、送風機と風速計を抱えて、ミニ・スカートの女子大生に風を(街中で)炸裂させたら犯罪以外の何ものでもないよなぁ、ということ。
バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら最後に、一体どんな絵が浮かび上がってくることでしょうか? なんだか、とてもクダらないものしか浮かび上がってこないような気も…する。けれど、それがどんなものでも、浮かび上がってくれば良いのかも。
それで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの。
■「自分を正当化してくれるもの」を好む
「自分がおぼろげに感じていることを上手く説明できるものを、好んで読む」人が多いような気がする。そう書くのは、「この本は面白い」と人が本を薦めるときには、「自分の考えや行動を正当化してくれるもの」が多いのだろうかと、先日ふと感じたからだ。
例えば、「○×△する上手い方法」というような本を読んで、「この本に書いてあることって、前から私が感じていたり、あるいは既にやっていたことじゃないか(もちろん、「自分がおぼろげに感じていた」ということと「文章として書き、形あるものとして表す」こととは大違いだが)」というような風に感じるときに、「この本はとても面白い」という人も多いように思う。
「自分の感じていたこと」をはっきりとした言葉にしたものを、つまりは、「自分と同じ考えや行動を言葉にしたもの」を好んで読み、「自分がおぼろげに考えていたことや、やろうとしていたことは適切なことなんだよ」と言ってくれるような文章を好む具体例を挙げると、「ハッカーと画家」とか「ピーターの法則」とか、そんな感じの本を好むようなことである。もしかしたら、多くの人にブックマークされるような文章もそうなのかもしれない。そんな、「自分を正当化してくれるもの」を好む傾向が見えるような気がする。
逆に言えば、「おまえがおぼろげに考えていることや、やろうとしていることは間違ってるぞ」と指摘するような本や文章はほとんど好まれることがない、ということになる。「アンタのやり方は良くないよ」という言葉は読まれない、という感じだろうか。
■「オリオナエの道標」
「総選挙はてな」を筆頭とする、はてなの考え方や機能、ユーザー対応に関して、私自身の考え方と相容れない違いがあることが分かったので、はてなから別システムへ移行することにしました。